59.エンカウント
オウルは開いた石扉の向こうを覗き込んだ。中は真っ暗だ。
「使われなくなった通路か?」
「うーん……」
エスは通路の入口へしゃがみ込み、床へ顔を近づけた。それからオウルにちょいちょいと合図をして、「ナイフ貸して」と言った。オウルが小さなナイフを抜いて渡すと、エスは左手でそれを握り、右手で胸元の聖印へ触れる。
「〈主の光のもと、隠れしものを見よ〉」
〈光〉の呪文――ナイフの剣身に白光が灯る。
剣身だけ光らせておけば、鞘に納めるだけで手軽に光を隠せる。探索者がよく使う手段だ。
エスが光るナイフを通路へ差し出すと、通路の床と壁が照らされた。
床には土埃が積もっていたが、その上を、何人もの靴が踏んでいるようだ。靴跡がまだはっきりと残っている。壁の上部には、松明を近づけたらしい黒い煤がついていた。
「今も使われてるみたいだよ?」と、エスが言う。
「ふーん。祭具を盗んだ奴が使ったか?」
「そうかも。ただ、靴跡は一人分じゃないね」
靴跡には、少なくとも三種類の大きさがある。何度も往復しているのか、互いに重なっている。
祭具を盗んだ者が偶然この通路を見つけたのか。それとも、以前から通路を使っていた者が祭具を外したのか。足跡だけでは、どちらともつかない。
意を決したように、管理人が言う。「私が中に入ります」
「いいけど、おれが先頭。あんたは一番後ろだ」
エスは立ち上がった。「わたしが先でもいいよ?」
「何か出てきたらどうすんだよ」
「こんなところで?」
「誰かが使ってるっつったのは自分だろ。いいから後ろにいろ」
「はーい」
オウルは返事も待たず、先に通路へ入った。
エスは光るナイフを頭の高さへ掲げ、オウルから一歩半ほど空けて続いた。
管理人は手にしていた蝋燭を吹き消し、入口脇の台座へ置き、続いて通路に入る。
壁の表面は粗く、ところどころに太い木材が支柱として立てられている。天井からは細い木の根が何本も垂れていた。墓地に生えている木の根だろう。
オウルは中央の靴跡を踏まないよう壁に沿って進んでいたが、曲がり角まで数歩というところで、ぴたりと足を止める。
右手を上げ、後続の二人にも止まるよう合図する。
「なに?」エスが小声で尋ねる。
「何かいる。光を消せ」
オウルがナイフの鞘を外してエスに突き出す。エスが剣身を柄に納めると、あたりがふっと暗くなった。
しばらく暗闇でジッとしていると、こつこつと靴音が聞こえてきた。一つではない。不規則に重なる足音が、通路の奥から近づいてくる。
「管理人は納骨室まで戻れ」オウルが小声で命じる。
「しかし――」
「戦えるのか?」
管理人は答えなかった。
「入口が閉じないように見てろ。呼ぶまで来るな」
エスも管理人の腕をぽんと叩いて、小さく笑った。
「大丈夫だよ。行って」
管理人が戻るのを見送ると、オウルは腰の剣へ手を掛けた。エスも右手を胸元の聖印へ近づける。
曲がり角の向こうで、橙色の光が壁を照らした。ランタンの光だった。
最初に角から出てきたのは、革鎧を着た男だった。右手には片刃の剣を持ち、腰にランタンを吊るしている。その後ろから、短槍を持った男が現れた。最後尾の男は弩を両手で持ち、腰の矢筒から矢羽根を覗かせていた。
三人がぴたりと止まる。
向こうも、この場所で人に会うとは思っていなかったらしい。
狭い通路だ。剣の男とオウルの間は、せいぜい五歩分ほどしかない。
剣の男の視線が、オウルの腰の剣から胸元へ移る。《欺き》の聖印を見たあと、その後ろにいるエスへ目を向けた。エスは僧衣姿だ。胸元には聖印がある。
「神官二人だ」短槍の男が言った。
その言葉に呼応するように、剣の男が剣先を上げる。
互いの距離は近い。神官は基本は呪文を使うから、近距離戦は不得手だ。おまけに三対二である。詠唱さえさせなければ、呪文遣いには負けないと考えたのだろう。
三人が臨戦態勢に入った瞬間、オウルは一歩で間合いを詰め、抜きざまに剣を振った。狙いは先頭にいる剣の男だ。
剣の男は身体を反らして刃を避けた。切っ先が革鎧の表面を掠める。オウルは勢いのまま踏み込み、返す刃を男の脇腹へ走らせた。
革鎧を捉える。刃が剣の男の革鎧を裂き、脇腹へ浅く食い込んだ。
後方の男が弩を持ち上げた。仲間の肩越しに狙いを定め、オウルへ引き金を引く。
ビン、と弦が鳴った。
矢はオウルの左肩の外側を抜け、硬い音を立てて床へ落ちる。
エスは弩の男をまっすぐ指差し、詠唱した。
「〈主はすべてを知り、記されし行いを量り給う〉」
聖印が薄く光り、弩の男の頭上に白い炎がぶわりと現れた。
炎は天井から床へ向かってまっすぐ降り注ぐ。男は気づくと同時に横へ飛んだ。炎は男の肩先を掠め、石床へ当たって消えた。
「こんなところで火なんか使っちゃ危ないぜ、嬢ちゃん!」
そうせせら笑う短槍の男が、剣の男の横から、鋭く穂先を突き出す。
狙いは、オウルの胸だった。
オウルは上半身を逸らして避け、剣の腹で槍柄を叩いて穂先を押しやる。槍はオウルの右脇を通り、壁を擦った。
その隙を狙って、剣の男がオウルに斬り返す――が、踏み込みが浅い。オウルは身体をひねり、刃をかわした。
――さっさと一人沈めないとまずいな。
オウルは剣の男の手首を狙って斬り込んだ。
男は慌てて腕を引いたので、オウルの刃は空振りに終わる。
「あーっ、くそっ、やりづれえ!」
悪態をつきながら、オウルは剣先をだらりと下げた。
剣の男が、それを次の斬撃の準備だと思って身構える。オウルは素早く刃を返し、剣の腹を男の側頭部へ叩きつけた。
鈍い音がした。
男は壁へ肩をぶつけ、そのまま石床へ崩れ落ちた。
胸が上下している。死んではいない。
短槍の男が、倒れた仲間とオウルを見比べた。
聖印を下げており、剣を使い慣れている。それらが指し示す職能は一つしかない。
「クソ! 聖騎士がいるなんて聞いてねえぞ!」
「はは」オウルは笑いをこらえきれず、思わず肩を震わせた。
こんなみすぼらしい姿でも、聖印を下げていればパラディンか? 笑った拍子に構えた切っ先がわずかにぶれる。やや迂闊な隙だったが、侮りとも受け取れる笑い方に、短槍の男は表情をこわばらせていた。
――瞬間、弦が鳴った。
今度の矢は、オウルの防具の継ぎ目へ当たった。鏃が革を突き抜け、脇腹へ食い込む。
オウルは顔をしかめたが、それだけだった。
エスは、オウルの脇腹をちらりと見た。
「いらねえよ。槍を止めてくれ」
「わかった」
短いやり取りを交わし、エスは短槍の男を指差して、詠唱する。
「〈御口より出でし言葉は、聞く者の内に記され、これに逆らうことあたわず〉。――伏せろ」
短槍の男は、エスの〈命令〉に逆らえず、槍を構えたままびくりと身体を止める。槍を構えたまま一歩踏み出そうとした膝ががくりと折れ、床に手をつく。
オウルは、倒れた剣の男をまたいで残る二人の間へ踏み込み、まず弩の男へ剣を振る。
刃は男の脛を斜めに裂いた。オウルはそのまま剣を低く回し、男の足首へ引っ掛けるようにして足を払った。
弩の男は壁へ肩をぶつけた。
片脚が滑ったが、空いた手を壁について踏みとどまる。脛から血を流しながらも、床へ倒れることはなかった。オウルはさらに踏み込み、剣の柄頭を男の顎へ突き上げた。
男は壁へ後頭部をぶつけ、その場に崩れ落ちた。弩が手を離れ、石床へ落ちる。オウルはそれを足先で遠くへ蹴った。
短槍の男は、片膝と片手を床についたまま仲間二人を見た。
一人は気絶し、もう一人も床へ倒れている。
エスは胸元の聖印へ手を添えて、短槍の男に口を開いた。
「仲間を治療するよ。降伏してくれる? それとも、君もそこの彼に斬ってもらってから、ぎりぎりで治す?」
短槍の男はオウルを見た。
オウルは何も言わず、のんびり立っている。剣の切っ先は下ろしているが、そこには返り血が貼りついている。
男はのろのろと短槍を捨て、両手を上げた。
「降参する」




