88.なんで?
オウルはもうにこにこ笑って上半身を起こしていた。パーニアはその顔を呆れたように一瞥して椅子を引く。
「ここにいてくださいね」
パーニアはすぐ、椀とパン皿を持って戻ってきた。大麦と豆を煮崩した、とろみの強い粥だ。刻んだ香味野菜と塩漬け肉の切れ端が入っている。皿には小さな丸パンが二つ載っていた。
「ありがとな、ミラ」
「パーニアさんと呼びなさい」
オウルはもう聞いていなかった。パンをちぎって粥へ沈め、口へ放り込む。
パーニアは向かいへ座り直した。オウルが肉を噛みながら顔を上げる。
「北門について、わたしから聞くことはこれで終わりです。少なくとも、ここでわたしが罰金を決めたり、あなたを除名したりする話ではありません」
「じゃあ帰っていい?」
「それとは別に、ロスカさんからあなたに話があるそうです。今、使いを出しています」
オウルは二つ目のパンへ手を伸ばした。
「誰?」
「アルヴェイン・ロスカさんです」
「ああ。おれの聖印目当てで依頼してきた奴だ」
冒険者ギルドの設立準備が終わったあとも、アルヴェインは市政庁側で制度の運用を担当している。そんな話を聞きながら、オウルは気にせず食べ続けた。
パーニアも急かさなかった。食わせたほうが話が早いと判断しただけなので、椀の中身が減っていくぶんには都合がいい。
オウルが粥をパンで拭っていると、パーニアが聞いた。
「今晩はどこに泊まるんです?」
「さあ」
「昨日はどちらに?」
「イチロクんとこ」
「今晩も?」
「近くを通ったらな」
パーニアはそれ以上聞かなかった。オウルが椀から顔を上げる。
「何かあんの?」
「三日後はどこにいますか?」
オウルは食べる手を止めた。何言ってんだ? と言わんばかりの顔だった。
パーニアはオウルの返答を待たなかった。
「聞いてみただけです」
オウルは怪訝そうに、最後のパンを粥へ押し込んだ。
「その辺りはロスカさんと話してくださいね。わたしも後で顔を出します」
食べ終わり、パーニアもいなくなると、途端に暇になる。
椅子を後ろへ傾けてゆらゆら揺れてみる。それにも飽きて、腰の袋から六面サイコロを一つ出した。
卓へ転がす。三。もう一度。五。
六が出るまで前脚を床につけないことにして振る。一。五。二……。
そのうち座っているのにも飽きて、座面へ両足を上げた。しゃがんだまま片手で背もたれの上端を掴んでバランスを取る。空いた手でまた振る。四。
なかなか出ない。ちょっと面白くなってきた。
十一回目にようやく六が出たところで、廊下の向こうから足音がして、見覚えのある顔が覗いた。細身の男。濃い色の上着に、きっちり整えられた髪。相変わらず、この街では少し浮いて見える。
アルヴェインはオウルを一目見て、ぴたりと動きを止めた。椅子の座面にしゃがみ込み、片手で背もたれを掴んでいるオウルを見る。
それから、ガタン! と音を立てて着地した椅子の前脚を見た。
「……お久しぶりですね、オウル・ダウングリーン」
「久しぶり」オウルはサイコロを拾い、そのまま座面からひょいと足を降ろして座り直した。
「待ちくたびれたぜ」
アルヴェインは空いている椅子を引き寄せた。
「北門での件については、概要は聞きました」
「じゃ、帰っていい?」
「いえ、もう一件あります」
「やだ」
「ありがとうございます」
「人の話聞かねえよな、あんた」
言いつつオウルは気分を害した様子もなく笑っている。アルヴェインも気にしなかった。
「先の招集で、こちらでもいくつか運用上の問題が出ました。急に人手が必要になった場合、少なくとも、誰が今ニックブレードにいるのかくらいは把握しておきたいと思いましてね」
「はあ」
オウルは早くも卓へ肘をついている。アルヴェインは続けた。
「全登録者を常に把握するのは非現実的ですが、たとえば緑等級以上の登録者がどれだけ町にいるか、くらいは押さえておきたい」
「ふうん。大変だなぁ」
「他人事ではないんですよ。あなたも緑等級なんですから」
アルヴェインはオウルへ向き直る。
「ですからあなたには、町を離れるとき、冒険者ギルドの窓口へ一度知らせていただきたいのです」
「知らせる?」
そこでオウルは受付のほうを指差した。
「ギルドで仕事受けたら、出る日と戻る日くらいは言ってるぜ。追加で、装備とか、通る予定の道とかも伝えろってこと?」
「いえ。お知らせいただくだけで構いません。ギルドからの依頼に限らず、毎回」
「はあ。何のために?」
「あなたがニックブレードにいるかどうかを、こちらで把握するために」
「じゃあ、西のほう行こうって思ったら、おれ一回こっち来なきゃいけないの? 遠回りになるけど」
「ええ」
オウルは椅子の背へもたれた。
「えー。やだなあ」
強く拒むほどでもない。ただ面倒そうだ。アルヴェインは少し考えた。
「確かに、手間ではありますね。我々がそうしたい理由については、ご理解いただけていますか?」
「あんたらが困るからだろ」
「では、たとえば週に一度、ここへ顔を出していただくとか」
「おれ、一週間後にここにいんの?」
「そうなりますね」
「わかんねえって、そんな先の話は。予言者にでも聞けば?」
「事前に決めていただければいいのでは?」
「なんで?」
アルヴェインはじっとオウルを見た。
「なるほど。……週に一度でも難しいですか」
「難しいっていうか、なんで?」
「わかりました。では、別の方法を考えましょう」アルヴェインは、今度は少し身を乗り出した。
「冒険者ギルドには宿泊支援があるのはご存じですか」
「知ってるよ。対象の宿を使ったら、宿代の一部が還元されるんだろ」
これにはアルヴェインが、意外そうな顔をした。
「おや。お詳しい」
「あんたらが出してる告知はだいたい読んでるよ。一応ルールだしな」
アルヴェインの表情が少し明るくなる。
「では、宿を連絡先にしましょう。急ぎの用件があれば、こちらから伝言を預けられますから」
「まあ、いいけど」
「どちらの宿に泊まりますか」
「さあ。まだ決めてねえよ」
「いつ決めますか?」
「泊まるときに」
アルヴェインは少し黙った。
「では、よく使う宿を二、三軒だけ決めていただけませんか」
「え。なんで?」
「急ぎなら、そこへ順に人をやれますから」
「ほかで寝るかもしれねえじゃん」
「ほかで寝る? なぜです?」
「いや、知らねえよ」
オウルのほうが怪訝そうだった。
「その辺で飲んで、そのままどっか泊まるかもしれねえし。天気がいいなら別に屋根付きじゃなくてもいいだろ。泊まりたい日は泊まるけど」
アルヴェインはしばらく考え込んだ。
「では……。一つ、確認させてください。『今日、日没までここにいてください』と言われたらどうします? たとえば、何か仕事を引き受けて、その条件として今日の日没までここで待つよう言われた場合は?」
「ああ、引き受けたなら普通にいるぜ」
「明日の朝が集合時刻だったらどうです。集合できますか?」
「当たり前だろ」
アルヴェインは椅子へ座り直した。
「では、仕事と思って、三日後ここへ来てくれませんか」
「なんで?」
アルヴェインが黙り込んだ。
オウルも黙っていた。ほんの少しのあいだだけ。しばらくアルヴェインの顔を見ていたが、やがて椅子の背へもたれ直した。
「なあ。もう帰っていい?」
「その感じだと、話はまだ終わってないみたいですね」
横から声がした。いつの間にかパーニアが戻ってきていた。立ったまま、オウルの横に立つ。
アルヴェインがようやく口を開いた。
「……個人に約束をするから、難しいのでしょうか? 所属先があれば、あなた個人を探す必要はなくなりますかね」
オウルが首を傾げる。
「所属」
「ええ。どうでしょう、たとえば、護衛組合へ所属してもらうというのは」
オウルはぽかんとして、そのままパーニアを見上げた。パーニアは小さく眉を寄せている。
「ドランベルクさん、嫌がると思いますよ」
「戦力として不足があると?」
「そういう問題じゃないんです」
「では、これからドランベルクさんと話してみます。同行願えませんか?」
「うーん……」
腹は満たされている。パーニアに食わせてもらったばかりだ。オウルはパーニアを見上げたまま尋ねた。
「おれ、行ったほうがいい?」
「お願いしたいですね」
「じゃあ行く」
アルヴェインは少し困惑した面持ちで二人を見比べていた。




