84.身づくろい
イチロクは作業台の脇まで歩き、オウルの胸当てを指差した。
「まず、それを脱げ。腰の荷物もいったん外せ」
オウルは肩をすくめ、胸当てを外した。濃紺の胴着が現れる。
腰回りから荷物を降ろして、短剣だけを吊るしている状態だ。
イチロクは鞘を掴み、後ろへずらした。柄が上着の脇から大きく張り出さないよう、革紐を結び直す。
「これでいいのか?」
装備を剥がされたオウルは、両手を軽く広げてみせる。
胴着と長靴は変わっていないのに、荷物を降ろして剣を後ろにやるだけで、ずいぶん細く見えた。
イチロクは答えず、作業台の下へしゃがみ込み、積んである木箱の一つを引っ張り出す。中には畳んだ布や古着が何枚か入っていた。その一枚を、オウルへ投げてよこす。
受け取って広げると、襟の低い腰丈の上着だった。肘や袖口に使用感があるものの、布は厚く、毛羽立ちもほとんどない。裏返してみると、肩や脇には当て布までされていた。
「すっげーいい服だな」オウルは胴着の上から袖を通した。肩を回す。「動きやすいし」
「そうだろう」イチロクの声は満足げだ。
「じゃ、これ着て競りに行けばいいんだな」
イチロクはオウルから一歩離れて、イチロクは腕を組んだ。上から下までじろじろとオウルのなりを見る。近づいて裾を摘まみ、布の厚みを指先で確かめる。顔を上げて上着ごとオウルを見るが、眉間に皺が寄った。
「来い。工房の若造らしく見えるか、誰ぞヒューマンに見せてみよう」
「おれもヒューマンだけど?」
「役に立たんほうのな」
二人は工房を出た。
*
オウルはイチロクの半歩後ろを歩く。
身体が軽い。いつもなら歩くたび革袋や金具が腿へ当たるのに、今日は短剣の鞘がたまに尻の横へ触れるだけである。
しばらく歩くと、重たい油の臭いがした。
そちらを見ると、馴染みの油屋がある。軒先に大小の壺を並べ、店先では中年の女が木べらで壺の縁についた油を落としていた。
オウルは手を上げた。
「よっ。おばちゃん。今日もやってるねえ」
油屋の女が顔を上げる。オウルの格好を見て、木べらを持ったまま目を見開いた。
「誰かと思ったら、オウルじゃないか! ようやくまともに働く気になったのかい?」
「そう見える?」
「どっかの工房にはいったのかい。ずいぶん羽振りのいい親方じゃないか」
イチロクが顔をしかめた。
「なぜ羽振りがいいと思うんじゃ」
「なぜってそりゃあ、見りゃわかるさ。この上等な服。あんたが親方かい?」
「違う。そいつに服を見繕っただけじゃ」
油屋はわけがわからないという顔をして、オウルの腕をぎゅっと掴んだ。そのまま何度か揉む。オウルはされるがままだ。揉まれた袖には浅い皺が寄っただけで、手を離すとすぐ目立たなくなる。
「こいつにこんないい服をやって、いったいどういうつもりだい?」
「古物競りじゃ」
「競りぃ?」
油屋の反応に、イチロクは苛立たしげにひげを撫でた。
「わしの代わりに競りに出てもらう。工房の使いで買い付けに来た若造に見えればよい」
油屋は合点がいったようだったが、途端に大きく笑いだした。
「駄目だね! 値切るどころか、ぼったくられちまうよ!」
「上等な物の何が悪い!」
「悪いとは言ってないだろ、頭の固いドワーフだね!」
女はもう一度、オウルを頭から足まで見た。
暗色の上着は古びてこそいるものの、肩から袖まで身体へ沿っている。膝下まである革の長靴も、あちこち擦れてはいるが革は上等だった。山道を歩く探索者なら珍しくもない品だが、工房の使い走りの足元にあると話が変わってくる。
安い賃金で雑用をさせられている若者には見えない。服は上等なのに、頭では伸びた髪が耳の周りで好き勝手に跳ねている。
なんともちぐはぐだった。
「こんな子が競りにいたら、あたしなら親方の倅だと思うね。どっちにしろ、金を持ってる奴が後ろにいるだろうってさ」
油屋は鼻を鳴らして、店の中へ入り、壺の蓋を一つ閉める。
前掛けについた油をもう一度拭き、そのまま店先の板戸を半分だけ寄せた。
「とにかく、その服じゃだめだ。古着屋で選んでやるよ。あんたらだけで行ったら、また変なの選ぶだろうしさ」
「うるさいわ!」
三人で歩き出す。
*
古着屋は、工房通りから一本外れた細い道にあった。
軒先に吊られた服が風に揺れている。
店内は狭かった。
左右の壁に木竿が渡され、服がぎっしり掛けられている。歩くたび肩が袖へ触れるほどだ。
「仕事着を見繕ってくれないかい。こいつに合うやつをさ」
油売りが言うと、奥にいた中年の女がオウルを一度見て、立ち上がった。
竿から二、三着抜くと、イチロクは横から手を伸ばした。
「待て。それは駄目じゃ。ここの糸が痩せとる!」
次。
「布が薄い!」
次。
「脇の継ぎが甘い!」
油売りがとうとうイチロクの肩を押した。
「あんたさ、ちょっと黙ってなよ」
「なぜじゃ」
「終わらないからだよ」
オウルは店の中央で立ったまま、二人のやり取りを眺めていた。
「おれは何でもいいけど」
「おまえも黙っとれ!」
「なんで? おれが着るんじゃないの?」
結局、三人が折り合ったのは、緑がかった灰色の上着だった。
厚手ではあるが上等ではない。肩のあたりは日に焼けて少し白っぽくなっている。
右肘には同系色の布が当てられていた。補修の針目はガタついているが、きちんと留まっている。
「着てみな」
オウルは新しいほうへ腕を通した。肩回りが少しだぶついている。
その場で腕を回し、しゃがむ。腰を捻って、短剣の柄へ手を伸ばした。
上着の裾が鞘に引っかかったので、片手で少し持ち上げ、もう一度試す。
「ちょい大きいけど、剣は抜けるし、これでいいや」
「競りで抜くんじゃないよ」
油売りが言う。
イチロクは渋々といった顔で袖の縫い目を見ている。
「どう?」
オウルが聞いた。油売りは顎を少し上げた。
「工房の若いのだね。さっきより給金が安そうだよ」
今回ばかりはそれも誉め言葉だろう。
イチロクは不満そうだったが、反論はしなかった。
店を出てしばらく歩いたところで、油売りがふと足を止めた。
「あとは、その頭をどうにかしな」
オウルが自分の頭へ手をやる。
指が髪へ潜る。前髪は目の端へ掛かり、耳の周りも好き勝手に跳ねている。
「えー。これも駄目なの?」
「駄目っていうかねえ」
油売りがオウルの耳の横から跳ねている毛を指で摘まむ。
「工房の若いのがこんなぼさぼさのまま働いてたら、親方にどやされそうだね。火を使うところなら邪魔だろうしさ」
床屋はさらに二軒先にあった。
扉を開けると、石鹸と湯の匂いがした。
壁際に木椅子が二脚。片方には荷運びらしい太い男が座り、顎の髭を剃られている。
もう一脚が空いていた。
「切るなら座りな」
鋏を持った中年の女が言った。オウルが腰掛けると、首に布を巻かれる。
「どれくらい?」
「仕事の邪魔にならん程度に」イチロクが横から口を挟む。
「あんた、この子の親? 本人に聞いてるんだけど」
「なんでもいい」その本人が言う。早くも退屈そうだ。
「さっさと切ってくれ。座るの苦手なんだよ」
櫛が髪へ入った。
「動くんじゃないよ」
鋏がしゃきしゃきと鳴る。切れた髪が肩の布へ落ちる。
オウルが音のほうへ顔を向けた。
「こら。前向いてな」
「見えねえじゃん」
「見なくていいんだよ」
また鋏が鳴る。
耳のすぐ横なので、音がやけに大きい。
オウルはまた横を向いて、床屋に頭をはたかれた。
「じっとしてろってば」
「あー、くそ、イライラするぜ」
「いいからほら、正面向いてな。早く済ませてやるから」
女の手がオウルの頭頂部を掴み、正面へ戻した。
しばらくは大人しくしていた。
だが襟足へ櫛が入ると、くすぐったかったのか首をすくめる。
「ほーら。動くんじゃないよ。うっかり耳をちょん切っちまってもしらないよ」
油売りが後ろで笑った。イチロクは床へ落ちていく髪を眺めている。
最後に女が首へ巻いた布を外す。
ぱさ、と髪が床へ落ちた。
オウルは立ち上がって下を見る。
椅子の周囲に、自分の髪が思った以上に散らばっていた。
「すげー。髪ってこんなにあんのか」
「まだ頭に残ってるよ」
床屋が言う。
壁には小さな磨き金属板が掛けられていた。
オウルはその前へ行った。
曇った面に、自分の顔がぼんやり映る。
少し頭を左右へ振る。
耳の後ろを触る。今まで指に触れていた髪がない。
襟足へ手をやる。首筋がそのまま指に触れた。
「涼しい」
「夏になったらまた来な」
床屋はもう次の客のために椅子の髪を払っていた。
油売りの店へ戻るころには、昼を少し過ぎていた。女は店先へ戻ると、すぐに板戸を開けた。
「じゃ、あたしは仕事に戻るよ」
女はもう店の奥へ向かっていた。
オウルも手を上げる。
「じゃあな、おばちゃん。いろいろありがと」
工房へ戻ると、イチロクはもう一度オウルを作業台の前へ立たせた。
「準備終わり?」
「……まあ、よかろう」
イチロクはそれから鼻を鳴らし、再び作業台へ視線を落とした。
「明日は遅れるなよ」
「わかってるって」
オウルは空の買い付け袋を取り上げた。
なんだか楽しみになってきた。




