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冒険者ギルドは公平で健全でうさんくさい  作者: 遠野 文弓
第1章 冒険者ギルドができるらしい

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6.ヒューマンは短絡的

「な――!」


 イチロクは思わずガッと口を開いたが、後ろで首を折って転がっている死体が脳裏に蘇り、声がつっかえる。


 声をかけて気を散らせば、それで転落するかもしれない。


 ――阿呆が。なぜこんなことを!


 冒険者ギルドの説明会でも、イチロクの住処でも、あのヒューマンは退屈そうにしているか、軽薄に笑ったり軽口を叩いたりするくらいのものだった。イチロクの見る限り、表情の豊かな男であった。


 それなのに、今はその面影が欠片もない。


 表情はごっそり抜け落ちている。


 高揚して笑うか、狂気を見せるかしているなら、まだ気狂いとして理解できた。

 だがオウルの目には、熱狂も恐怖もない。人間らしい感情はどこにもなかった。死の恐怖にも周囲の喧騒にも動じない、ひどく静かな目だった。

 見知った姿かたちをしているのに、別の次元に棲む生き物でも見ているようで、薄気味が悪い。


 イチロクはそこでようやく、昨夜の話がただの軽口ではなかったのだと思い知った。死の山でナマクラ一本、水も食料もなしに狼の群れを抜けたというのも、聞いたときはそんな馬鹿な話があるか、と頭のどこかで疑っていた。そんな命からがらのやり取りを切り抜けたにしては、語り口が軽薄すぎたからだ。


 だが、このありさまを目前にした今となっては、こう思わざるを得ない。


 すべて誇張のない事実だったのだ。

 あのヒューマンは、本当にこういう種類の阿呆なのだ。


「おーっ、そこで足が止まったぞ!」

「落ちるか!?」

「まだだ、まだだ、ありゃあ落ちる顔じゃねえ!」

「落ちろ! 落ちろ!」


 野次が飛び、銀貨が投げ込まれる。

 オウルは無表情のまま、また一歩を踏み出した。


 朝の風が強く吹けば、ぎち、と綱が鳴る。

 オウルは揺れに逆らわず、むしろ揺れに身体を預けるようにして重心をずらした。後ろ手を縛られているぶん、肩と腰と足首だけで釣り合いを取っている。その身のこなしは、命を賭けた遊びというより、満身創痍の獣が細い岩棚を渡っていく様に近かった。


 死体の横で、野次馬どもがどっと笑う。

 イチロクは、自分がいつの間にか拳に力を込めていることに気づいた。


 やがてオウルは、最後の一歩を渡り切った。向かいの木窓の枠へ片足をかけ、そこで初めて大きく息を吐く。


 広場の下から歓声と罵声が同時に飛ぶ。

 細い指をした胴元らしい痩せた男が、渋い顔で銀貨を数え始めた。


 オウルは振り返りもせず、窓枠に身体を預けた。後ろ手に縛られた両腕の輪の中へ片足ずつ通し、縛られた両手を身体の前に持ってくる。手首の縄の端を口へ持っていき、歯でくわえて引いて緩める。


 イチロクは人垣を割って前へ出た。

 人垣を抜けると、倉庫の壁に立てかけられた梯子を降りてきたオウルが、涼しい顔で銀貨を掌に受け取るところだった。


「おっ! イチロクもいたのか」


 まるで散歩の帰りにでも出くわしたような声である。


「いたのか、ではなかろうが!」


 イチロクの怒声にも、オウルはけろりとしている。

 掌の中の銀貨を二枚、イチロクに向けて弾いた。イチロクが空中で受け取ると、にやりと笑ってみせる。


「ほら、ちょっと増えたぜ。靴紐代と、今日の朝飯くらいにはなるかな?」


 銀貨二枚。たった銀貨二枚だ。


「……阿呆か、貴様は!」


「そんな気にすんなよ、返す気もアテもあるからさ」


「そうやって返されても嬉しくないわ!」


 イチロクは本気で怒鳴った。

 怒鳴りながらも、さっき綱の上で見た顔が頭から離れない。命を落とすかもしれない場所に立つと、このヒューマンは普段の軽薄さも無駄口もすっかり消し去り、ごく自然にその状況へ馴染んでしまう。


「お前は捨て石ではないのだぞ、若造」


「状況によるだろ」


「とにかく、雑に扱うなと言っておるのだ!」


 オウルはイチロクの怒りに頓着もせず、広場の死体を顎でしゃくった。


「一人落ちてたな。運がなかったか、覚悟が足りなかったか」


「お前も同じようなことをしただろうに」


「心外だな」と、オウルはけらけら笑った。

「おれは勝ったぜ」


 その言い方があまりにも軽くて、イチロクは言葉を失った。

 そのとき、銀貨を集めていた胴元の男が、こちらをちらりと見て鼻で笑った。


「次の組がまだ決まってねえ。やるか、ドワーフの兄ちゃん?」


「やらん!」


 イチロクが即答する。


「そっちの兄ちゃんは? もう一回やるかい」


 オウルは伸びをしてから男に向き直った。


「おれも、もういいよ。こりゃギャンブルってより見せ物だ。次もできるもんを二度やってもつまらないしな」


「強気だねえ。ルールを変えりゃあやんのか?」


「ものによってはな。で? 次はどんな――」


 まずい、とイチロクは思った。このままだと、こいつは本当にもう一度やる。


「断る!」


 言うが早いが、イチロクはオウルの腹部を自分の右肩に乗せ、腕を回して固定した。オウルは目を瞬かせたが、手足をだらりと垂らして身を任せた。

 ドワーフの背丈ではヒューマンの体を浮かせきれず、オウルの両足は地面を引きずっている。そのまま人垣の外へ連れ出される間もオウルは抵抗せず、のんびりとイチロクの顔を見た。


「話の途中だったのに。なんだよ、いきなり?」


「黙認したら今日中に死にそうだ」


「さっき勝っただろ。そこまでは見てなかったか?」


「黙っておれ!」


 なおも軽口を叩くオウルに、イチロクは一喝する。

 広場を離れかけたそのとき、後ろから野太い声が飛んだ。


「おい、兄ちゃん!」


 イチロクが振り向くと、さっきまで人垣の中で野次を飛ばしていた無精ひげの男が、にやにやしながらこちらへ寄ってきた。


「助かったぜ。あんたに張ってたんだよ」


 そう言って、片手の中で銀貨を鳴らす。

 オウルはイチロクに抱えられたまま、にへらと笑った。


「あぁ、そりゃどーも」


「途中で足が止まったときは冷や汗もんだったが、やっぱり落ちる顔じゃなかったな」


「落ちるつもりはなかったさ」


 男はそこでけらけら笑い、銀貨を指で弾いた。


「昨日でくたばっててもおかしくなかったのにな。運がいい奴だ。まっ、だから賭けたんだけどな」


 イチロクが眉をひそめる。


「何の話だ?」


「いや、ちょっと前に見たんだよ。死の山の麓で〝エス〟が死にかけのヒューマンに薬をぶっかけてるのをさ。ありゃお前だろ」


 イチロクは渋い顔で問い返した。


「エス?」


「死にかけを拾っては水薬(ポーション)ぶっかけてる変人さ。死の山の近くをうろつくなら、一度は聞く名だぜ」


「女の神官(クレリック)か?」


「らしいな。とてもそう見えねぇが。古い用水路の奥にいる変人だよ。緑のマント着て、薬売りみてえに籠だの小瓶だのぶら下げてるのさ」


「ほら見ろ」と、オウルが嬉しそうにイチロクの肩をばしばし叩く。

「賭け事も捨てたもんじゃないだろ?」

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