85.手札の役がわからない
イチロクの話によれば、競りは質屋で行われるらしい。
ところが、その質屋は倉庫と荷捌き場まで抱えたなかなか立派な建物だった。どこに入口があるのかもよくわからず、探すのも面倒になったオウルは、早々に建物の脇へ回った。
すると屋根の下を縦に一本、荷車が通れる幅の道が走っている。その左側は倉庫から出した荷をいったん置く場所で、木箱や古棚が積まれていた。右側には競りにかける品が三列に並べられ、客が自由に下見をしている。
普段使っている荷捌き場の右半分を客に開放しているらしいが、オウルは反対側から出てきてしまったようだ。
右側へ行こうとしたところで、木箱を押しつけられた。
「それ持ってけ。一番奥な。ちんたらすんなよ、下見始まってんぞ!」
訂正するのも面倒で、オウルは「へーい」と間延びした返事をしながら箱を受け取った。やたら重く、歩くたびに中でガチャガチャと金属のぶつかる音がする。
荷を仕分ける作業員の間を縫って奥へ進む。
「もっと奥! その棚の横だ!」
作業員が指したのは、荷車道との境に並べられた背の高い棚だった。棚の向こうには競り品の列が見えるが、こちら側にはまだ仕分け前の箱や板が続いている。
オウルが言われた通りの場所に箱を下ろすと、男はさっさと次の木箱へ手を伸ばした。
さて。
オウルは当然のように箱へ足をかけ、そのまま棚を越えようとした。
「おい、登んな! 轢かれてえのか!」
言われて下を見ると、棚の向こうは荷車道だった。ちょうど倉庫口から一台出てくる。
「じゃ、どっから行くんだ?」
「あ?」
「競りの下見だよ」
「はあ? お前客か? 紛らわしい格好してんなよな!」
オウルは笑って肩をすくめた。
「そっちが勝手に働かせたんだろ」
「客が裏から入ってくんなよ! ……もういい、ちょっと戻れ。そっちの棚は隙間あけてあるから、そっから抜けろ!」
「お前らが勝手に入れたのに」
実際、オウルは正しく勝手に入ったのだが、文句を背中で聞き流して向こうへ抜けた。
そこには、競りにかけるらしい箱が一列に並べられていた。すぐ左を荷車道が走り、その向こうではまだ作業員が荷を仕分けている。
こちらは二十人ほどが箱の間を歩き回り、気になる品を勝手に手に取っている。
オウルも手近な箱から見ていった。
最初の箱では、男が薬瓶を一本抜き、光に透かしている。その隣では、別の男が鋏を取り出し、噛み合わせを確かめると、すぐ元へ戻した。
どこを見ているかはわかるが、なぜそこを見るのかはよくわからない。
箱の脇には『革道具』『厨房雑具』『木工道具』などと炭で書かれた箱があったが、分類も怪しい。
箱の間を歩いていると、少し離れたところで頬のこけた男が古鍋を持ち上げた。革の前掛けをつけ、片耳には小さな銅の耳環をつけている。
別の客が小箱から細い刃物を抜くと、男の目が一瞬そちらを見た。客が刃物を戻して去ると、男も鍋を戻した。小箱へ寄り、さっきの刃物を取り上げて刃先を覗く。
――他人が見たものを見る奴もいるわけか。賭場にも、他人の顔ばっか見ている奴はいるよな。
オウルは箱に目を戻した。探すものは一つだ。
『金物』
雑多な金物の奥に、ずんぐりした金属の台座がある。
引き上げてみると、やはり小型の上皿天秤だった。片方の皿が、素人目にわかるほど傾いている。
オウルは秤をひっくり返した。底には油とも埃ともつかない黒くべたつくもので汚れており、継ぎ目まで埋まっていた。爪を立てると黒い汚れがぽろぽろ落ち、小さな留め金が現れた。
これでは開けるのも難儀しそうだ。腰に差してきた短刀の背を留め金へ押し込み、力をかける。ぱき、と乾いた音がした。
「やべ」
壊したかと思ったが、留め金がずれただけだった。底板を引くと、細い梁や軸の奥に、薄い灰色のものがある。細長く、先が二股に分かれていた。
イチロクが板切れに描いた形と同じだ。
――魔石は残っている。
借りてきた細い金属棒を差し込み、魔石へ当てて軽く弾く。
うゎん、と高く震える音がした。オウルは首を傾けたまま少し待った。
「うーん……」
――まあ、生きてるんだろうな。たぶん。
そう判断して、秤を箱へ置いた。
顔を上げると、少し離れたところに耳環の男がいた。古い錠前を持っている。
目が合う。
耳環の男は、すぐに錠前へ視線を落とた。
「下見はそこまで!」
競り役の声が響いた。
「持ってる物は箱へ戻せ! 売ったあとは返品なし! 見落とした、壊れてた、数が足りねえ、全部知らねえからな! 言った値も引っ込められねえぞ!」
客が箱から離れていく。
「競り中の相談もなしだ! 売れたあとは好きにしろ!」
最高値を出した者が買う。言った値は戻せず、競り中の相談は禁止。落としたあとは好きに売っていい。
競りは銀貨単位で行われる。最低額は銀貨一枚から。
最初の箱は二まで上がって木槌が鳴った。
一度見れば十分だ。
値を上げて、最後まで残った奴が買う。
競りそのものは簡単だ。だが、考えることが山ほどあった。
たとえば、下見でほとんど品に触れていなかった白髪の老人が、古い押し型や革包丁の箱を三で落とした。オウルはあえて軽薄に老人に話しかけた。
「なあ爺さん、それ下見してなかったろ。三も出す価値あんの?」
「二十年前まで同じのを使っとったでな。今さらべたべた触って何になるかね」
――そういえばイチロクも、今日は現物を見直しに来なかったな。
知っていれば、下見でひっくり返して確かめる必要もないわけだ。
次は、革帯や金具の入った箱だった。
競りでは革屋らしい男が六まで出していたが、別の男が箱を落とすと、その場で中身を分け、太い革帯を差し出した。
「これ要るか?」
「革帯だけなら銅貨八枚」
二人は少々揉めた末、革帯は銅貨八枚――この競りの単位では〇.八で革屋へ渡った。
どうやら、競り落として終わりではないらしい。いらないものを欲しがる奴へ回す。そこまで込みで値をつけている。
だが、とオウルは閉口した。
そういうのは苦手だ。得意なのは賭けであって、胴元みたいに金儲けをすることじゃない。
誰が何を欲しがるか見て、箱を買って、あとから振り分けて金を取るとなると、それはもう勝負というより商売だ。
そして、ここにいる職人たちは、その商売をしに来ているのだ。
分が悪い。
「次!」
前へ運ばれた箱には見覚えがある。
下見で、袖口に黒い金属粉をつけた男が長く調べていた箱だ。中には柄のない小さな手回し式の研磨器が入っている。男はその軸や台座を何度も確かめていた。
競りが始まると値はすぐ上がり、男が四を出した。
「四! ほか!」
オウルは男を見る。
四までは迷わなかったし、もう一つくらいは追いそうだ。
――五を出してみたい。相手がどう動くか見れば、もう少し手の内がわかるんだが。
しかし、こいつの手を見て何になる? 男が降りたら、柄のない研磨器がオウルのものになる。イチロクからもらった銀貨五枚ちょうど。それで競り落としたとして、あんなのいったい何に使えっていうんだ。
「四で売った!」
木槌が鳴る。
相手より一つ上へ張ればいいわけではない。勝てばいいわけではないのだ。競り落とした後のことまで考えなければいけない。
その手が、オウルにはまったくない。
落札した男が箱を受け取ると、知り合いらしい男が研磨器を覗き込んだ。
「それ、柄がねえじゃん。四も出したのかよ」
「うちにあんだよ、この型がさ。前のが割れてて」男は研磨器の軸をつまんだ。「これなら合うぜ」
「じゃあ部品取りか」
オウルはそちらを見た。
男にとっては、柄がなくても構わないのだ。工房にあるから。
同じ物を競っていても、勝ちの条件まで同じとは限らない。
パトロンを背負った奴と賭けるようなものだろうか。
次の競りが始まった。
前掛けの女は、競りを降りた途端に隣の石臼へ目をやった。木工道具を落とした男は、買った箱を足元へ置いたまま、同じ幅の刃ばかり探している。
耳環の男は相変わらず、自分ではほとんど値をつけず、誰かが気にした品をあとから確かめていた。
相手がどんな手札を持っているのか見えない。それどころか、その手札で何の役を作ろうとしているのかもオウルにはわからない。
柄のない研磨器を落とせば勝ちの奴もいるし、箱をばらして売れば勝ちの奴もいる。必要な物を一つだけ取れれば、それでいいという奴(オウル自身がそうだ)もいる。
同じ競りに参加していながら、勝利条件がバラバラだ。
こりゃあ、だいぶ分が悪いな。
オウルは、次の箱を待った。




