第2話 恋歌
第2話 恋歌
島津殿を愛人になど…!
…大変な侮辱なれど、なかなか良い考えだ。
愛人などではなく、正妻にしてしまえば景勝との間も裂く事が出来る。
しかしそれは到底実現出来ぬ事。
私は出家の身、その上生涯不犯を公言してしまっている…。
「誰か傘を…せっかくの花が雨にしおれている」
島津殿の様子を見に部屋へ近づくと、彼女の声がした。
…花に傘など、優しいところもあるのか。
その優しさを花や景勝などにではなく、少しでも私に向けてくれたら嬉しいのに。
「うっとおしく雨の降る事よの、島津殿」
私が部屋に踏み込んでも、島津殿は振り向きもしない。
雨に打たれる花をじっと見つめ、それからようやく口を開いた。
「…『悲愴なる雨に打たれし花たちの 耐へてまた咲き恋歌ふ春』。
いくら謙信なる雨に打たれても、景勝様の事を思えば私は耐えて春を待てる」
「これは驚いた…島津殿は歌を詠まれるか」
まさか男のようななりをした行き倒れに、歌の心得があろうとは。
これならば教えればきっと…。
その日から私は書物や硯の一式、紙などを手みやげに、
島津殿について歌や手習い、琵琶などを見てやる事にした。
彼女は器用な質なのだろう、私が教える事は砂に水が染み込むように覚えていき、
教える私の方が、逆に楽しまされるほどだった。
島津殿は武芸にもその器用さを発揮した。
彼女は身体に恵まれているから、こちらの方が向いているのかも知れない。
退屈しのぎに馬術や刀剣類、弓などを教えてみるとこれもすぐに覚え、
流鏑馬をさせてみると、私より命中率が高いくらいだった。
「島津」と呼ばれるからには、彼女も島津の一門の人間なのだろうか。
ちょうど上杉の家中にも島津の者がいるので、質してみたがどうもそうではないらしい。
彼女のたしなみはただ人のものではない、どこか武門の女だったのだろうか。
夫はあったのだろうか…いや彼女に夫など許せぬ。
…これほどのおなごを誰にも、ましてや景勝などに渡したくはない。
だが妻には出来ぬ、かといって愛人などと粗略にもしたくはない。
どうしたものか…。
冬の始めの雪降るある日の事だった。
雪にかこつけて島津殿の部屋に引きこもり、手習いを見てやっていた。
彼女は黙ってかな文字の練習をしていたが、冷えるのであろうか、
時折手をさすって揉んで温めようとしていた。
それを見かねた私が後ろからその手を取ると、島津殿は顔をそむけた。
「私を見てもらえぬとは、悲しい事だね」
「私が見ているのは景勝様だけだ、他は目に入らぬ」
「その景勝が謙信ならば、どれほど幸せな事か…」
私はそのまま島津殿を抱きすくめた。
「島津殿、どうか…!」
重ねた衣を通してでも、女の身体の柔らかさが伝わってくる。
甘く優しい匂いが火を熾すように、私の気持ちをかき立てる。
島津殿も衣越しに私の、男の身体の熱さを感じてくれているだろうか。
「私を手篭めにするか、謙信」
島津殿は顔色ひとつ変えず、冷静のままだった。
「そんな、手篭めになど…」
「男が力で女を手篭めにするのは至極簡単、暴力で制圧するならなお簡単。
無益な戦だな、謙信よ…相手を誰だと思っている」
「そなたとは思い合いたい、思い合った上で愛し合いたい。
島津殿…私を見てくれぬか、少しでも私を思ってはくれぬか」
自分自身はこういう事に縁はなくとも、関心はあった。
生涯不犯の誓いの影で、誰よりも恋や愛を思った男だった。
だがまさかこんな歳になって、しかも出家の身になってから、
こんな事を言うようになるとは思いもしなかった。
男女のこんなやりとりなど、物語の中だけの事と思って来た。
見果てぬ夢と思って来た。
女の代わりにと、何人もの美しい少年を側に置いた。
でももう見果てぬ夢などではないのだ。
「お前など見ぬ、私はお前など少しも思わぬ」
「島津殿…!」
今、私のこの腕の中に島津殿がいる。
側に置いた何人もの美少年たちも、彼女というたった一人の女には敵わぬ。
どうして手放す事ができようか…そなたが欲しい。
私は動いた。
「おやかた様」
その時、部屋の外から家臣が私を呼んだ。
「後にいたせ」
「しかしながら、景勝様が至急にとお目通りを願っておりまする」
「景勝? 追い返せ!」
部屋の外が騒がしくなった、景勝を追い返すのに揉めているのだろう。
ところが部屋の障子を開けるものがあった。
「ご無礼いたしまする」
「景勝…!」
その名に、島津殿と景勝の視線はまた絡み合った。
初めて出会った時と同じように。
「島津殿…まさか父上と?」
「景勝様、違います…! 違います…!」
島津殿は悲しそうな顔でうなだれ、幾度も首を横に振った。
「…まあそういう事だ、諦めよ景勝」
事実こそないが、そう取られてもおかしくはない。
そんな状況を私は利用した。
私は一体いつから、このような義もない男になったのだろう。
「ひどい…! 私が一番に心を寄せていたというのに!
ひどうござりまする、父上も、島津殿も…!」
景勝は涙を流しながらそう罵ると、部屋を飛び出した。
「景勝様…!」
島津殿が立ち上がり、その後を追おうとした。
ならぬ、行かせぬ…!
私は島津殿の髪をつかんだ。




