83.代理購入の依頼
翌朝、オウルはイチロクの工房に呼び出されていた。
イチロクは、雑多な作業台の一角を、道具を脇へ押しやって場所を空けていた。そこに木の杯が二つ置かれている。口をつけるとごく薄く蜂蜜酒の甘さがあった。
いちおう、歓迎はされているらしい。
杯の隣に、細長い木板が一枚置いてある。
イチロクはそれをオウルの手へ押しつけた。薄く削っただけの板だ。幅は掌一つ分、長さは掌を二つ縦に並べたくらい。
「なんだこれ?」
「大きさの目安じゃ。これくらいの古い天秤を探せ」
オウルは渡された板を掌へ載せたまま、工房の中に視線を走らせた。作業台の向こう側の棚にも、左右に平たい皿のついた秤が一つ置かれている。
「あるじゃん」
「阿呆が。秤が欲しいわけではないわ」
「じゃあ何が欲しいんだよ?」
イチロクは、作業台の下へ手を突っ込んだ。
引っ張り出したのは、古びた秤だった。左右の皿を支える柱が台座から立ち上がっているが、片方の皿はなく、残った皿も斜めに傾いている。正面にあったらしい指針は根元から折れていた。
「昔の上皿秤にはな、こういう型があった。皿のどこに載せても重さが量れるよう、中で何本も腕を組んで動かしとるんだが」
「ふーん」
興味のなさそうなオウルの態度にイチロクは舌打ちし、秤をひっくり返した。
底には、小さな板が嵌め込まれている。イチロクはその両端にある小さな留め金を爪で起こし、板を横へずらした。
「お前が見るのはこれだ」
開いた底をオウルのほうへ向ける。
中には細い金属の腕や軸が重なっていた。その奥、二本の金具に挟まれるように、細長い石片が一本取りつけられている。薄い灰色の石は先が二つに分かれていた。小さな二股の刃物のようにも見える。
「石?」
「魔石じゃ。荷がかかると中の仕掛けが動いて、こいつへ力が伝わる。力のかかり方で響きが変わって。それを使って重さの釣り合いを――」
「用があるのは石だけか?」
イチロクはしばらく黙った。
「……そうだ。この魔石が欲しい」
イチロクは底板を閉じると、秤を元へ戻した。
「今じゃそうそう手に入らん。これは昔のやり方でな、今では使っとらん。石だけで売りに出ることもほとんどない」
「じゃあ、古い秤を壊して取るの?」
「もう壊れとる」
イチロクは皿を指で押した。ぎ、と音を立て、傾いたまま戻らない。
「明日出るやつも故障品だ。秤として値をつけるようなもんじゃない。鉄くずじゃな」
オウルは木板を作業台へ置いた。
「どうやって見分けんの?」
イチロクは板を引き寄せると、細い金属棒の先で三本の短い斜線を引いた。
「まず外を見ろ。台座の脇に、この三本線の印が入っとる。擦れて薄くなっとるかもしれんが、これがなければ買わんでいい。印があったら、次に底だ」
イチロクは、さっきの秤をもう一度ひっくり返した。
「底の留め金を起こして、底板をずらぜ」
先ほどと同じように留め金を起こして底板をずらし、石を晒す。
オウルは顔を寄せて、石を覗き込んだ。
「底を開けて、この二股の石があるか見ればいいのか?」
「ああ。別の石に替えられとることがある。何も入っとらんのは論外だ。そして――」
「まだあんの?」
イチロクはオウルの手から秤を奪い返すと、細い金具を石の根元へ差し入れた。
「軽く叩け」
金具で、魔石を軽く弾く。
うゎん、と波打つような音が、尾を引くように響いて消える。
オウルが眉を上げた。
「鳴るんだ」
「生きとる石ならな。細かいひびは見ただけじゃ分からんことがある。軽く弾いて、こういう音が出るなら使い物になる」
「音の高さとか覚えたほうがいい?」
「いらん。お前にそんなことができるわけなかろう」
「一言多くね?」
「長く鳴ればいい。音が割れて聞こえる、濁りがある、そうであれば買わんでいい」
オウルは、開いた底を覗いたまま頷いた。
「じゃあ、秤が壊れてても、石が残ってて音が生きてりゃ買うんだな」
イチロクは秤を仕舞い直した。
「わしが欲しいのはこれだけだ。質が良さそうなものがあったからついでに買っておいた、なんてことは決してするなよ」
「そんなに信用ねえか?」
「欠片も信用しておらん。道具を見る目についてはな」
オウルは笑いながら木板を作業台へ戻した。置き場所が悪く、端にあった細い鑿へぶつかる。鑿が転がりかけたので、イチロクが指一本で止めた。
「その石は何に使うんだ?」
「お前が知ってどうなる」
「それもそうか」
イチロクは作業台の下から革袋を出した。卓上へ置く。じゃら、と軽い音がした。袋を開けてひっくり返すと、銀貨が五枚、作業台に転がり出る。
「銀貨五枚。これがわしの上限じゃ。その秤が入っとるロット一つに、銀貨五枚までは出す」
「ロット?」
「倉庫払いじゃからな。秤だけでは出ん」
オウルは革袋の口を縛り直しながら首を傾げた。
イチロクは両手で大きく丸を描くように囲んでみせた。
「これくらいの箱にまとめて入っておる。質流れした品とか、店でいつまでも売れん品とか、廃業した工房からまとめて入った道具とか。そういうのをいちいち一個ずつ値をつけて売っとったら邪魔じゃろ。だからまとめて競りに出す。箱一つで一ロットとなる」
「じゃあ、箱ごと買うの? いらねえもん入ってても?」
「そうだ。前にあの秤を見たことはある。そのときはまだ競りへ流れる前でな。この型なら、あの石が入っとった可能性は高い。だが、修理されとれば替えられとるかもしれん。抜かれとるかもしれんし、残っとっても割れとるかもしらん」
「だから明日、おれが確認するのか」
「そういうことじゃ。今は鉱石だの細工道具だのと一箱へまとめられとる。向こうからすれば、壊れた古秤なんぞ部品取りか鉄くずじゃろうよ」
「ふうん……」
そう呟くと、オウルは作業台の上にある杯を持ち上げた。
「ここまで聞いといてなんだけどさ。自分でやれば?」
イチロクの顔が露骨に嫌そうにゆがむ。
「……古物を扱っとる奴らの中に、わしの顔を知っとるのがおってな」
「人気者だな」
イチロクは腕を組んだ。
「わしが競り場へ行ってじゃな。壊れた秤を箱から出して、ひっくり返して、底を開けて、中へ顔を突っ込んで、石まで鳴らしてみろ」
言いながら、イチロクの視線が、作業台の古秤へ吸い寄せられる。
「そんな真似をしたら、一体どうなると思う」
「気持ち悪がられる」
「値が上がるんじゃ!」
イチロクの声が工房に反響する。
「へー。そうなんだ」
「わしが何か見つけたと思って、くっついてくる奴がおる。何もわかっとらんくせに!」
拳が握られ、どん、と卓へ落ちた。細い工具が二、三本跳ねる。イチロクの杯の水面が大きく揺れ、いくらか作業台へこぼれた。
オウルはちょうど持ち上げていた杯を見て、少し笑った。
「そんなの、興味ないふりすりゃいいじゃねえか」
そのまま杯へ口をつける。
「できるならそうしとる」
「できねえの?」
「道具を前にして、なぜ興味のないふりなんぞせにゃならん」
オウルはとうとう声を立てて笑った。
イチロクは鼻を鳴らし、自分の杯の下へ布を突っ込んだ。
「値上げさせてんの自分じゃん」
「だから今回は行かんと言っとるんじゃ。とにかく、お前が行け」
オウルは革袋を持ち上げた。
「銀貨五枚を越えたら?」
「お前が出せ。買いたいならな。それが嫌なら降りろ」
オウルは袋を腰へしまった。
イチロクは、作業台越しに人差し指を突きつけてきた。
「箱に入っとる余計な物は好きにせい。余計な物を買い集めろとは言っとらんからな」
「そんなことを言うために、わざわざ前日に呼び出したのか?」
「いいや」イチロクがオウルを上から下まで見る。
「そのなりをどうにかさせるためじゃ」
オウルは瞬いた。自分の服装に目を落とす。
濃紺の胴着に革の胸当て。腰には短剣と小袋をいくつか提げ、足元は膝下まである革の長靴。山へ入るにも、街をぶらつくにも、だいたいこの格好だ。
何より、この格好はほとんどイチロクが見繕ったものである。不備があるとは思えない。
「なんで? 競りって服装決まってんの?」
「古物競りにそんな探索者丸出しの格好で行けば、目立つに決まっとろうが!」
イチロクはまた拳を作業台に叩きつけた。




