66.南へ向かう用事
コニーがイチロクの作業場を訪ねると、戸口は開いていた。
中から革を叩く音が聞こえる。「こんにちは」と声をかけてから扉を押すと、作業台の前に座ったイチロクが、オウルの革の胸当てへ新しい紐を通しているところだった。
オウルはそのすぐ横で、床に寝転がって目を瞑っていた。靴を脱いでずいぶんくつろいでいたが、手の届くところに背嚢と外套を置いてある。
コニーが入ってくると、イチロクは胸当てから目を上げずに言った。
「ここは宿ではないぞ。まったく……」
今日、オウルとコニーは南門からニックブレード・タウンを出る予定だ。
南西にある炭焼き場で、夜ごと薪置き場を荒らすものがいるらしい。足跡は残っているが、炭焼きたちには魔物の種類がわからなかった。
事の始まりは、一昨日だった。
イチロクが作業台で鉈の刃を研いでいると、取引のある炭屋が工房を訪ねてきた。
炭屋は戸口を入ったところで、床を見た。オウルはそのときも、作業台の横の床に寝転がっていたからだ。片腕を枕にしてくつろいでいる若い男を見て、何か尋ねたそうな顔をした。
だが、イチロクが説明するそぶりもないので、ひとまず気にしないことにしたらしい。炭を納品して二、三の雑談を交わした後、ふと愚痴るようにこう言った。
「最近、薪置き場を何かが荒らすんだよ。魔物だとは思うんだがね。樹皮を剥がした跡もあるが、食べているようすもない」
「家畜は無事なのか」
「ああ。ただ、夜番が小屋の壁を引っ掻く音を聞いててな。気味が悪いよ」
「足跡は見たのか」
「それらしきものはあるんだが、よくわかんねえな。踏み荒らされてんだ」
炭屋は、魔物に詳しい者を一人か二人連れてきて、正体を確かめてほしいのだという。追い払えるものなら、その場で駆除してもらえるとありがたい。一介の貧しい炭屋だから、冒険者ギルドに依頼というのも大仰だ。
イチロクは砥石の上から顔を上げ、床に転がっているオウルを見た。
「ん?」オウルは頬杖をつきながら、イチロクを見上げた。
「おれに行けってか?」
「暇なら三日ほど町から消えておれ」
炭屋は二人を見比べた。
「この兄ちゃん、魔物がわかるのか?」
「まあ、多少はな。でもあんまり期待はすんなよ」
炭屋はまだ少し不安そうだったが、イチロクの紹介ならと依頼を任せることにした。
現地で足跡と薪置き場を調べる。必要なら夜まで見張り、一泊して翌日も周辺を調査する。三日目には、木炭を積んだ荷車とともに町へ戻る。
「連れは一人までなら構わんよ」炭屋が言った。
「炭焼き場の寝小屋を使ってくれ。だが、余っている寝台が二つしかない。床でも寝られるなら、もっと連れてきてもいいが」
「こいつなら床で寝るぞ」とイチロク。
「それはおれが言うことだろ」
オウルは初め、一人で行くつもりだった。薪置き場を荒らしたものに当たりをつけて、夜まで見張って待って帰るだけである。自分一人で足りる。
コニーがその話を聞いたのは、同じ日の夕方だった。
研ぎに出していた剣を受け取るためにイチロクの工房を訪ねると、オウルが背嚢へ縄や火口箱を放り込んでいた。
「どこかへ行くんですか?」
「南の炭焼き場。薪を荒らす奴がいるんだと」
「依頼ですか?」
「三日で戻る」
作業台の向こうで、イチロクが研ぎ終えた剣を布で拭っていた。
「同行者を一人連れていってよいそうだが、この阿呆は一人で行くつもりらしい」
「余計なこと言うなよ」
コニーはオウルを見た。
「わたしも連れていってください!」
「なんでだよ」
「一人までいいんでしょ?」
「いいけどさ。夜中に薪置き場を眺めて、何も出なかったら寝て帰る仕事だぞ」
コニーは引かなかった。
道中に危険な場所は少ない。魔物が出るとしても、街道近くへ下りてきたゴブリンか狼程度だ。現地でも、正体のわからない何かを追って森の奥へ入る予定はない。
オウルはしばらく嫌そうな顔をしていたが、最後には了承した。
「勝手に前へ出るなよ」
「はい」
「おれが何か追っていっても、ついてくるなよ」
「それは、そのとき考えます」
「そこは適当に肯いとけよ。後々損するぞ」
そうして、出発の日になった。
「荷物の準備はできましたか?」コニーが尋ねる。
オウルは床の背嚢を指した。「だいたいな」
だが背嚢からは、押し込まれた毛布の端が大きく飛び出している。
「はみ出てますけど」
「別にいいだろ」
「嬢ちゃん、こいつの荷物を詰め直してやれ」イチロクが不機嫌そうに言った。「この阿呆がやるよりマシだろう」
「だって、パズルは苦手なんだよ」
コニーはさっそく毛布を引き抜き、畳み直した。
「これを詰めたら、さっそく出発ですね!」
「そうだな」
***
パーニアは窓口の内側で、返却された依頼票を日付順に綴じていた。
そのとき、支援会の入口が開いた。顔を上げると、市政庁の印が入った革筒を持つ男が入ってくるところだった。
「冒険者ギルドの責任者はいらっしゃいますか?」
「支部長は不在です。ご用件でしたら、わたしが承ります」
パーニアが答えると、男は革筒から折り畳まれた書類を取り出した。
「市政庁から、冒険者ギルド登録者についての照会です。北側で魔物の目撃が増えているため、市内で協力可能な人員を確認しています」
パーニアは書類を受け取り、内容へ目を通した。
「承知しました。必要なのは、人数ですか?」
「登録者の総数と、等級別の人数をお願いします。それから、現在町にいると確認できる人数も」
「現在地までは把握していませんよ」
「三日でできる範囲で問題ありません」
そう言い残して、市政庁の男は短く頭を下げて出ていった。
パーニアが書類をカウンターへ置くと、壁際の掲示板からトッドが振り返った。
「魔物が増えてるのか?」
「北側で目撃が増えているそうです。いまのところ、警戒のための人数確認ですね」
パーニアは書類をもう一度読んだ。
「トッドさんは、三日以内に町を離れる予定はありますか?」
「ない。受ける仕事もまだ決めてないな」
「わかりました」
しかし、誰もがトッドのように律儀なわけではない。ニックブレード・タウンの奔放な登録者どもを捕まえるだけでも骨が折れるし、今後の予定を聞き出すのはもっと大変だ。
パーニアは、これから始まる聞き取りを思ってため息を吐き、ペンを走らせた。




