82.イチロクの用事
冒険者ギルドに戻る頃にはすっかり日も暮れていた。夕食どきと重なって、一階の食堂は込み合っている。
オウルが足を踏み入れると、声をかけるものがいた。
「あ! オウルさん!」
コニーだった。隣にはジェムもいる。二人は長椅子に並んで座っていた。コニーはちぎった黒パンをもった手をオウルに振った。
オウルが向かい側に、人の間にねじ込むように座ると、さっそくコニーが身を乗り出した。
「火を吹く箱のところですよね。どうなりました?」
「燃えたぞ」
オウルは懐に手を入れて、反故紙を折りたたんだ包みを取り出した。紙の表面はしっとりと濡れている。
目の前にあった黒パンの皿をどかすついでに一つひょいと取り上げて咥え(「あ! わたしの!」とコニーが叫んだが無視した)、空いたスペースに包みを置く。
折り目を開くと、黒い布切れがあった。
水を吸った布は紙に張り付いていて、ところどころ濡れた繊維がくっついて固まっている。
「もっとでかい塊が底に引っかかってた。ぐしゃぐしゃでな」
「何ですか、これ?」
「油を吸った布ってところだろ」
「これが燃えてたんですか?」
「燻ってたっていうのかな。燃える一歩手前って感じだった。とりあえず掻き出したんだけど」
ジェムは黒い布を見つめながら、首を傾げた。
「この布に火を点けようとした人がいるってことですか?」
「いや。勝手に燃えたんじゃねえ?」
スープを飲もうとしていたコニーが、ぱっと顔を上げる。
「え? 勝手に? 火がなくても燃えるんですか?」
「燃えるっつーか、熱くなるんだよな。油って、乾くときに熱持つやつがあるだろ」
「油が、乾く……?」
「塗っとくと固まるやつ。木の柄とかに塗る」
「ああ! ありますねえ」
「ああいう油は、固まる途中で熱を出すんだよ。柄に塗ったあと、布で余分なのを拭くだろ。それをぎゅっと丸めると、熱が籠るんだよ。すぐ危ないってわけじゃないが、広げて置いとけってよく言われる」
ジェムが布へ目を落とす。
「じゃあ、あの布は箱の下でずっと熱くなってたんですか? それが燻るところまでいっていて、箱を持ち上げたときに空気が入った」
「で、燃えた。そんなとこだろ」
そう言って、オウルは黒パンを半分にちぎった。両手に一つずつ持ったまま、ジェムを見る。
「ジェム、スープちょっとくれよ。パン浸したくてさ」
「あ、どうぞ」ジェムがスープをオウルのほうへ押し出す。
「だからそれ、わたしのパンですって!」
コニーに言われてジェムの手が一度止まったが、結局そのまま椀をオウルの前まで滑らせた。
「その布、ちと見せろ」
「ん?」
ひたひたになった黒パンを齧りながら、オウルは声のしたほうへ振り向いた。
少し離れた長卓の端に、小柄なドワーフが座っている。
「あれ? イチロク。ここに来るなんて珍しいな」
イチロクは無言で木椀を卓へ置いた。
長椅子から降り、人の背中と背中の隙間を抜けてくる。途中で杯を持って立ち上がった探索者を避け、三人の卓の脇まで来た。
オウルが反故紙ごと押し出すと、イチロクは布切れを摘まんだ。
濡れた布が細く垂れる。爪の先で表面を軽く擦ると、黒いものがぽろりと落ちる。
「ふむ。全部が煤ではないな。元から染まっとる。鉄染めの類じゃろ」
「ふーん」
興味のなさそうなオウルとは対照的に、ジェムは身を乗り出した。
「鉄で染めるんですか?」
「鉄と、渋のある草や樹皮と合わせる。安物を暗く揃えるのに使うな」
イチロクは焦げていない部分を両指で軽く引き、ほつれた糸を一本抜き取った。
「拭き布か……いや、この厚さなら……」
ぶつぶつ呟き始めたイチロクを見て、オウルが笑う。
コニーはイチロクの手にある布を見て、それからオウルを見た。少し考えて口を開く。
「それ、箱の中は関係ないんですか?」
「さあね」
「えーっ。気にならなかったんですか?」
「運べって言われたから運んだだけだぞ」
オウルは皿の上の腸詰めを一本摘んだ(これはジェムのだった)。
「そこはちゃんとしてるんですね……」
「どういう意味だよ?」
ジェムが小さく笑う。
隣のイチロクは、すでに三人の話を聞いていない。
布を反故紙の中央へ戻して包みなおすと、オウルに差し出す。
「おい、若造。明後日は暇か」
オウルは包みを懐へ戻しながら、怪訝そうにイチロクを見た。
「明後日? そんな先の予定があるわけねえだろ。なんだよ急に」
「そも、わしはお前に用があって来たんじゃ」
「それを先に言えよ」
「明後日、わしの代わりに競りへ行け」
「はあ……?」
オウルは黒パンを噛んだまま、イチロクをまじまじと見つめた。




