53.先渡し契約
探索者支援会の二階奥にある小さな応接室で、ミラ・パーニアは客を迎えていた。サルヴィエ染物商会を取り仕切る女商人、ミレナ・サルヴィエである。
「わざわざお越しいただき、ありがとうございます。サルヴィエさま」
「とんでもございませんわ」
武骨な木製のローテーブルには、すでに白磁の茶器と、焼き菓子を載せた小さな皿が用意されている。パーニアはミレナをソファへ促し、自分も向かいのソファに腰を下ろした。
「それで、ご用件はなんでしょう」
「まずは、こちらをご覧いただけますか」
パーニアは手元の小箱を開き、布に包まれた銀の指輪を取り出した。オウルとコニーが地下水路で拾った印章指輪だ。
「この印章指輪は先日、地下水路で遺体とともに発見されました。印は、先週受理された支給品納入書に押されたものと一致しています」
続いて、パーニアは懐から納入書を取り出し、指輪の隣へ置いた。
「指輪の持ち主は、ローデン商会の代表者、マルク・ローデンです」
「ローデンですって?」ミレナが声を上げる。どうやら知り合いだったらしい。
「なんてこと。本当に、本人なのですか?」
「ええ。遺体は家族と番頭によって、マルク・ローデン本人と確認されました。損傷が激しかったそうですが、古傷と、以前に骨折した指の形が一致したそうです」
「……つまり、この書類が受理された時点で、ローデンはすでに亡くなっていた、とおっしゃりたいの?」
「ええ」と、パーニアは頷いた。「サルヴィエ染物商会との取引記録が残っていたため、サルヴィエさまにお話を伺いたく、お越しいただきました。ローデン商会の最近の商売の様子や、本人以外に印章を扱えた者について、何かご存じではありませんか?」
ミレナは、銀の印章指輪へ視線を落とした。
「……荷の受け渡しは、古くからいる番頭に任せることが多かったようですわ。わたくしどもの商会でも、実際の納品には番頭や使用人が来ていましたから」
「契約の書類にも、その番頭が印章を押していたのですか?」
「いいえ。少なくとも、わたくしどもとの契約では、印章を押したのはいつもローデン本人でした。荷を受け渡す権限と、商人本人の印章を使う権限は別です。番頭であっても、勝手に持ち出して押せるものではありません」
「最近、商売が行き詰まっていたような話は?」
「そのような噂は聞いていません。むしろ以前より多くの契約を引き受けていたように思います」
パーニアは納入書を指で示した。
「では、この取引の内容自体はいかがでしょう。数量や価格に、不自然な点はありませんか?」
ミレナは納入書の品目と数字の列を順に目で追った。
「薬師組合の乾燥薬材が四包、青鷺印の精製灯火油が三樽、そして金蜂印の精製蜜蝋が八塊……。いずれも現在の市場価格から大きく外れてはいません。この規模の納入としては、不自然ではございませんね」
取引には、何の問題もない。正規の価格で、相応の量の物資が納入されているだけだ。
ただし、それを納入したことになっている商人は、すでに死んでいた。
そのとき、応接室の扉が二度叩かれた。
パーニアが顔を上げる。
「どうぞ」
扉が開き、普段は一階の受付にいる職員が姿を見せた。急いで階段を上ってきたらしく、肩を小さく上下させている。片手には、封蝋のついた折り畳み書状を持っていた。
「お話し中、失礼します。北東街道の旧監視塔跡へ向かった公募隊から、緊急の報告です」
職員は部屋へ入り、ローテーブルの脇まで歩み寄ると、書状をパーニアへ差し出した。
パーニアは封書を受け取ってから、向かいの席にいるミレナへ「失礼します」と短く断りを入れた。封を切り、中に入っていた報告書に素早く目を通す。
公募隊の荷車が襲撃された。襲撃者は――オウル・ダウングリーン。
パーニアの視線が、その名前の上で止まった。
数秒の沈黙のあと、紙面から目を上げないまま、書状を届けた職員に尋ねる。
「……死者は出ていませんね。負傷者は?」
「いません」
「襲撃者も?」
「ええ。無傷だそうです」
「馬と荷車は?」
「どちらも無事です」
パーニアはこめかみを押さえた。
……なぜあの男は、何かを確かめようとするたびに、正規の手順から最も遠い方法を選ぶのだろう?
だが、考えても仕方がない。パーニアは報告書の続きを追った。
ガレウス・ドランベルクの几帳面な字で、発見された箱の特徴が記されている。箱の底や角に泥がこびりつき、擦りつけたような傷が残っていた。中には、精製された蜜蝋が詰められていたという。
パーニアは、昨日コニーとジェムから受けた水路の調査報告を思い出した。二人はオウルを追うためにドワーフ(てっきり名無しと思っていたが、コニーは「イチロクさん」と呼んでいた)へ協力を求め、水路に残された運搬の痕跡を調べていた。律儀な子たちである。
二人の案内で現場を確認したイチロクは、重い木箱が倉庫側の点検口から水路へ下ろされ、工房通り側から地上へ引き上げられたと判断していた。
工房通りから地上に出たとしたら、ニックブレードの北門から出るのがいちばん近い。
北門から出発した公募隊の回収箱には、高価な蜜蝋の詰められた箱が紛れ込んでいた。
ガレウスが報告した箱は、水路を通って運ばれたものかもしれない。
パーニアは、ミレナに向き直った。
「サルヴィエさま。北東街道へ向かった公募隊の荷車に、搬出書類に記載のない箱が一つ、紛れ込んでいたそうです」
「中身は何ですか?」
「精製された蜜蝋です。大きな塊が八つ、木箱に詰められているそうです」
「八つ?」
ミレナが顔を上げた。
「……それは、レンガに似た四角い形で、上面に蜂の印がありませんでしたか?」
「え、ええ。そのように書かれています」
「では、金蜂印の蜜蝋ですわね」
「えっ……本当ですか?」
「品質を証明するために、専用の鋳型を使うのですよ。高級品ですもの」
ミレナは言いながら、机上の納入書へ視線を戻した。その指が、品目の一行で止まる。
「……この納入書にも、金蜂印の精製蜜蝋が八塊とありますわね」
「ええ。こちらでは、すでに納入済みになっていますが」
「サルヴィエ染物商会でも、同じ養蜂業者の蜜蝋を、同じ規格で買い付けています。先に代金の一部を支払い、後日受け取る契約です。ですが、現物はまだ届いておりません」
いわゆる先渡し契約だ。品物を受け取る日と価格をあらかじめ決めておき、買い手は手付金を払う。売り手は期日までに現物を用意する。
まだ手元にない品でも契約できるが、約束した量を用意できなければ、売り手は不足分を別に買い集めるか、違約分を支払わなければならない。
「正確な荷印を確認しなければ、同じ品だとは断定できません。ですが……」
ミレナは、パーニアが示した納入書の「金蜂印 精製蜜蝋 八塊」の字を指差した。
「偶然にしては、条件が揃いすぎていますわね」




