50.事実と推測
イチロクは、落ち着きのないヒューマンの子供二人を、工房通りの端にある屋台へ座らせた。湯気を立てる肉と芋の串焼きが二人の前に置かれたが、コニーは串を握ったまま、一口も手をつけずに前のめりになって、早口でまくし立てた。
「オウルさんが一人で北の門のほうへ向かったんです。だから、わたしたちも早く追わないといけなくて……」
「まずは食え」イチロクは冷たく遮った。
「腹を空かせたままでは頭も回らん。今から追っても日暮れ後の街道には間に合わん。慌てて水路に戻ったところで何ができる」
コニーはしぶしぶ串焼きを口へ運んだが、焦燥感は消えない。
イチロクはといえば、このカンテラ娘がなぜこんなに焦っているのかいまいちわからなかった。ドワーフにとってヒューマンは一様に短絡的だから仕方がない、と半ば諦めてもいた。
そもそも、この小娘が心配しているらしいオウル・ダウングリーンは、工房の床すら「寝心地がいい」とのたまう根無し草である。かような浮浪者が一人で勝手にどこかへ行ったからといって、それがなんだというのだ?
とはいえ、このまま放り出すのも気分が悪い。
「……それで、お前らは水路で何を見たのだ」
イチロクが本題に移ると、隣で食事を進めていたヒューマンの男児が口を開いた。僧服に身を包んでいるからどこぞの坊主なのだろう、ジェムと呼ばれていたか。
「まず、ぼくたちが見たことからお話しします」
ジェムは視線を宙にさまよわせながら、順番に言葉を並べていく。
「倉庫裏の排水口に、獣脂や古い布が詰まっていました。それは自然に溜まったというより、意図的に押し込まれたものに見えました」
串肉を一つほおばって飲み込み、坊主は話を続ける。
「……水路内の泥には、重いものを引きずったような跡がありました。石壁の低い位置には、硬いものが擦れたような跡も。先ほど見た点検口の周囲には泥が落ちていて、そこから門の方向へ轍が続いていました」
イチロクは黙って聞いている。
「次に、人から聞いたことです。エスさんは、昨日の夕方から夜にかけて、硬いものが水路の壁にぶつかるような音を何度か聞いたそうです。そして水路組合の作業員は、オウルさんが点検口を調べたあと、北の城門へ向かったのを見たそうです。それで……」
ジェムはそこで一度言葉を切り、イチロクを見た。
「水路で運ばれたのが何だったのかはわかりません。オウルさんが何をしに行ったのかも」
イチロクは短く鼻を鳴らした。
「壁の傷はどの高さにあった?」
「えっと、腰から膝あたりの低い位置です」とコニーが答える。
「傷は一か所か。それとも長く続いていたか」
「わたしが見たのは一か所でした。でも、奥のほうまで続いていたような気もします」
「床の跡は一本か、車輪のように二本だったか。木片や縄の繊維は落ちていなかったか」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に、コニーは口ごもった。ジェムも黙り込む。
「ご、ごめんなさい。……そこまでは」
「ふん。やはり現物を見なければ話にならんな」
そう言って、イチロクは腕を組んだ。二人を責める色はない。そもそもドワーフにとって、自分の目で見ないでも信用できるものは祖先以外にありえない。
「素人の見立てで済ませるのも気に食わん。傷が石についているならば、わしなら見ればわかるだろうて。じかに見て確かめるとしよう」
二人は無言で頷いた。
イチロクは、食事を終えた二人を見て、自分の革袋から銅貨を取り出して屋台の親父に放り投げた。
「嬢ちゃんはカンテラを持て。ただし、わしが言うまで覆いは閉じておけ」
「えっ……? は、はい」
「坊主は案内役だ。前にどこを通って、どこを踏んだか教えろ」
「わかりました」
イチロクは立ち上がると、二人の靴底を順に指差した。
「それから、靴の裏を見せろ」
コニーとジェムが靴底を見せると、靴底の鋲と摩耗の癖を覚えた。水路に残った足跡のうち、少なくともこの二人のものは見分けられるだろう。
「道具を取ってくるから、点検口の入り口で待っておれ」
イチロクはそう言って、工房通りの奥へと歩き出した。
***
コニーとジェムが言われた通りに工房通りの点検口前で待っていると、イチロクが道具袋を提げてやってきた。
イチロクはまず、点検口を一瞥した。日が落ちかけて辺りは薄暗かったが、ドワーフにとってこの程度は闇の内に入らない。ドワーフの暗視が、硬い角をぶつけた新しい傷を見つけた。
「まずはわし一人で下りる」
イチロクはそう言って、石段を一段ずつ下りていった。
石段の角には、同じくらいの幅で新しく欠けた場所が何段か続いていた。水路の泥が石段にこびりついていて、そこから上面の奥へ向かって引きずられた跡が残っている。石段の立ち上がりには、目を凝らさないとわかりにくいが、小さなへこみがいくつもあった。
「下りてこい」
イチロクの声に応じて、コニーとジェムが下りてきた。カンテラの覆いを開いて、石段を照らす。
「地上から重い箱を下ろしたなら、泥は付かん。箱の底を引っかけながら、上へ引きずり上げたんだろうて。昨日、草狂いが聞いたという音も、重い荷を引き上げる途中で何度もぶつけた音だろうよ」
石段を下りきった直後の平らな場所で、イチロクは立ち止まり、泥の凹みを指で示した。
「四辺のうち、石段側が特に深く沈んでおるな。引き上げる前に、縄か持ち手を掛け直したんだろう。空の木箱なら、ここまで深く沈みはせん。重いものを運んでいたということだ」
イチロクを先頭に、三人は工房通り側から倉庫側へと水路を逆に進む。
ジェムはイチロクの直後に付き、以前自分たちが歩いた経路を示しながら歩く。コニーは数歩後ろからカンテラで照らしていた。
水路の床にあるのは、広く平らにえぐれて両側へ押し出された泥と、時おり残る四角い置き跡だ。
「水路の中では車を使っておらん。箱そのものか、箱を載せた平らな板を直に引きずったらしい」
曲がり角に差し掛かると、イチロクは腰の道具袋から革紐を取り出し、四角い置き跡の幅と壁の傷の高さを測った。
そして、傷にジッと目を凝らすと、手を伸ばした。そこには、薄い木のささくれが握られている。
「木箱だな」
さらに進むと、水溜まりが現れた。床の引きずり跡は水に隠れて見えなくなる。前回コニーたちが足を止めた場所だ。
コニーが光を当てる。イチロクは壁を指でなぞりながら、ふと視線を上に向けた。現在の水面より高い位置の石壁に、古い泥、水垢、苔の境目が残っている。
「……前はあそこまで水位があったようだな。荷の擦れ跡が、水が引いたあとに表面へ張った泥を引きずり跡が切っている。水位が下がってから運んだんだろう」
イチロクは振り返って二人を見た。
「最近、この水路の水位が変わるような出来事がなかったか?」
コニーがはっとして顔を上げた。
「旧東門です! 少し前に、巨大鼠が巣をつくって水が溜まっていたんです」
「ああ、あのときか」
イチロクは、オウルが水路組合の鼠退治を引き受け、この娘のカンテラを見繕った日を思い出した。
「なら、五日ほど前だな」
ジェムは手元の地図を開いた。
「旧東門の沈殿桝には、複数の水路が流れ込んでいます。この水路も同じ本流系統に繋がっていますね。旧東門の詰まりが取れて、泥が乾き切らないうちに木箱が運ばれたということですか?」
運搬は、旧東門の詰まりが解消されて水位が下がった後に行われたのだ。
三人はさらに水路を進み、やがて倉庫側の古い点検口へ続く石段の下にたどり着いた。
「ぼくたちが歩いたのは、ここからです」ジェムが後ろから教える。
イチロクは二人の足跡を除外し、石段に残る痕跡を調べた。
「ここから下ろし、工房通りから上げた。草狂いが音を聞いた昨夜のことと見てよかろう」




