76.山羊の谷の異変 ①
その日、コニーはジェムと一緒に、ニックブレードから見て東にある谷に向かっていた。以前、オウルがハーピーを追い払ったという谷だ。そこの山羊飼いからチーズを六玉受け取って町まで運ぶだけの、赤等級~橙等級向けの雑用である。
今回の荷物は、背負い籠二つくらいになるだろう。コニーが一人で運ぶには少し重たく、手の空いていたジェムに協力をお願いしたのだった。
「ジェムさん、その袋なんですか?」
歩きながら、コニーはジェムの腰に下がった小袋を指した。
「昨日採った薬草です。傷に使えるそうで」
「今日は使わないで済むといいですねえ」
「そうですね」
二人が雑談をしながら谷へ向かって歩いていると、不意に前方から、犬の激しく吠える声が聞こえた。次いで、山羊の甲高い鳴き声と、男の怒鳴り声が重なる。
コニーとジェムは顔を見合わせた。コニーは背負っていた短弓を手に取り、ジェムは木の杖を握り直してから、二人で走り出す。
谷の入口近くまで行くと、山羊の群れがバラバラに逃げ回っていた。その間を牧畜犬が駆け回って、山羊が遠くへ行かないよう追い戻している。山羊飼いらしき男性は、杖を振り上げて何かに怒鳴っていた。
男性の前には、小柄な人影が二つ。
小柄な体に長い耳――ゴブリンだ。
コニーはすぐさま矢をつがえた。強く引き絞るため、三本の指で弦を引く。狙いを定めてひゅうと放つと、矢はゴブリンの腹に深々と刺さった。
いきなり射られたゴブリンはギャアと叫び、コニーをギッと睨むと、棍棒を振り上げてコニーのほうへ突っ込んでいく。
別のゴブリンも攻撃に気づいたらしい。目の前の山羊飼いをちらりと見たが、実際に矢を射かけたコニーのほうを脅威とみなしたようだ。こちらはボロい曲刀を握り直し、仲間を追うようにコニーへ迫る。
負傷したほうのゴブリンは、痛みのせいか一直線に突っ込んでくるだけだった。コニーは振り下ろされた棍棒を身を引いて避ける。
その横から、もう一匹が曲刀を手にコニーのほうへ向かう。
ジェムが慌てて木の杖を振りかぶるが、身を引いて躱され、そのまま突進していってしまう。コニーはゴブリンの曲刀をうまく避けきれず、左腕を軽く裂かれてしまった。
「いてて……」
コニーは顔をしかめながら、ゴブリンから距離を取った。ここまで近づかれたら、弓では不利だ。腰の片手剣と盾を抜いて、矢の刺さったゴブリン向かって片手剣を振るった。
ゴブリンは身を沈めて躱してしまう。
「いっ、意外と、速い……!」
ゴブリンはそのままコニーの間合いをするりと抜け、背を向けて谷の外へ走って行ってしまった。
もう一匹はといえば、杖で叩こうとしたジェムを新たな脅威とみなしたらしい。|ジェムに向かって曲刀を振り上げるのを見たコニーは、とっさに左腕を――そこに構えた小さな盾を刺し込んだ。
「このっ!」
ジェムはゴブリンの頭めがけて、両手で木の杖を振り下ろした。
ぽこ、と当たったが、浅い。ほとんど効いていなかった。
ゴブリンがジェムを睨んだ――その隙にコニーが踏み込み、片手剣でゴブリンの胸を刺し貫いた。
前のめりに傾くその背中に片足を乗せて、片手剣を引き抜く。
血を噴き出しながらゴブリンは地面に倒れ、そのまま動かなくなった。
コニーは大きく息を吐いた。
「ふーっ。危なかった!」
「ごめんなさい、お役に立てなくて……」
ジェムは手にした杖を見下ろした。さっきゴブリンを叩いた先端はきれいなままだ。
コニーは目を丸くして、すぐに手をぶんぶんと振った。
「ええっ! むしろごめんなさいですよ! わたしがさっさと仕留めてればジェムさんが狙われることもなかったのに。……それに、ですよ!」
コニーはぐいとジェムのほうに身を乗り出す。
「当たってましたよ!」
「でも、全然効いてなかったですよ?」
「いやいや、当てるだけでも難しいんですって!」
「コニーさんは、矢も当てたじゃないですか」
ジェムが顔を上げて言うと、コニーはちょっと黙って、やがてぺろりと舌を出した。
「あー。わたし、弓のほうが得意なんですよ。これまで地下に行くことが多くて、腕の見せどころがなかったんですよね」
そう言ってから、コニーは倒れたゴブリンをちらりと見た。
「でも、思ってたみたいにはいかなかったなあ。オウルさんも、トッドさんも、何匹来てもしれっと戦ってたのに。二匹でこれかあ……」
ジェムも何と言えばいいのかわからないらしく、困ったように杖を握り直した。
「あの人たちは、ちょっと……強すぎますからね」
「ですよねえ。特にオウルさんなんか、簡単そうにやっちゃうから。見てたらわたしにもできそうな気がしちゃって」
そこでコニーは、こちらに気づいて近づいてくる山羊飼いに向かって、笑顔で右手を振った。左腕は曲刀で浅く裂けている。その傷を、ジェムはじっと見つめていた。




