74.石狂いの審美眼 ②
オウル、イチロク、ジェムの三人は、北側の死の山に向かった。
幸いにも、石鳴り谷まで魔物や獣に襲われることはなかった。
やがて、石鳴り谷が見えてきた。川が侵食してできた細い峡谷で、谷底には浅い川が流れている。三人が進む道は谷壁の中ほどを横切っており、ところどころ谷底の川まで見下ろせた。谷壁には、そこから染み出す湧水のせいか、自然の吊り下げ庭園ができている。
しばらく進んだところで、イチロクが足を止めた。
数歩先を歩いていたオウルも、立ち止まって振り返る。イチロクは足元から石を一つ拾い上げ、しばらく眺めていたが、何も言わず革袋へ入れた。オウルは興味なさげに視線を前に戻す。ジェムも小さく首を傾げたものの、何も聞かなかった。
さらに谷沿いを進むと、谷壁の一部から水が染み出していた。その真下の浅い窪みに、オレンジ色の小さな花を咲かせた草がまとまって生えている。
「あ、あれです!」
ジェムが指差すのを、オウルとイチロクは上から見下ろす。オウルは思わず、呆れたように言ったものだ。
「最初の採取がこれかよ。容赦ねえな、エス」
「よく効く薬草って、採りにくいところにあるんですよね……」
そう言って、ジェムは杭を適当な地面に突き刺し、そこにロープをひっかけて、崖の岩棚へ足を降ろそうとした。するとイチロクが、ものすごい勢いでジェムの身体を引きずり上げてしまう。
「待て、坊主! そんなものに体重をかけるでない!」
そう言って杭を蹴る。ジェムの打った杭は、あっさりと傾いてしまった。イチロクは杭を片手で抜いてしまうと、岩の割れ目を探して、そこへ杭を深く打ち込む。ロープも何度か強く引いて確かめてから、すっかりほどいてしまって、手早く結び直す。それから、ロープをジェムの腰にも巻きつけ、股下から通して簡単な座席状に結ぶ。
「ほれ、試しに引いてみろ」
ジェムはロープを握り、体重をかけて引いてみるが、杭はびくともしない。イチロクが小さく頷くのを見て、ジェムは腰に回されたロープを確かめてから、再び岩棚に足をかけた。
その拍子に小石が谷底へ落ちたのだろう、カン、コン……と石を打つ澄んだ音が、何度も返ってくる。
するすると降りていくジェムを見送ったところで、オウルは口を開いた。
「ところで、途中で拾ってた石はなんだったんだ?」
「ふん。お前に説明したところでわかるまい」
「試してみたら? どうせジェムを待つまで暇だろ」
イチロクは渋い顔で黙っていたが、やがて口を開いた。
「ここにあるはずのない石だ」
「あるはずのない、ねえ。産地が違うとか?」
イチロクはまた黙り込んだが、袋から石を取り出してオウルの目の前に掲げた。茶色の縞模様が入った岩の欠片に、黒く、鋭く、光沢のある石が埋まっている。
「そうだ。この黒いのは黒晶だ。死の山にあるはずがない」
「つっても、死の山は未踏の地だらけだろ?」
「黒晶はどこにでもできる石じゃあない。この茶色の岩を見ろ。黒晶は、こういう縞の入った母岩に食い込んでできる。だが、死の山でこんな岩は見たことがない」
オウルはしばらく考えたが、石について考えたところで、何も思い浮かばない。
「誰かが持ってきたのか?」
「さあな」
イチロクはそれだけ言って、石を袋の中に戻した。
「わしはこの辺を見てくる」
「おれはここで寝てる。何かに襲われたら起こせよ」
イチロクは肩を竦めただけで、さっさと崖の際に沿って歩いて行く。ちらと振り返ると、オウルはすでに横になっていた。
しばらく歩いてみるが、やはり黒晶らしき石はおろか、黒晶を育てる縞模様の岩すらない。道中に黒晶が落ちていたことが、いっそ不可解なくらいだ。
踵を返して戻ると、ほどなく横になっているオウルが見えてきた。あと十歩というところまで近づくと、オウルはぱちりと目を開いた。
そのとき、ちょうどジェムが崖から顔を出した。縁まで這い上がると、腰に差していた薬草を抜いて掲げた。
「採れました!」
***
北門が見えるところまで戻ったところで、イチロクが急に足を止めた。
街道の脇へしゃがみ込み、泥の中から石を一つ拾い上げる。
オウルも覗き込んだ。そのあたりには、似たこぶし大の石が、いくつも散らばっている。
「なぜ、こんなところに……」
街道には、昨日の争いでついた足跡や抉れがまだ残っていて、オウルはそれを見てはたと思い出した。
「あ。そういや昨日のゴブリンども、石を投げてたな」
「ゴブリンだと?」
「連中、北から逃げてくる獣を追い回して遊んでたんだよ。だから、ゴブリンが持ってきたんじゃねえの?」
イチロクは周囲を見回して、もう一つ拾った。
「いくつか黒晶が混じっている。やはり死の山で採れる石ではない」
「じゃあゴブリンはどこから拾ったんだよ」
イチロクは答えず、黒晶を握ったまま北を見た。昨日、獣もゴブリンも、北――死の山のほうから来たはずだった。




