75.意図しなかった情報収集
ニックブレード・タウンの北門はまだ警戒態勢にあるようで、いつもよりも検問に時間がかかった。
一つ前の荷車の御者が、門番に尋ねているのを小耳にはさむ。
「昨日ここにゴブリンが出たって?」
「ああ。今日はもっと北の街道で見たって連中がいたな。二十匹くらい」
「多いな」
「北に行くやつには一応警告してんだ。行くってんなら止めねえが」
エスの礼拝堂にジェムを送り届けてから、イチロクは懐を探ってオウルに向き直り、掌を差し出した。
そこには、金貨が三枚載っている。
「ほれ、今日の礼じゃ。受け取れ」
「別に……」
オウルは反射的に断ろうとしたが、少し考えて、やめた。
前は、水薬をタダで渡そうとしたエスに苛立っていた。イチロクは、値のつくものをタダにするのを好まない。そのモノや行為の価値が落とされるように感じるのだろうか。
いずれにせよ、仕事をタダ働きにしても不機嫌になるに違いなかった。たぶん、断ったほうが面倒だ。
「じゃあ、もらっとくよ」
金貨を受け取ると、イチロクは髭に埋もれた顔に満足げな色を浮かべた。
***
イチロクと別れたオウルは、腹を満たすために近くの酒場へ向かった。
北の街道を行き来する御者や護衛がよく使う店で、昼を過ぎてもそこそこ人が入っている。オウルにとっては勝手知ったる店の一つである。
オウルは空いているカウンター席へ腰を下ろして、さっそく店主に話しかけた。
「飯くれ」
金貨三枚をカウンターにぽいと放る。金貨はカウンターの上でくるくる回り、やがてぱたりと倒れた。
「おっ、こりゃまたずいぶん景気がいいな。また勝ったのか?」
「いや。もらった」
「もらった?」
店主は首を傾げながらも、金貨を懐に入れた。
「釣りはどうする?」
その問いに、オウルは店内を振り返った。
「おーい、腹減ってるやついる? 酒でもいいぞ」
場が一瞬静かになった。すると、顔見知りの一人がにやにやと笑って口を開いた。
「おーん? なんだ、オウル。奢りか?」
「金があるうちはな」
「じゃあ酒!」
「俺も! あと煮込み!」
「おれは飯がいい、肉!」
「腸詰めまだ残ってるか?」
「パンとチーズ!」
「お前ら遠慮ねえな~。一人ずつ喋れよ。聞き取れねえだろ」
オウルは立ち上がり、各々の注文を聞いて回ると、店主のもとへ戻った。
「エールが六つ、煮込み四つ、腸詰めは三つ、パン五つ、チーズを一塊。とりあえずな」
そう注文を伝えてから、後ろを振り返る。
「おい! お前らやる気あんのか? まだ銀貨十枚と銅貨二枚残ってんぞ!」
オウルは満足してカウンターの椅子に座り直した。
「……相変わらず金遣いの荒いことだな、ダウングリーン」
すぐ隣から低い声がした。そちらを見ると、護衛組合のガレウス・ドランベルクが杯を片手に座っている。
「うわ! ドランベルク、いつの間に。何か頼む?」
「いらん」
「じゃあなんでここにいんの?」
「情報収集だ」
ガレウスの席を見ても、杯が一つ置かれているだけである。景気の悪いことだ。オウルはやれやれと首を振った。
「ま、いいか……」
「よくねえんだな、これが!」
いきなり後ろから肩に腕を回された。振り向けば、赤ら顔の男が上機嫌に笑っている。
「いやあ、今日はひどかったぞ。北でまたゴブリンが出やがって!」
「ああ、二十匹出たってやつ?」
「あれだけじゃねえよ」
男はオウルの肩に腕を回したまま、空いた手の杯をぐいとあおった。
「昼前にな。北街道をずっと行った先で、十匹ちょい」
「おい、それなら俺が見たのとは別だぞ」
近くの卓から声が上がった。
「俺は東へ入る牧道で見た。十五はいたな。おかげで荷をいくつか捨てる羽目になったぜ」
「俺んとこはもっと北だ」
今度は別の男が腸詰めを掲げて振り返る。
「朝方、石切場へ行く道で見た。あれも十やそこらじゃ済まねえぜ」
「ふーん。ずいぶん出てきてるなぁ」
その頃には、店のあちこちから追加の注文が飛び始めていた。店主が忙しそうに杯を並べ、奥から椀が次々と運ばれてくる。
「オウル、これお前のな」
椀と黒パンを受け取る。椀には、塩漬け肉と豆と根菜の煮込みだ。オウルはパンをちぎりながらガレウスに向き直った。
「で、あんたは何の情報を集めてんだ?」
ガレウスは嫌そうな顔をしたが、追い払おうとはしなかった。
「もうお前がやった」
「ん?」
「北街道のゴブリンどもだ。護衛組合としては、状況を把握しないといけないからな」
「北ねえ……」
煮込みを口に運びながら、オウルはつぶやいた。
「石鳴り谷まで行ったが、ゴブリンは見なかったけどな」
「一匹も?」
「一匹も。ま、死の山まで入ってくるゴブリンがいたら、そっちのほうが怖いけどな。あそこじゃ連中も休まる暇ねえだろ」
ガレウスは少し考えてから、店主を呼んだ。
「おい。肉のパイは残ってるか」
「骨髄入りのがあるよ、二つ」
「では、二つくれ」
ほどなく肉のパイが運ばれてくる。詰め物に骨髄を使い、ドライフルーツと香辛料で味付けした、甘辛いパイである。
「お前が一つ食べろ」
オウルはパイを受け取ると、しばらくそれとガレウスの顔を見比べた。結局ひと口かじる。
「あのな。そういうことは先に聞けよ。食えそうかってさ」
「まだ食えるだろう」
「食えるけどさあ」
オウルはぶつくさ言ったが、パイをかじる手は止めなかった。
「それで、石鳴り谷までの道でゴブリンは一匹も見なかったんだな」
オウルはパイを頬張りながらうなずいた。
「北のほうのゴブリンってさ、普段どこにいんの?」
「死の山の麓にある森と丘陵だ。洞穴や廃坑に巣を作っていることが多いが」
「あれ? でもそこは……」
「ニックブレードから見れば、死の山を越えねばならんな」
オウルは食べ終わった皿を脇にどけて頬杖をついた。
「いや、行動範囲が広すぎるだろ」
「そうだ。ゴブリンにしては妙だ」
ガレウスは、カウンター向かいの酒棚をまっすぐ見つめながら、続けた。
「ゴブリンどもだけならな」
オウルが嫌そうに舌を出す。
「嫌なこと言うなよ」
「ゴブリンがこんなに遠くまで出てくるとなれば、パターンはだいたい三つだ。数が増えすぎて巣から押し出された連中がいるか、何かに追われているか、頭ができたか」
「最後のがいちばん嫌だな」
「まったく」




