71.普段どおりの仕事
古い荷車道の入口を横切っている木戸は、単純な作りだった。木戸の片側は太い杭に取り付けられていて、太い横木で閉じてある。その横木が外れないよう、木の楔が打ち込まれていた。魔物や獣が体当たりをしても外れないようにしてあるのだろう。
のんびり歩いてきたオウルは、横木を軽く動かしたところで楔の存在に気づいた。短槍の石突きを、楔の下へ差し込む。
「待て! 許可が出るまで触るな!」
班長がオウルの背後から叫ぶ。
オウルは聞こえないふりをした。オウルは短槍の柄を下へ押し、梃子の要領で力をかけた。楔が、少し浮き上がる。
棍棒を持った男は、すでにオウルのあとを追って木戸のところまで来ていた。そしてオウルの隣に立って、
「よお、手を貸すぜ」
そう言うと、男は棍棒の先を同じ楔の下へ押し込み、体重をかけた。
乾いた音とともに、楔が外れた。
「おい、戻れ!」
班長が二人のほうへ歩き始めたときにはもう、棍棒の男は横木を両手で掴んでいた。
「おい、兄ちゃん。反対側を持てよ」
「りょーかい」
オウルも短槍を置いて、横木を持った。重い横木を二人で持ち上げ、ゆっくり地面へ下ろす。
「戻れと言ってるんだ!」
「いま戻っていいのか? 木戸はもう開いちまうが」
「だったら横木を戻せ!」
「そりゃ面倒だな」
笑いながら、オウルは木戸をぐいと引く。戸は外れるように開いた。石敷きの向こうでは、草に覆われた道が南西へ続いている。
「よし。下がるぞ」とオウルが言う。
そこへ、班長がようやく追いついた。
「な、何を――」
班長が言い終える前に、一頭の狼が開いた木戸へ飛び込んだ。牧草地の柵沿いをさっきから行ったり来たりしていた狼だった。速度を落とさず、そのまま南西へ走っていく。
二頭目の狼が、後に続く。
街道に沿って北門のある南へ押し進んでいた獣たちは次々と西へ曲がり、木戸の先にある古い荷車道へ流れ込み始めた。
「おお、本当に抜けやがった」
弓の女がぽつりとつぶやくと、森の方向から甲高い音が聞こえてきた。
笑い声だった。
「またゴブリンだ!」
誰かが叫ぶと同時に、ゴブリンが木々のあいだから街道へわらわらと出てきた。
先頭のゴブリンが石を拾い、逃げている山蜥蜴へ投げる。石は外れたが、周りではやし立てていたゴブリンどもはあざ笑うようにケタケタ笑いながら、すでに街道に出ていた五匹のゴブリンと合流した。
山蜥蜴が古い道へ曲がろうとしたところで、短槍持ちのゴブリンがそれに気づいた。ゴブリンは山蜥蜴の後脚に向けて、ひょいと槍の穂先を伸ばす。
「おい」棍棒の男がオウルに話しかける。「あいつらも通すのか?」
「さすがにゴブリンはまずいだろ」
オウルは短槍を握り直した。
ゴブリンは単なる野生動物ではない。他者を嬲ることを娯楽と同視しているような連中だ。見逃せば、南で農家や旅人が襲われるだろう。それに、ゴブリンは瞬く間に増える。群れはいずれ食い扶持を探して家畜を殺し始める。そんなことは火を見るよりも明らかだった。
「まあ、そりゃそうだよな」棍棒の男が頷く。
話し合わなくとも、やることは決まっていた。
「ゴブリンをぶっ殺すぞ!」
棍棒の男が叫ぶと、探索者たちは各々勇ましく返事をして動き始めた。弓を持った女が、矢をつがえながら叫ぶ。
「ゴブリンを狙え! 獣には当てるなよ!」
盾を持った探索者が前へ出た。一匹のゴブリンが棍棒を振り下ろす。探索者はその一撃を丸盾で受けた。探索者が盾を前へ押し出すと、ゴブリンは一歩後ろへよろめく。
瞬間、横から槍が突き出された。穂先がゴブリンの腹へねじ込まれる。ゴブリンは弾き飛ばされるように地面に転がった。
その隙に一匹の山蜥蜴が人間たちを回り込み、古い荷車道へ入ろうとする。
折れた短剣を持ったゴブリンが、その山蜥蜴を追っていた。短剣を振り回しながら、山蜥蜴の尾を執拗に狙っている。
オウルがすかさずゴブリンの横につく。短槍で、ゴブリンの短剣を払いのけた。
そこで初めて、ゴブリンは顔をオウルのほうへ向けた。
ゴブリンはにやにや笑っている。
「楽しそうだな」
オウルが笑い返すや否や、短剣が突き出される。オウルは横へずれて避け、片足でゴブリンの短剣の刃を踏みつけた。
ゴブリンの手が思わず柄を放す。踏まれた武器を取ろうとするゴブリンのうなじに、オウルは穂先を二度、突き込んだ。
やることは単純だ。
獣が逃げようとしていれば、木戸から通す。ゴブリンが出てきたら殺す。
次に木戸へ近づいたのは、狼だった。
武器を下げた槍の男のすぐそばを走り抜け、開いた木戸へ向かう。すると狼の後ろから、ゴブリンが一匹ついてきた。片手に石ころ、もう片方の手には、赤い肉塊が握られている。
男はゴブリンを見ると、すぐに槍を上げた。
ゴブリンは走りながら、もう一口肉を噛み切って、残りの肉を道へ投げ捨てた。
「食いながら来んなよな!」
槍を持った男が嫌そうな声で叫ぶが、ゴブリンはケタケタ笑うだけだ。
瞬間、ゴブリンの額に矢が突き刺さった。
そのあいだにも、ほかの生き物たちは西へ向かう。狼も、山蜥蜴も、探索者たちがすぐには見分けられないような小さな獣も、必要以上に人間に近づこうとはしなかった。
一方、ゴブリンたちは違った。人間が立っていることに気づくと、そのうち何匹かは獣を追うのをやめた。何匹かのゴブリンは逃げたが、ほとんどは笑いながら武器を構えた。人間のほうがもっと面白い獲物だと判断した奴もいるらしかった。
そのとき、街道の森側から声が上がった。
「大穴熊だ!」
大きな黒い獣が木々のあいだから現れた。四本の脚で立っていても、肩は人間の腰よりも高い。
二匹のゴブリンが、大穴熊を追っていた。一匹のゴブリンが石を拾い、その石を投げた。石が大穴熊の背中へ当たると、ゴブリンどもが歓声を上げた。
大穴熊は頭をゴブリンたちのほうへ向けた。
ゴブリンたちは笑いながら、大穴熊から逃げるように散った。
大穴熊はゴブリンたちを追いかけ始めたものの、前方に開いた木戸があることに気づいたようだった。古い荷車道のほうへ向きを変え、木戸を通り抜け、そのまま南西へ進む。
大穴熊が古い道へ逃げて行った後も、ゴブリンたちはまだ笑っていた。
「いったい何がそんなに楽しいんだ?」と棍棒の男が言った。
「さあな。本人に聞けば?」オウルが返す。
「嫌だね」
そのうちの一匹が身体をかがめ、地面から石を拾い始めたので、棍棒の男とオウルは同時に踵を返した。すぐ近くにいた盾を持った男の後ろに回り込む。盾の男が叫んだ。
「おい! お前らっ、なんでこっち来るんだよ!」
「盾持ってねえからだよ」
「案外面倒なんだよなあ、石」
「この野郎!」
ゴブリンが石を投げたので、すかさず盾を上げ、石を受ける。
ゴブリンが手持ちの石を使い切ったところで、オウルが前へ出た。走ってゴブリンとの距離を詰める。
一匹目のゴブリンが短剣を抜くも、間に合わない。
オウルの短槍がゴブリンの胸を貫いた。
それを見て不利を察したか、二匹目のゴブリンは森のほうへ逃げだした。
「逃がすな!」
弓使いが矢を放つ。――外れた。
「下手くそ!」
「うるせえ!」
ゴブリンはそのまま森へ向かって走り続けた。棍棒の男が、そのゴブリンを追おうとする。
「追うな!」班長の怒声が響く。「危険だ! 一人で森へ入るな!」
棍棒の男は、舌打ちしながら立ち止まる。班長の言い分は正しい。単身で複数のゴブリンどもがいるとわかりきっている森へ踏み入るのは、どう考えても自殺行為だ。
ほどなくゴブリンは、木々のあいだへ消えた。
そのあとは、ほとんど作業だった。
「またゴブリンだ!」
「くそっ、何匹いるんだよ!」
盾を持っていればゴブリンの進路を塞ぎ、槍や剣をを持っていればゴブリンを仕留める。弓使いは柵や石垣によじ登って索敵しつつ、近距離で戦っている探索者たちを援護する。
足の速い探索者の何人かは古い荷車道を走り、すでに開いた木戸を通った獣たちがそのまま南西へ進み続けていることを確認した。
各々が必要だと思うことをやる。探索者たちにとってそれは、普段の仕事と何も変わらない。
ある時点から、件の班長でさえ、持ち場へ戻れと言うのをやめた。
しばらくすると、森から出てくる生き物の数は目に見えて減った。
最後に現れたのは、若い狼だった。
周囲を警戒してか、一度は立ち止まったが、やがて開いた木戸をくぐって道の先へ消えた。
森からは、それ以上何も出てこなかった。
近接戦をしていた何人かの探索者が、その場に座り込んだ。
「思ったより、楽だったな」
「獣まで全部相手にしてたら、こうはいかなかっただろうさ」
「最初から木戸を開けりゃあよかったんだ」
「そういうことを決めるのに、あいつらには時間が必要らしいからな」
「でも結局は開けた」
「勝手にな」
探索者たちの何人かが笑うのを眺めながら、オウルは北門のほうへ戻った。
しばらくすると、町から一人の男が走ってきた。
班長がさっき本部へ送った伝令だ。伝令は走りながら叫んだ。
「西側の木戸を開けることを許可する! 南へ向かっている獣は古い道へ誘導しろ! 交戦は最低限!」
誰も伝令へ返事をしない。
伝令は走る速度を落として、やっと周囲を見渡した。
木戸はすでに開いていた。古い荷車道沿いの草の上には数え切れないほどの足跡が残っていて、街道にはゴブリンの死体が散らばっている。
街道にいる探索者たちは地面に座り込んで、水や携帯食料をつまんでいた。
「遅えよ」と棍棒の男が笑いながら言う。
伝令は班長を見た。班長は頭痛でもこらえるように、片手を自分の額へ当てた。
「心配すんな。そっちの命令通りに全部やっといたぞ」
オウルも笑いながら言うと、班長が叫んだ。
「命令が来る前に動いたんだろうが!」
周囲から笑い声が上がった。




