73.石狂いの審美眼 ①
ニックブレードの北門の外で起きた騒ぎから、一日が過ぎた。
イチロクは、工房通りの中ほどにある酒場でオウルを見つけた。
オウルは卓の片側に座って片肘を置いている。卓の脇には欠けた陶器の杯と、きれいに完食された大皿が避けられていて、空いた卓上には木製の駒と、賭け金の小さな山ができていた。
どうやら飲みながら、即席で賭博が始まったらしい。
オウルの向かいにいる男が、眉をひそめた。
「それじゃあこっちは何も残らねえだろ」
「そうだよ。ぼんくら~」
「うっせえよ!」
男が舌打ちをして、自分の賭け金へ手を伸ばしたところで、イチロクはオウルの椅子の後ろについた。
「探したぞ」
「探した?」
オウルは肩越しに振り返った。イチロクがオウルを探すなんて初めてのことだ。
「話がある。キリのいいところで――」
オウルは立ち上がり、向かいの男に言った。
「悪ぃがここで切り上げるぜ」
そして、自分の前に積まれた硬貨の山を卓の向こう側にいる男のほうへ押しやった。
「これやるよ」
「え? いや、お前の金だろ」
「詫びだ。持ってけ」
イチロクの耳が「どーせ使うあてもねえしな」というつぶやきを拾った。呆れているうちに、オウルはさっさと卓を離れてしまう。
「で、何だ?」
イチロクは黙ったまま、酒場から出て、人のいない場所へ向かって歩いた。オウルも黙ってイチロクについていく。人の気配がほとんどなくなった裏通りで、イチロクは止まった。
「妙な魔石がいくつか、わしの店に来ていてな」
オウルは片方の肩を壁にもたせかけた。
「ふーん。粗悪品? それとも偽物?」
「本物だ。安物だが、安物の中じゃあ質も申し分ない」
「印なし?」
流通外――商会や鑑定人などの手に渡ったら捺される印がないのか――という問いに、イチロクは首を振った。
「いいや。出所は割れている。不審な点もない。……だから気に入らん」
オウルには訳が分からなかったが、話の続きを待った。
イチロクは片手を腰の革袋の中へ入れた。布に包まれた何かだ。布を開くと、割れた小さな石がある。それを、二本の指でつまんだ。
オウルには、わずかに光って見える黒い石にしか見えない。
「低品質の魔石に交じって売られたものだ。売り手は、死の山にある石鳴り谷で採ったと言っておった。だが……」
イチロクは、その石を裏返した。
「これは黒晶だ。石鳴り谷で出るはずがない。それに、この割れ方が変だ」
「割れ方に変とかあるのか?」
「外側は擦れて丸くなっとるのに、ここだけ角が立っておるだろう。鉱物はな、長く露出した面と新しく割れた面で状態が変わる。最近割れた箇所があるということだ」
「黒晶って割るの大変なんだけどな」
「よう知っとるな」
「そりゃあな。冒険者ギルドの等級査定試験は黒晶山でやったんだぜ」
「あそこは石が枯れておったろう。石の特性は知っておるのか」
オウルは、暗がりでぼんやり光る黒晶に視線を落とした。
「暗闇で光る?」
「……まあ、いい」
イチロクは割れた黒晶を包みなおした。
「とにかく、この石を採ったと言っている場所を見たくてな。普段なら、わし一人で行くところだが」
それは危険だ。ニックブレードの誰もが、最近、町の北側の土地が騒がしいことを知っていた。昨日だけでも、狼やゴブリンたちがわらわらと北門へ向かって来ていたというのに。
「早まるなよ」
「ばかもん」
オウルは笑って、壁から体を離した。
「わかってるよ。用心棒が欲しいんだろ。ついていってやるよ」
「ずいぶん安請け合いするものだな」
「だって、わざわざおれを探しに来たんだろ?」
「答えになっておらんだろうが」
イチロクが再び歩き始めたので、オウルはイチロクについていった。
「死の山までいくなら、水薬も要るだろうて。持っておるか?」
言った瞬間、イチロクは後悔した。掛け金を「使うあてがない」と丸ごと相手にくれてやるような男だ。水薬を大事に取ってあるはずもない。
案の定、オウルは首を振った。
「ねえな。エスからもらおうぜ」
オウルの提案に、イチロクは嫌そうな顔をした。
翌朝、オウルとイチロクがエスの礼拝堂に赴くと、エスは小さな鍋を火にかけて何かを煮ているところだった。
「あ。おはよう~」
「水薬が要る。用立ててくれまいか」
さっそく要件に入ったイチロクに、エスは鍋をぐるぐるかき回しながらにこりと笑った。
「いいよ~。いくつ?」
イチロクは壁際にある木製の棚へ目を向けた。棚には、中身の入った瓶がみっちり並んでいる。
「あるなら、四本」
「んー」
エスは棚まで歩いた。手を伸ばし、棚から瓶を取り始めた。
「いくらだ?」
「ん? いらないよ」
イチロクの手が、金入れへ向かう途中で止まる。
「あげる~」
イチロクは片手を卓の上に叩きつけた。
「この草狂いがッ! 物をただでやるでない!」
「う~ん、そう言われてもなぁ」
エスはそれについて少し考えるそぶりをみせたが、結局諦めたように瓶を漁り出した。
そのとき、部屋の奥にある扉が開いた。
出てきたのはジェムだった。薬草の束を抱えていたジェムは、最初にイチロクを見て、それからオウルを見た。
「実際、四本も渡せないと思いますよ、エスさん」
声は聞こえていたのだろう、ジェムはさっそく切り出した。
イチロクは我が意を得たりとジェムを指差す。
「ほれ! 弟子もこう言っとるだろうが」
エスはジェムを見た。
「ええ? 渡せないなんてある?」
「値段以前の問題です。在庫が心もとなくて」
「あれ? そうだっけ」
ジェムはエスの隣に立ち、エスと目線を揃えるように少しかがんだ。それからもう一度体を起こした。
「今のところは足りますけど、この調子で渡してたらぜんぜん足りませんよ」
イチロクは、呆れかえってエスのほうを向いた。
「薬草の在庫くらい把握しておけ」
「ごめんね~」
エスは素直に謝ったが、軽薄な謝罪でイチロクはむしろ苛立ったようだった。むすっと黙り込んでしまう。それに気づいた様子もなく、エスはのんびりと続けた。
「最近はね、人がいっぱい来るんだよねぇ……」
「エスさんが青等級になったからじゃないですか?」
エスは首を傾げた。ジェムは薬草の束を卓の上に置いた。
「それに、イチロクさんの見立てはズレていません。この材料を使ってタダであげるのが見合ってないというのは本当ですからね」
エスは吊り下げられた薬草のほうを見た。
「タダじゃないよ。みんなご飯とかくれるよ?」
「ですが、材料が足りなくなるので」
「採ってこられるよ?」
「採ってくる暇もないんです。人がいっぱい来てるからですよ」
「あっ。そっか」
エスはやっと合点がいったようで、ぽんと手を打った。
ジェムは棚のほうを指さした。
「だから在庫が少ないままなんです」
「なるほどねえ」
イチロクはもう一度腕を組んだ。オウルは扉のそばから、そのやりとりを見ていた。
エスが青等級になったことは知っていた。それでも、同じやり方で薬を作り続けていることも。青等級の薬を破格で手に入れられるとあって、より多くの人が押しかけているのだろう。人が来て、薬瓶が出て行く。薬瓶が出て行く速さは、それほど多くの薬草や、根っこや、燃料や、なによりも時間が食われることを意味した。
まあ、この草狂いは、薬が硬貨にならないことなど気にしないだろう。金などなくても生きていけるのだから。オウルも硬貨に頓着せず暮らしているから、そのへんはわかる。
だが、時間まで食われるなら話は別だ。金がなくて困らないのは、自分でどうにかする暇があるからだ。
エスは、オウルのほうを見た。
「薬がいるってことは、二人でどこかに行くの?」
「死の山だ。石鳴り谷に用がある」
エスはうなずいた。
「ああ。そこはわたしも薬草や鉱物を採りに行くよ。――例えばほら、あれ」
エスは、天井から下がっている乾燥した束の一つを指さした。
「ジェムくんにも、あれの採り方を覚えてほしいんだけどね。時間がなくてさ。ジェムくんを連れていくことも、なかなかできなくて」
エスは、オウルへ視線を移した。
「どうせ石鳴り谷に行くなら、ジェムくんも連れていってくれない? 採取を頼みたいの」
「いいぜ」
オウルは即答した。ジェムが何かを言う前に、オウルは続けた。
「やっと借りを返せそうな頼みごとをしやがったな」
エスはまばたきをした。
「もうもらってるよ。鍋を見ててもらったでしょ」
「それは怪我を治してもらった分。今日のは、毒を作ってもらった分だ。おかげでネズミ退治が楽だったからな」
「そうなんだ。うまくいったならよかった」
イチロクはため息をついた。
「まあよい。さっさと準備せい、坊主」
ジェムは慌ててうなずいて、鞄を取りに駆けていった。




