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冒険者ギルドは公平で健全でうさんくさい  作者: 遠野 文弓
第1章 冒険者ギルドができるらしい

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8.用水路に住むクレリック ②

 戸口に立っていたのは、十歳そこそこの少年だった。屋台の下働きなのだろう、前掛けには粉と煤がつき、鼻の頭まで黒く汚れている。片手で反対の手首を押さえていた。


「いるよぉ。どうしたの?」


「焼き台の鉄に手ぇついちゃって……」


 エスは迷いなく少年の手を取って、手の平を上に向けさせた。赤く腫れ、水ぶくれがいくつも浮いている。


 エスは桶に水を汲んでくると、濁った水面に指先を浸して短く祈った。水面が淡く光る。ぱっと光が引くと、水は透き通っていた。


 エスは少年の手首を取り、透き通った水にそっと浸けさせる。しばらく冷やしてから、懐から小さな壺を取り出した。桶を取りに行くついでに持ってきていたらしい。

蓋を開けると、苦い根の匂いがした。


「待て。その薬は何だ?」と、聞いたのはイチロクだ。


「これ? 火冷草と銀蜜根を蜜蝋で練ったの」


「銀蜜根だと?」


 イチロクの眉間に皺が寄る。

 無理もない。銀蜜根は治癒の水薬(ポーション)に使われる草のひとつである。まともに買えば半株で金貨が飛ぶ高級品だ。


「その軟膏に、銀蜜根を練り込んであると?」


「うん。効くもん」


「効くだろうとも。それを小僧に塗る阿呆があるかと言っておる。金貨を溶かして塗るようなものだ」


「ああ、黄金はダメなの。試したことあるよ」


 イチロクは言葉を失った。


「冗談だよ」とエスは笑う。どこまでが冗談だったのかには触れず、少年の手の平を覗き込んだ。

 軟膏を指先に取り、布切れに薄く伸ばす。それを火傷の上に当て、包帯でゆるく巻いて固定する。


「できた! どう?」


「痛くなくなったよ!」


「へー。治りが早いねぇ。火冷草だけだとこんな効果は出ない。――大いなる書を拝読する栄誉に(くみ)した。この恩寵に、伏して感謝を」


 慈愛に満ちた口調だったが、少年の痛みが引いたことなど、彼女にとっては副産物にすぎないようだった。


 オウルは堪えきれずに笑いだす。


「傑作だな、イチロク。こいつはあんたの天秤じゃあ量れねえぞ」


 エスは言われたことにも頓着せず、作業台代わりの木箱から紙を引き寄せた。紙には文字がびっしりと書かれている。湿気で角が丸まってしまっていたが、妙に新しく見えた。

 彼女は平然と、すくいあげた軟膏をそこに乗せる。


「はい、これ。夜と朝に塗り直してね。水ぶくれが潰れたときは厚めに塗って」


 横目で見ていたイチロクは、紙に捺された印章を目に留めた。

 印章? ただのメモや薬包みにそんなものは要らないはずだ。

 エスがそれを少年に差し出そうとしたので、イチロクは思わず声を飛ばした。


「待て。その薬包みは何だ?」


「……。紙?」


 イチロクは少年の手に渡りかけていた薬を、横からひったくった。軟膏でべっとりと汚れてはいるが、文字ははっきり読める。


『冒険者ギルド設立に伴う――』


 イチロクの眉間に、ますます深い皺が刻まれる。


「お前、これを薬包みにしたのか」


 イチロクはぐちゃぐちゃの紙を広げて、素早く目を走らせた。


「冒険者ギルド設立に伴う、回復資材調査協力依頼。未許可の水薬(ポーション)および治癒術媒介物については、支援会窓口へ申告されたし……」


 読み上げるうちに、イチロクの顔が険しくなっていく。

「くだらん。まだ設立前ではないか」と苦々しく息を吐き、紙を折り直した。どうせもう軟膏まみれだ。


 少年は、エスとイチロクを交互に見た。


「えーと、これ、持って帰っていいやつ?」


 渋い顔をするイチロクに、エスは不思議そうに首を傾げた。


「だって、置いてったんだよ。今さら返せって言われても」


 少年は薬包みを胸に抱えたまま、前掛けから銅貨を二枚取り出したが、エスはその手を押し戻した。


「いらないよ」


「でも、母ちゃんが払えって」


「じゃあ、今日の売れ残りをちょうだい。売れちゃったら、野菜の切れ端とか」


「そんなのでいいの?」


「うん。それと、用水路の中央は渡らないで。こないだ崩れそうだったの」


「わかった」


 少年は銅貨と薬包みを前掛けのポケットへ押し込んだ。それからぺこりと頭を下げ、小走りで路地へ戻っていった。


 エスは少年の背中に手を振り、イチロクは難しい顔で鉢植えの薬草を見ていた。

 オウルはその二人を見比べて、喉の奥で笑った。


「こりゃあ冒険者ギルドも困るわけだ」


「困るの?」


「神官サマが水薬(ポーション)を作ってる。金は取らない。神の御業です、で済ませるには、ちょっとな」


 神官の〈奇跡〉なら話は簡単だ。

 祈り、念じて、それが神に聞き届けられたならば、傷は塞がり、毒や呪いは解け、死にかけた者は現世へ引き戻される。それは神の成したことである。

 神の御業に値は付かない。


「教会は商売をしないんだろ? 治療費じゃなくて寄進。建前はそうなってる」


「建前じゃないよ?」


 だが、水薬(ポーション)となれば話が変わる。

 そこには材料があり、手間があり、数がある。数えられるものは値をつけられる。値がつけば、商品になる。

 オウルは棚に並んだ小瓶を指した。


「潰れた礼拝堂にはみ出しの神官がいて、金貨が飛ぶような草を勝手に育てて水薬(ポーション)を作ってる。なのに、商売じゃない。だから困るんだろ」


「町の教会は何も言わないのか」と、イチロクが問う。


「言うよ。『本堂には戻るな』って。わたしがいると、薬草庫の鍵をもっと増やさなきゃいけないからね」


 イチロクが目を細めた。


「管理できんから追い出されたのだな」


「この礼拝堂を任されたんだよ」


「それを追い出されたというのだ」


 エスは不思議そうに瞬きをする。


 オウルはひとしきり笑ってから、礼拝堂の入口へ向かった。


 礼拝堂を出ると、昼に近づいた陽射しがまぶしい。

 用水路沿いの石壁には、冒険者ギルド設立を知らせる真新しい告知紙が貼られている。まだ雨にも泥にもやられていない。文字は大きく、遠目にも読めるようになっていた。


『公平な査定』『健全な依頼管理』『適正な資材供給』


 オウルはそれを横目で見て、鼻で笑った。


「ほんと、どこにでも貼ってあるな」


 誰が金を出しているのか知らないが、冒険者ギルドは、何を知らせるにも新しい紙を貼りたがるらしかった。


 オウルは告知紙から目を離した。


 そろそろ腹が減ってきた。飯代がいる。


「じゃ、おれは支援会に行くぜ」


 オウルが言うと、イチロクはすぐに顔をしかめた。


「何のために」


「仕事探し。そろそろ飯も食いてえし」


 面白い仕事がいい。うまくやれば得をして、しくじれば損をする。命が乗るならなお悪くない。


「まともな理由のはずなのに、なぜこんなに嫌な予感がするんだ」


 イチロクは吐き捨てるように言いながらも、帰るつもりはないらしい。

 エスは緑のマントを僧衣の上から羽織り、薬草袋を肩に掛けた。こちらも当然のように歩き出そうとしている。


「お前も来るのかよ」


「うん。薬包みの紙がもう少し欲しいの」


 イチロクがまた頭を抱えた。

 オウルは楽しげに肩を揺らしながら、石畳の道を歩き出した。

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