38.廃礼拝堂にて
鉄を打つ音が減り始めた工房通りを抜け、二人はイチロクの店に入った。奥の作業台では、イチロクが分厚い手で金属の部品を布で磨いていた。
「あの、お邪魔します」
コニーが入り口から声をかけると、イチロクは手を止めた。コニーと、その後ろに立つオウルを見て、短く鼻を鳴らす。
「ひやかしなら帰れ」
「いえ、お礼を言いに来たんです。カンテラとか、手袋とか、すごく使いやすくて。おかげで助かりました」
イチロクはちらりとオウルを見やった。入り口の壁に寄りかかっていたオウルは「仕方ねえだろ」と言わんばかりに、少々オーバーなしぐさで肩を竦める。イチロクはコニーに視線を戻した。カバンに吊るされたカンテラの窓は拭き取られ、煤はついていない。
「まあ、丁寧に使っとるようだな」
イチロクは道具を台に戻し、ぶっきらぼうに言った。それで用は済んだとばかりに、オウルは世間話を始める。
「そういや、今日支援会で面白いことがあったぜ。行方不明の商人の印が、ギルドの書類に押されてたんだとさ」
「はん。世も末だな」
イチロクは磨きかけの部品を手元に引き寄せ、再び布を当て始めた。オウルはそれ以上話すこともないようで、ぐっと伸びをした。
「じゃ、おれはエスのとこ寄るわ」
「エスさんのところですか?」コニーが首を傾げる。
「まだ何か用が?」
「いや、毒の礼だよ。毒以外にも……。まあいろいろな。座りが悪くてしゃあねえ」
コニーは、意外なものを見る目でオウルを見た。気まぐれで動いているように見えるが、勝負や取引の釣り合いにはひどく敏感だ。
その言葉を聞いて、「ああ、あの草狂いのところなら……」と、イチロクが作業台の奥から細い金属の輪を取り出した。網目が張られた、柄付きの道具だ。
濾し器の枠らしい。
「ちょうど、これを届けにゃならんところだ。あの女も道具使いが荒くてかなわん」
「イチロクも来るのか?」
「ついでだ」
用水路の奥にある古い礼拝堂に着くと、相変わらず草と土と発酵の入り混じったむせ返るような臭いが漂っていた。祭壇の近くで、緑のマントを羽織ったエスがすり鉢を抱え、棒で何かをゴリゴリとすり潰している。
イチロクはずかずかと礼拝堂に入っていくなり、エスの手元へ先ほどの金具を突き出した。
「ほれ、直してやったぞ」
「もうできたの? ありがと~」
「いいか、濾し器を力任せに振るな。薬鍋の縁でカンカン叩くな。熱いうちに冷水へ突っ込むでない。金網がたわんで枠が歪むだろうが」
怒涛の小言を浴びせられても、エスはまったく悪びれなかった。すりこぎを置いて、にこにこと金具を受け取る。
「助かったよ〜」
エスが直った濾し器を明かりに透かして喜んでいる横から、オウルが声をかけた。
「なんか手伝うことないのか」
「なんで?」
「借りが溜まるとやだからな。忘れちまうし。さっさと払わせろ。できればドカンと払っていけ」
エスは不思議そうに目をしばたたかせた。彼女の頭のなかには、金銭や借りを天秤に乗せて量るという概念そのものが希薄なのだ。オウルが「危険な依頼でも受けようか」とでも言い出しそうな凄みのある顔をしているのを見て、エスは少し考えるそぶりをした。
「じゃあ、そこの火を見てて。あと、その空き瓶を棚に戻しといてくれる?」
「んなつまんねえことさせんなよ」
「吹きこぼれないようにね~」
エスが木べらを持ったままにこりと笑う。
「ま、いいけどさ」
オウルは大きくため息をついて、礼拝堂の壁際にある小さな竈のほうへ歩いていく。コニーも手伝おうとカンテラを置き、竈のそばへ向かった。
そのとき、礼拝堂の奥にある薬草棚の陰から、ひょっこりと人影が現れた。
両手に乾燥した薬草の束を抱えている。袖の少し余るローブを着た、小柄な少年だった。
「エスさん、この束はどこに……? あ」
声が途切れ、少年が目を丸くする。
コニーも「あ!」と声を漏らした。
A.P.ジェムだった。
冒険者ギルドの登録査定試験で、一緒に三番隊を組んだ見習い神官である。エスと同じ、《知識》の神官だ。
ジェムは薬草の束を抱えたまま、オウル、コニー、そしてイチロクを順に見渡して、少しぎこちなく頭を下げた。
「えーと……、お疲れさま、です?」
オウルは竈の火を棒でつつきながら、にやりと笑った。
「なんだ、奇遇だな。お前も借りを返しに来たのか?」
「僕は、その……勉強で」
ジェムは困ったように、曖昧にほほ笑んだ。




