58.嘘がなくても出し抜ける
翌朝、オウルが西門へ着くと、門脇の馬車寄せに、幌なしの荷馬車が停まっていた。エスはすでに荷台へ乗り込み、木箱の上に腰掛けていた。相変わらずぼろい僧衣を着て、胸に聖印を留めている。その脇には、昨日も持っていた薬草籠が置かれていた。
「おはよー、神官サマ」
「やめろよ」
オウルが荷台へ上がると、エスは自分の胸元につけた聖印を指差して言った。
「あ、聖印は出しといたほうがいいよ。聖印が見えるところにないと神術は使えないから」
オウルは首から下げていた《欺き》の聖印を外へ出した。銀の聖印が胸の中央に下がる。腰には短剣を吊るしていて、服装もいつも通りだ。聖印がなければ、護衛か傭兵に見えるだろう。
御者が手綱を鳴らすと、荷馬車は西門を出た。
二時間ほど進んだところで街道を外れて、細い道へ入る。道の先には、腰ほどの高さの石壁に囲まれた墓地が見えた。墓標の多くは板状の石を地面へ立てただけの簡素なものだ。
その墓地の奥に、小さな石造りの礼拝所が建っていた。
正面には木製の扉が一つ。壁には細長い窓が左右に二つあるが、どちらも板で塞がれている。建物の右手には、管理人が寝泊まりするための小屋と、屋根つきの薪置き場があった。
馬車の音を聞きつけたのか、小屋から灰色の外套を着た男が出てきた。
男は四十代ほどのヒューマンで、腰に鍵束を下げていた。彼はまずオウルへ目をやり、それからエスと、その隣の薬草籠へ順番に視線を移した。
男は、オウルへ向かって頭を下げた。
「お待ちしておりました。礼拝所と納骨室をご案内します」
どうやらオウルのほうをクレリックと判断したらしい。
エスの聖印にも気づいているはずだが、彼女の背丈は子供ほどしかない。僧服は薄汚れていて、薬草籠を抱えている。追加された調査員か、神官の補助をする薬草師とでも思ったらしい。
オウルは、肯定も否定もしなかった。
「中を見せてくれ」
「こちらです」
エスも何も訂正せず、薬草籠を持って管理人とオウルのあとに続いた。
礼拝所の中には、長椅子が左右に四列ずつ並んでいる。建物が使われなくなってからも、最低限の掃除だけは続けているらしい。管理人は祭壇の手前で立ち止まり、床を指した。
「納骨室は、この下です」
「前はどんな依頼だったんだ?」
管理人曰く、前回行われたのは、地下に保管されている骨箱の移動だったという。
礼拝所は数年前から雨漏りが続いていた。雨水が石壁の内側まで回るようになり、納骨室に湿気がたまるようになった。木製の骨箱の一部には、底板が膨らみ始めたものもあった。そのため、下段に置かれていた骨箱を上段へ移し、傷んだ棚を取り外すことになったのだ。
「ですが神殿の者だけでは運びきれませんで、冒険者ギルドへ依頼しました」
前回の作業には、例のクレリックを含めて五人が参加した。
管理人は納骨室を開け、動かす骨箱と触れてはいけない祭具を説明した。その後は、階段の上で運び出された棚板や廃材を確認していたという。納骨室の中へ出入りはしたが、作業中ずっと奥を見張っていたわけではなかった。
「祭具がなくなったのは、いつ気づいた?」
「翌朝です。作業後の記録をつけるため、保管されている祭具を確認したところ、銀製の聖骨箱が一つ足りませんでした」
聖骨箱といっても、名の知られた聖人の遺骨を収めたものではない。昔この墓地へ納められた遺骨の一部と、死者のために書かれた祈祷文を収めた小箱だった。宗教上は丁寧に扱うべき祭具だが、失われれば礼拝所の封印が解けるような物ではないという。
「大きさは?」オウルが尋ねる。
「両手に収まる程度です。銀製ですから、売ればそれなりの値にはなるでしょう」
「普通に盗まれたってことだな」
「その可能性が高いと思います」
問題は、祭具だけではなかった。移動された骨箱を確認した神殿から、必要な祭儀が行われていないという苦情が出たのだ。骨箱を棚から下ろす前には香を焚き、移動する死者の名を読み上げ、安置したあとに短い祈りを捧げる決まりになっている。
「その説明はしたのか?」
オウルが聞くと、管理人は口を閉じた。
「クレリックが同行していましたので、この礼拝所の作法に従っていただけるものと……」
管理人は弁解するように言った。
そのクレリックが本物だったとしても、別の宗派に属していれば、ここの作法を知らなかった可能性はある。知っていて、割に合わないと省略した可能性もある。そもそもクレリックではなかった可能性も、まだ消えていない。
管理人は祭壇の横へ回り、床に敷かれた細長い絨毯をめくった。
その下に、地下へ続く石段があった。
階段の幅は、人が一人ずつ下りられる程度だった。壁には一定の間隔で鉄製の燭台が取りつけられている。管理人は持ってきた火口箱で蝋燭へ火をつけ、先に階段を下りた。
十段ほど下りると、正面に石造りの扉が現れた。
扉は灰色の石板を二枚組み合わせたもので、中央には円形の金属板が埋め込まれている。金属板の中心は浅くへこんでおり、聖印を当てられるようになっていた。
「前回のクレリックは、こちらへ聖印を当てて開けました。何か唱えておりましたが、小声でしたので、内容までは」
「うーん……。ま、やってみりゃわかるか」
オウルは首から聖印を外した。指でつまんで、扉中央のくぼみへ押し当てる。
何も言わないまま数秒待つと、石扉の内側から小さな金属音が聞こえた。続いて、重い物がざりざりと横へ滑る音が、扉の向こうから響いた。
管理人は安堵したように頷いた。
「やはり、問題なく開きますね」
オウルがクレリックではない可能性はまるで考えていないらしい。
「ああ、問題なくな」とオウルは同意した。管理人とはまったく別のニュアンスで。
「一度閉めるぞ」
オウルは扉を手前へ少し引いたあと、もう一度押して閉じた。管理人に手順を聞き、内側の仕掛けが戻るまで待つ。
「次はお前が開けろ」
「はーい」
エスが同じく中央のくぼみへ当てると、先ほどと同じ音がして、閂が外れた。
エスは聖印を止め直してから、扉中央のくぼみを指でなぞった。
「ん~。神官かどうかは見てないね」
「そりゃあわかってる。こいつは何を判別してんだ?」
「本物の聖印かどうか、かな? あとは、持ってる人との結びつき。封印を施した人に聞かないと、断言はできないけど」
「これはいつ作られた扉だ?」と、オウルが管理人へ尋ねた。
「礼拝所と同じ時期なら、百二十年ほど前ですね」
オウルは呆れて、エスを振り返る。「さすがに死んでるだろ」
「ヒューマンならね」エスは平然と返した。
そこで三人の話は途切れ、各々が開かれた扉に目を向けた。
管理人が燭台から蝋燭を一本外し、「こちらへどうぞ」と案内を続ける。
納骨室は、礼拝所の床より一回り狭い長方形の部屋だった。天井は低く、オウルが腕を伸ばせば届いてしまう。左右の壁には石棚が並び、木製や陶製の骨箱が置かれていた。
下段の棚は空になっており、骨箱は上段へ並べ直されていた。箱の正面には、死者の名や納骨された年を書いた札が紐で結ばれている。木箱には新しい縄が掛けられ、底が傷んだものは板を当てて補強されていた。
エスは薬草籠から薄い布手袋を出して両手にはめた。
最初に、入口近くの小さな祭壇を調べる。
石の祭壇には、香炉と油皿が置かれていた。エスは香炉の蓋を外し、中へ指を入れる。底には灰が薄く残っていたが、最近香を焚いた跡はなかった。油皿もすっかり乾いている。
「ここの神殿が決めた手順はしてないね」エスは手袋を外しながら言った。
「香も焚いてないし、清めの油も使ってないし」
「じゃあ、やっぱり偽物か?」
「さぁ。違う宗派なら別のやり方をするし。引越しだけなら祈りはいらないって考えの人もいるし」
「あえて何もしなかったかもしれねえし」
「うん。それもあるね」
管理人は不満そうに眉を寄せた。
「依頼時には、この礼拝所の作法に従うものだと思っていました」
「次はそう書いとけよ。で、盗まれた祭具は?」
「奥のほうです。こちらへ……」
管理人は蝋燭を掲げ、石棚の間を進んだ。
納骨室の最奥には骨箱の棚がなく、平らな石壁が見えていた。壁の中央には、小さな石の台座が取りつけられている。
台座の上は空だった。
その背後の壁には、周囲より色の薄い四角い跡が残っている。そこに祭具が掛けられていたことは、離れた場所からでもわかった。
「こちらに、銀製の聖骨箱がありました」
管理人は両手で大きさを示した。縦は肘から手首ほど、横幅は両手を並べた程度だった。裏側の金具へ引っ掛ける形で、壁に掛けてあったのだろう。
エスは台座の前へ立ち、祭具があった跡を見上げた。
「聖骨箱に特別な力はなかったのか?」と、オウルが聞く。
「ありません。納められていたのも、昔この墓地から移された遺骨の欠片と祈祷文です」
エスも壁へ手を近づけ、首を傾ける。
「んー。呪いの跡もないね。銀目当てで盗んだだけかも」
「罰当たりな泥棒だ」
「泥棒はだいたい罰当たりじゃない?」
オウルは空になった台座へ近づいた。
祭具を掛けていた金具は二本あったらしい。右側の一本は壁に残っている。左側は根元から抜け、斜め下へ垂れていた。
抜けた部分の周囲では、壁を覆っていた白い漆喰が手のひらほど剥がれている。内側から、灰色の石が露出していた。
オウルは、指で漆喰の割れ目をなぞった。
――割れ目の端から、細い線が真下へ伸びている。
自然に入ったひびなら、途中で曲がるか枝分かれするはずだった。その線は台座の脇を通り、床までほぼまっすぐ続いていた。
「……このひびは、前からあったのか?」
管理人が怪訝そうに近づく。
「いえ。気づきませんでした」
オウルは抜けかけた金具をつまんだ。金具は壁の奥まで打ち込まれていたが、祭具を外す際に強く引かれたらしく、周囲の石ごと少し浮いている。
指を近づけると、穴の奥から冷たい空気が当たった。
「この向こうに空間があるぞ」
「そんなはずは……。礼拝所の図面にも、この壁の先は記載されていません」
「どうだか。図面ってのは嘘を吐くからな」
オウルは抜けた金具の根元へ指を掛け、手前へ引いた。
その周囲の石板が、わずかに動く。石と石が擦れる、低い音がした。
「隠し扉だ」
オウルは石板へ両手を当てた。肩をつけ、体重をかけて押し込むと、左側の石が少し奥へ沈んだ。次いで、縦長の石板全体が内側へ動いた。
壁の一部が、重い音を立てながら開いていく。
奥に、暗い通路が現れた。
幅はヒューマン一人が歩ける程度。天井は納骨室よりさらに低く、土を固めた壁が奥まで続いている。
「こ、これは……」
管理人は蝋燭を持ったまま、開いた壁を茫然と見つめた。




