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第3話 山城

第3話 山城


「ええい、放せ謙信! …景勝様が行ってしまわれる!」


島津殿は私の手を振りほどこうと必死だった。


「ならぬ!」

「私の邪魔をするな、一度ならず二度までも…!」

「ならぬ、島津殿…私は何度でも邪魔をいたす!

景勝…いえ、私以外の男など許しませぬ!」


私も必死で、島津殿にすがりついた。

島津殿は涙を浮かべていた、私も涙を流していた。


「島津殿には謙信…この不識庵謙信だけで十分、どこへも行ってはならぬ。

私の全てを差し出しても良い、どうか島津殿…!」

「要らぬ! 私が欲しいのは謙信などではない、景勝様…それしか要らぬ!」

「そこを景勝ではなく、謙信と言ってくだされ…どうかお頼み申す、島津殿!」


島津殿は泣いてすがる私を、冷ややかな目で睨みつけた。


「…見苦しい事よの、上杉不識庵謙信」

「構わぬ…見苦しい男と笑ってくださって結構、それでも私はそなたを離しませぬ。

そなたを思うとなりふりも構わぬ、それが…それが恋ではありませぬか…!」


島津殿は私の腕の中、目を閉じた。

閉じた目の縁から涙がすうと流れて落ちて行く…。


「憎い…お前が憎い、私はお前が憎い…!

謙信、私は一生お前を、お前だけを憎んで、お前の不幸だけを願う…!」


彼女はくずおれ、声をあげて泣いた。

私を、私だけを憎んでくださるか…。


「これは嬉しい事…島津殿は私を憎んでくださるのですね。

それが憎しみでも、私という男を心に置いてくださるのですね…」


島津殿の上にかぶさり、私はいつかの雨となって降った。

私は雨、島津殿はしおれる花。

耐えて待つならば、私が春を調えてさしあげよう。

願いとは異なるが、願い以上の春を。


それからの島津殿は大人しいものだった。

景勝の名を口にする事もなくなった。

一日を春日山城の奥深くのあの部屋で、読書や手習いをして過ごしていた。

最初は口も聞いてもらえなかったが、次第にぽつりぽつりと口も聞くようになり、

今ではおしゃべりを楽しむほどにまでなった。


「…ここは海が近いのだな、部屋からは見えぬが匂いはかすかにでも届く」


そのおしゃべりの最中、島津殿がそう言った。

春のある夜だった。


「すぐ近くではないのですが、別の部屋からは海が見えまする。

夜ならば人目にもつかぬ、見に行きませぬか?」


私は島津殿を本丸から、海のよく見えるところまで連れ出した。


「海には月明かりのみ…私のいた世の海とはずいぶん違うのだな」

「島津殿の海はどのような海にござりまするか?」

「『温し夜の沖に港に煌めける 人の灯りは春の烏賊かな』…港だから夜も賑わっておる。

灯りが烏賊のように群れをなしておる」

「それは…極楽浄土にござりまするか」


島津殿は恐らく前の世で一度死した者…。

だからこそ消えていなくならぬか心配で、執着せずにはいられない。


「わからぬな」

「島津殿…この先私が死んだら、私はこの世の全てから解放されまする。

その時島津殿は、私をそばに置いてもらえまするか?

憎しみを子に、私と永遠を連れ添うてもらえまするか…」

「無理だな、謙信ごときに私は落とせぬ」


今、島津殿が笑った…?

それは落としてみろという事だろうか。

私の胸がどきんと高鳴った。


「私はこんな春日山城のような、わかりやすい城ではない。

包囲して孤立させ、時間を稼げば、それで陥落するような城などではない」


城などと面白いことを言う…。

今度島津殿に兵法を教えてみようか、彼女ならきっとすぐにものにする。

夜を島津殿と城攻めについて語り明かせたら、どれほど楽しい事だろう。


「『春の日に花も若葉もよそにみて 星のみ祈るわれは山城』、

…私は全てを捨てて、そなただけを見つめる山城で良うござりまする」

「…『山城を袖で覆へば星もなく 道に迷ひて易く落つかな』、

そんな山城など抱いて目を眩ませれば簡単…」

「島津殿、私と夜を共にしてくださるか…!」


島津殿は今度ははっきりと、笑顔を見せた。


「まさか」


春を過ぎて戦に出ても、もはや城を落とす事など頭にはなかった。

そんな事よりどうやって島津殿を陥落させるか、そちらの方が大事だった。

戦場に女人は同行出来ぬ、そういう時は稚児を同行させるものだが、

いく人の美しい稚児を側に置いても、もう色褪せて見えるばかりだった。

私は春日山城に置いて来た島津殿を思うと、いてもたってもいられなかった。

どうしているだろうか、誰かが部屋に忍んでなどいないだろうか…。


戦況は悪くはなく、むしろ快進撃なくらいだった。

それもこれも、早く戻りたい一心からだった。

九月のある夜、私のいた隊は逃げる敵軍を追っていた。

隊の事なので人数は少なく、敵も必死でそう易々と捕まえさせてはくれなかった。

そんな敵の動きが急に止まった。


目を凝らすと前方に馬にまたがったひとりの兵がいた。

白の頭巾で顔を隠している、装備は上杉の物らしいがそんな兵などいただろうか。

兵は太刀を手に、まっすぐに敵中へと突き進んで行った。

単騎駆けなど…なんという無謀。


その勢いで兵の頭から頭巾が外れ、白妙が後ろへと流れて行く。

しっとりと濡れたような長い黒髪が風に舞った。

兵は女だった。

私は露になったその顔を見て、驚愕した。

女は島津殿…!


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