52.不審な箱
トッドは隊列の最後尾に戻った。
そのまま歩きながら、後ろから二番目の荷車に近づいていく。荷車に積まれた箱の荷締め縄を引っ張り、車輪の周辺を覗き込む。傍目には、単なる荷物の点検に見えるだろう。
トッドはまず、荷車の下段にある、普通の空箱に手をかけた。箱を軽く押してみると、箱がずっ、とわずかに動いた。
次に、トッドはオウルが指定した、右側下段の箱へ手を伸ばした。
先ほどと同じ要領で押してみる。
「……」
動かない。
力を入れて押して、ようやく軋むような音がしたが、それだけだ。
トッドは一度箱から手を離し、箱の底を見た。下部には泥がついている。払われた形跡はあるが汚れは落ち切らなかったらしい。箱の角には擦り傷もついている。
トッドが擦り傷に指を当てると、隊列の前方から別の隊員が歩いてきた。
「よお、何してんだ?」
トッドは振り返らずに答えた。「荷を締め直しててな」
箱から手を離し、隊員と一緒に隊列の歩調へ戻る。
しばらくすると日が暮れてきたので、隊列が街道の脇で野営の準備を始めた。
荷車が止められ、人が分散する中、トッドが隊を外れた。石垣の裏へ向かって、足早に歩いてくる。
左手に持っていた丸盾は背中に戻されていた。その表情は、先ほどオウルを問い詰めたときよりも明らかに硬い。
トッドは周囲に誰もいないことを確認してから石垣の裏へ入り込み、オウルに向き直った。
「……あれは空箱じゃない」
トッドは低い声で告げた。疑いの言葉はもう口にしなかった。
「中身は何なんだ?」とオウルが聞く。
「知らん」トッドは苦々しげに首を振った。
「だが、ここでは開けられん。上に別の箱が載っているし、縄は荷全体にまとめて掛けている。開けるには縄を解いて、上の荷を下ろすしかないが……」
トッド一人が、誰にも見られずにこっそり調べて開けることはできないというわけだ。
オウルが口を開く。
「下にあるってことは、荷車に積んだ奴はあれが重いって知ってたな」
「そんくらい、荷車に載せるときにわかる」
「そうだな。持ち上げりゃ、誰だって空箱じゃないと気づく。だから、それを回収用の空箱に混ぜて積むこともねえだろうさ。本当に何も知らなかったならな」
トッドの顔色が変わる。
重いと知っていて、あえて空箱の束の下段に紛れ込ませた人間がいる。
隊列の中に、意図して運んでいる者がいるとしたら?
「だから、おまえが誰かに事情を話して協力を頼んでも、うまくいかねえかもな」
トッドは深くため息を吐いた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「おまえはもう戻ってろ」
トッドはじとっ、とオウルを見た。オウルはにやりと笑ってトッドの肩を叩いた。
「おまえは何も知らない。いいな?」
オウルの言葉に、トッドは何も答えない。短く顎を引いて踵を返し、街道の野営地へと戻っていった。
***
オウルは街道を外れ、並行する森林の奥へ足を踏み入れた。
目的は、野営する公募隊よりも先へ回り込み、荷車の速度が落ちるような起伏や狭い場所を見つけることだ。街道が続く方向はわかっているし、隊列は朝まで動かない。時間には余裕があるはずだった。
だが、野営地の見張りに見つかるのを避けるため、松明は使えない。暗闇の中での移動は遅々として進まなかった。木々の下では斜面の傾斜も、足元に張る木の根も、踏み込むまでわからない。オウルは藪を掻き分け、急な斜面を滑り下り、這い上がりを繰り返した。暗闇で方向感覚を狂わされ、何度か街道の位置を見失ってしまう。
そうして斜面を上り下りしているうちに、木立の隙間から見える空が白みだす。
これ以上時間を取られたら、公募隊に背後から追いつかれてしまう。
条件のいい地形を探すのは諦め、最初に見つけたちょっとした曲がり道で妥協することにした。
その場所は街道がゆるやかにカーブしており、曲がり角の先に位置するため、隊列の先頭からは死角になる。
しかし、待ち伏せの地点としては難が多い。
道端に身を隠せる茂みはあるが、そこから荷車の轍が通る道の中央までは距離がある。途中に身を隠せるような岩も木もない。道幅もそれなりに広く、隊列が細く伸びて分断されるほど狭くはない。
荷車が通る速度は人が歩く程度だが、茂みから飛び出して荷車に取りつくまでに、どうしても一度は開けた道の上に姿をさらすことになる。
――もうちょっと道が狭けりゃよかったんだけどなぁ。
オウルは茂みの陰に身を潜め、街道の土を見つめながら考えた。
奇襲できない場所ではないが、誰にも気づかれずに箱へ近づくのは難しい。かといって、ここで奇襲を見送っても状況は良くならない。明るくなった街道で距離を取りながら尾行を続ければ、隠れる場所もなくなり、いずれ後衛の警戒に引っかかるだろう。
――奇襲はちょっと不利か。ま、しゃあねえな。
オウルはそう結論づけると、短剣の柄に手を当て、茂みの中で息を潜めた。
ほどなく、公募隊の荷車が姿を現す。
オウルは茂みから飛び出した。茂みから街道まで、身を隠せる物は何もない。狙った荷車へ向かう最短を選んでも、距離が長すぎる。
それでも気配を隠せば多少は近づけたはずだが、街道の開けた場所に出た直後、側衛にすぐさま発見されてしまった。
「敵襲!」
短い警告が飛ぶ。
――早ぇな。いやになるくらい優秀だ。
オウルが前方から現れたため、隊列の前衛が進路を塞ごうと武器を構えた。オウルはそれを見て口角を吊り上げる。
「はっは! こりゃもう奇襲じゃねえな!」
なら……。
オウルは立ち止まらず、前衛の盾や剣が届く直前で鋭く進路をずらした。そのまま目標である後ろから二番目の荷車の脇へ滑り込む。誰かの剣が背後を横切るが、オウルは構わず荷台に手をかけ、上へ跳び乗った。
荷車に取りついた勢いを生かして、積まれた箱を固定している荷締め縄の張った箇所へ短剣の刃を滑り込ませる。強く引きのばされていた縄は、バツン! と弾けるように切れる。
上段に積まれていた空の木箱がずれた。オウルは荷台に片足をかけて体勢を保ちつつ、上段の空箱を横へ強く押し出した。道端へ空箱がずり落ち、下段の箱の上面が完全にむき出しになる。
「捕まえろ!!」
荷車に上がった前衛の手が伸び、オウルの腰帯を掴んだ。
オウルは縁にかけた足を軸にして、後ろへ引かれる力に合わせて身体をひねった。腰帯が前衛の指から抜ける。
オウルはむき出しになった問題の木箱を見て、蓋を固定している金具の隙間に短剣の先を差し込んだ。金具はわずかに動いたが、刃先が金属の表面を滑った。
「くそ、厳重だな!」
舌打ちした瞬間、荷台に上がってきた別の前衛がオウルの脇腹へ体当たりをした。
オウルは踏ん張るために箱を掴もうとしたが、指をかける隙間がなく手が滑る。荷台の縁に足を引っかけたままバランスを崩し、横向きに街道へ落ちた。肩と背中から土の上に落ち、勢いを逃がすように少し転がる。
オウルがすっと立ち上がると、殺気立った公募隊の冒険者たちが武器を構えて襲い掛かろうとしてきた。
「殺すな」隊列の後方から、鋭く命令が飛ぶ。「取り押さえろ」
オウルは手にしていた短剣をぽいと地面へ投げ捨て、両手を軽く上げた。そして、荷車の下段の箱を顎で示した。
「おい、その箱、空じゃねえぞ!」
「でたらめを言うな!」と隊員の一人が言う。
オウルは笑って言い返した。
「だったら開けてみろよ! それとも、開けられたら困る奴でもいるのか?」
隊員の何人かが荷車の箱を見るが、すぐには動かない。
前衛がオウルの腕を後ろへ回して押さえつけ、別の隊員が捨てられた短剣を取り上げる。拾った短剣は隊長格の男へ渡された。
「あれ?」
「……久しいな、ダウングリーン」
隊長格は護衛組合の取りまとめ役――ガレウス・ドランベルクだった。
敵意はない。ただ心底呆れたような表情をしている。
オウルは両手を上げて降参の姿勢を取りながら、不可解といわんばかりに眉を寄せた。
「はあ? おいおい、いくらなんでも仰々しすぎるだろ。ほんとに回収業務だけなのかよ」
「先にそいつを拘束しろ。荷にはまだ触れるな」
ガレウスが命じると、箱へ近づこうとしていた数人の隊員が足を止めた。
「……。確かに、その箱は空じゃないかもしれない」
静まり返った街道に、トッドの声が響く。彼はオウルへ同意するのが不本意でたまらないという顔だった。
「荷を締め直したとき、ちょっと寄せようとしたんだが、全然動かなかったからな」
「あのときか?」
昨夜、トッドに声をかけた男が言った。
「荷締めを見てるって言ってたやつか」
「そうだ」
「なんであのとき言わなかったんだ?」
「重い理由がわからなかったんだよ。どこかで引っかかっているだけかもしれねえだろ。そんなことで、いちいち隊を止めるわけにはいかない」
ガレウスがトッドを見て口を開いた。
「なぜ今は違うと言える?」
「いや、確証は今もない。だが、あいつが狙ったのは、俺が動かせなかった箱と同じだ。しかも、その箱はなぜか泥で汚れてる」
隊員たちの目が、一斉に荷車の箱へ向かった。
「本当だ」
「変ではあるな……」
ざわめきが広がる中、ガレウスが全員に向かって聞いた。
「あの箱を積んだのは誰だ?」
隊員たちは互いに顔を見合わせたが、誰も名乗り出なかった。今回の公募隊は複数のパーティーからなる即席の集団だ。荷積みの作業も手分けして行っていたため、みな一様に「誰か別の組の者が積んだのだろう」と思い込んでいた。
誰も答えられないのを見て、ガレウスは問題の箱へ歩み寄った。箱の合わせ目には、金属の留め具が下ろされている。ガレウスは留め具を跳ね上げ、分厚い木の蓋に手をかけて持ち上げた。
箱の中身は、厚手の油紙に包まれた、黄色みがかった四角い塊だ。隙間なくぎっしりと詰め込まれている。蓋が開いたことで、特有のわずかに甘い匂いが周囲の空気に混じった。
「蜜蝋だな。……精製されてる」
ガレウスが低い声で言った。そのまま燃やすような粗悪なものではない。不純物が丁寧に取り除かれ、鈍い光沢を持った高価な品だ。
オウルは前衛に腕を拘束されたまま、呆れたように言った。
「なんでそんな高ぇのをてめえらが運んでんだよ。横流しか?」
「黙ってろ」
背後に立つ前衛が、押さえつけているオウルの後ろ手をさらに強くひねり上げる。肩の関節が軋むが、オウルは痛がる素振りも見せず、涼しい顔のまま荷車の上のガレウスを見上げていた。




