41.山羊飼いの小屋
オウルは、探索者支援会を出てすぐ谷へ向かった。急ぐでもなく、散歩のようにのんびり進む。
ニックブレード・タウンを出て二時間ほど歩くと、両側を山肌に挟まれた谷へ出た。谷底には浅い川が流れていた。ところどころに頭を出した石を伝えば、向かいの斜面へ渡れそうだ。
見上げると、こちら側の斜面には人が一人やっと通れるほどの細道――山羊道が続いている。もう片側は、岩の露出した斜面だ。
山羊道をゆるやかに登っていくと、カラン、カランと乾いた鈴の音が聞こえてきた。
視線を上げると、向かいの斜面の途中で、灰色の毛並みをした山羊が放牧され、草を食んでいるのが見えた。さらに上のほうには、放牧犬と山羊飼いがいる。
山羊飼いはオウルの姿を認めると、手を振った。それから山羊のあいだを抜けて斜面を下り、浅い川を慣れた様子で渡ってオウルのそばへ来た。
「おう、来たな。早かったじゃねえか」
「支援会で受けて、そのまま来たからな」
「そりゃ助かる。とりあえず、小屋に来いよ。休んでいけ」
山羊飼いの小屋は、山羊道の先の少し開けた場所にあった。丸太を組んで石で隙間を埋めただけの簡素な造りだが、長年の風雨に耐えたような傷や修復痕が残っていて、大事に使われてきたようすが窺える。
中に入ると、獣と焚火の匂いがした。
山羊飼いはオウルを木の椅子に座らせると、さっそく竈に火を入れ、小鍋を温めはじめる。
「腹減ってるだろ。食ってけ」
出されたのは、温かい山羊乳、硬い黒パン、塩気の強い山羊乳のチーズ、豆と根菜をごった煮にしたスープだ。腹を満たすには十分だった。
「じゃ、遠慮なく」
オウルは素直に答えてパンをスープに浸し、山羊乳に口をつける。
「あんたみたいに話が早い奴がいりゃ、わざわざあんな紙を出す手間もねえんだがなァ」
山羊飼いは、チーズを削りながら言った。
「最近は勝手が違って、どうもやりづれえ」
オウルはスープの豆をすくいながら笑う。
「で、ハーピーの居場所は?」
「谷のずっと奥だ」と、山羊飼いは小屋の窓から、谷の奥を指差した。
「谷の突き当たりに岩壁があってな。中腹に岩棚が張り出してるとこなんだが……。そこから先に居ついていやがる。だが、谷に歌が反響しちまって、どこにいるかまではよくわかんねえんだ」
「なるほどな」
オウルはパンの最後の一切れを口に放り込んだ。
「谷の突き当たりのほうへ、鳴子と忌避剤を仕掛けてきてくれ」
山羊飼いは、部屋の隅に置いてあった袋を引き寄せる。袋の口を開けたところで、オウルも中身を覗き込んだ。
イチロクが研ぎ直した鉄杭と、エスが見繕った忌避剤、それに音を鳴らすための鳴子が入っている。
「わかった。腹も膨れたし、これから行くよ」
「いや、今日は寝てけ。今は風が強すぎて、煙を焚いても流れちまいそうだ」
山羊飼いはそう言って、小屋の奥に積んである乾いた藁を顎で示した。厚い毛布も一枚置いてある。
オウルは「なら明日にしよう」とあっさり頷いて、袋を枕元に置き、藁の寝床に転がった。
翌朝、オウルが起きると、竈にはもう火が入っていた。
山羊飼いは、昨夜のスープを温め直したものと黒パンを出して外へ出た。オウルが黙々と食べていると、山羊飼いは外から戻ってきて、戸口で手を払いながら言った。
「風は落ち着いてる。煙も流されすぎねえ。行くなら今だな」
オウルはパンを口へ放り込み、袋を肩にかけた。
「じゃ、さっさとやるかぁ」
「頼むぜ。あんたが死んだら依頼料が跳ね上がんだよ」
山羊飼いが軽口を叩き、二人でひとしきりゲラゲラ笑った後、オウルは一人で小屋を出た。
オウルは、水流をさかのぼるように山羊道を登り、谷の奥へと向かった。歌が届くという谷の突き当たりまでは、まだ距離がある。しばらく進み、視界を遮る岩を回り込んだところで、オウルはふと足を止めた。
谷を挟んだ反対側の斜面に、さっき別れたはずの男がいる。山羊飼いは犬を一匹連れ、向かいの斜面の高いところをゆっくりと歩いていた。
オウルはそちらを見上げて、声を張った。
「見張りなしじゃあなかったのか?」
谷の斜面から、山羊飼いの声が降りてくる。
「俺ぁ山羊を見てるだけだよ!」
そう言い返した山羊飼いの指先は、首から下げた犬笛を弄んでいる。
オウルは喉の奥で軽く笑った。
「そうだったな。じゃ、山羊の番を頑張れよ」
オウルは短く手を上げ、谷の突き当たりへ向かって歩き出した。




