35.ロクデナシとルーキー ①
詰まりが崩れると、堰き止められていた水が勢いよく流れ始めた。
巣材の奥から、親を失った幼体や小さな個体が水と一緒に押し出されてくる。濁流に流され、あるいは逃げ道を求めて泥を這い出してくるのを、オウルは短剣で突いたり、足で踏み潰したりして淡々と殺していった。コニーもカンテラの明かりを頼りに、逃げようとする個体を斬っていく。
斬った拍子に飛んでしまった死骸を拾おうと泥をかき分けていたコニーは、ふと手を止めた。格子の奥のほうで何かが光ったような気がしたのだ。
腰を屈めて水門の奥を覗き込むと、泥の中から白く細いものが三本突き出しているのが見えた。そのうちの一本の根元に、変形した銀の輪が引っかかっている。
――骨だ。
「ヒトだな」と、オウルが言った。「たぶん、ヒューマンの指」
「こういうのも回収するんですか? 依頼とは関係なさそうですけど」
「まあ、一応な。認識票でもありゃ早いんだが……」
オウルは短剣の先で水門の奥の泥を掻き出しては中を混ぜるように漁ったが、やがて「ねえな」と諦めた。
「まあ、見つけた分だけでもいいや。別に包んどけ」
「はぁい」
「あと、前歯を抜いとけ。討伐証明だ」
コニーは振り返る。先ほど仕留めたジャイアントラットが二匹倒れている。コニーはまず一匹に近寄ると、革手袋を嵌めた手で前歯を掴んで引っ張ってみた。
だが、死骸の頭がかくかくと動くだけで、歯はびくともしない。
オウルは呆れたように笑った。
「お前な。芋掘りじゃねえんだぞ。歯だけ抜こうとすんな」
じゃぶじゃぶと泥をかき分けてやってきたオウルは、死骸を通路に引き上げてから、片足で肩先を固定した。死骸の口を開かせ、短剣を奥歯の手前に突き入れる。顎の継ぎ目を探るように刃を差し込み、力をかけると、ギチュリ、と嫌な音がして、下顎の片側が外れた。
「顎ごと外すんだよ。割ろうとすると欠けちまうぞ」
物は試しに、ともう一匹で試してみる。顎骨は思ったよりあっけなく外れたが、刃先を入れる場所が悪かったらしい。前歯の片方まで、根元からぼろりと欠けてしまった。
「あ~」とオウルは笑った。「ま、いいや。それも入れとけ。戻ろうぜ」
水門に滞りなく水が流れ始めたことを確認してから、二人は水路を上がり、通路を戻った。
行先は、ジャイアントラットの死骸に肉と毒餌を詰め直して罠を仕掛けたところだ。
罠は目論見通りに役目を果たしていた。死骸の腹は無残に齧り取られ、周囲には汚れた足跡が無数に重なっている。
オウルはその足跡を見て顔をほころばせた。
「当たりだ! でけえのに食わせてやったぜ!」
コニーは貪られた死骸と、嬉しそうなオウルの顔を見比べた。この喜びようから察するに、昨夜の〈ねずみ穴〉で〈毒餌〉を外したのがけっこう悔しかったらしい。コニーはちょっと呆れた。
毒餌を食った個体の一匹が、足をふらつかせて逃げようとしていた。オウルは無防備な背後から歩み寄り、短剣で首を刺して処理する。コニーは、光を嫌うジャイアントラットの行く手を阻むようにカンテラで出口を照らした。
駆除が終わると、オウルは残った毒入りの肉片を回収しはじめた。コニーが袋を広げて手伝おうとすると、オウルはあちこちに転がっているジャイアントラットを指差した。
「お前は討伐証明だ。ほら、そこにいっぱいいるから練習しとけ」
コニーは頷いて取り掛かる。何匹か試したあと、三匹目でようやく、きれいに前歯をこじり取ることに成功した。
***
地下水路の鉄格子を抜けて地上へ出た瞬間、コニーは自分の放つ臭いに顔をしかめた。汚水に汚泥、大鼠の血肉、毒餌の臭いが髪や服に染みついていて、外の空気を吸った瞬間から、ひどく臭いはじめる。
このまま探索者支援会へ向かえば、確実につまみ出されるだろう。
水門の近くで作業をしていた男たちから声がかかった。昼間、井戸のそばで言葉を交わした職人たちだった。
「旧東門の吐き口から水が出た。いやぁ、助かったぜ」
男の一人はそう言ってから、オウルとコニーの泥と血にまみれた姿を見て苦笑した。
「やっぱひでえ汚れだな。裏で落としてけよ」
男は二人を、水門脇の詰め所へ案内した。石造りの小さな建物だった。水路を扱う職人たちが、作業の合間に使っている場所らしい。
建物の裏手に回ると、石造りの洗い場があった。
川から引いた水が、高い位置を通る木樋を伝い、深い木槽へ勢いよく落ちている。木槽の中では、泥水と白い泡が絶えず渦を巻いていた。
「そこの〈渦洗い〉を使え」
男が指さした先では、別の職人が灰汁に浸した作業着を木槽へ投げ込んでいた。布はすぐに渦に巻き込まれ、浮き上がっては沈み、泥水の中でぐるぐると回る。
手でこすらずとも、水路の泥汚れを叩き出せる仕組みだ。水路仕事の職人たちが使う、巨大な洗濯槽だった。
オウルは躊躇なく上着とズボンを脱ぎ捨て、灰汁の溜まった桶に布類を放り込んだ。そして川の水を手桶で汲んで頭からかぶってから、濡れた肌着も絞って、石畳の上へ放った。
コニーは一瞬ぎょっとしたが、自分から漂う悪臭を思い出して、文句を言う気も失せた。
貧民街で暮らしていれば、外で身体を洗う人間くらい珍しくもない。他人の肌を見ることも見られることも、恥じらうようなことではない。昼間の洗い場で人をどうこうしようとする馬鹿は少ない。そんなことをすれば、桶か石鹸か呪文かナイフが飛んでくるからだ。たとえコニーくらいの年頃の少女であっても。
ただ、オウルが周囲を確認もせず服を濡らし始めたのは腹が立った。せめて天気を見るとか、屋根のある場所を探すとかくらいはしてもいいのに! もしいきなり雨が降ったら、服を乾かしなおさないといけなくなるし。
替えの服がいくらでもあるみたいな無関心さだ。それがむかつく!
とはいえ、服を洗わないわけにもいかない。コニーはカンテラと荷物を置き、汚れた外套や上着を脱いで灰汁に漬ける。革手袋は水をかけて泥を落とし、石鹸で腕や首筋をこすってから、木樋から落ちる水を手桶に受けて洗い流す。
肌着は手洗いして、先に着ておく。風はほとんどなかったが、昼の空気はカラリと乾いていて、熱気が重たく感じるほどだ。おかげで薄い肌着はすぐに乾いた。
汚れた外套と上着は、しばらく灰汁に漬けたあと、木の棒で引っかけて〈渦洗い〉へ落とした。布はすぐに泥水の中で回りはじめた。
……地下水路の中に入ってからは必死で、何も考えていなかった。
ぐるぐると回る衣服を眺めながら、コニーはぼんやりと思い出す。
大鼠に剣を噛みつかれたときの、腕ごと持っていかれそうになった重い手応え。
泥に足が沈んで踏ん張りが利かなかったときの焦り。
討伐の証明として、大鼠の太い前歯を力ずくで抜き取ったときの感触。
「そろそろいいんじゃねーの」
オウルの声で我に返り、洗い終えたものをまた木の棒でひっかけて、水を絞り、空いている木箱の上に広げて干した。
洗い場の端では、職人たちが石竈を囲んで休憩していた。竈にはまだ赤い火がくすぶり、煤けた小鍋から細く湯気が立っている。
コニーが「火を借りてもいいですか?」と声をかけると、作業員の一人が景気よくお湯を分けてくれた。
市で分けてもらった黒パンは、そのままでは石のように硬い。お湯に干し肉を細かく裂いて入れ、パンを湯に浸してふやかして口に運ぶ。
二人が遅い昼食をとっていると、オウルが懐から小さな紙包みを取り出した。開くと、松の実を固めた黄金色の塊が出てくる。
オウルが半分を割って寄こしたので、コニーは口に放り込んだ。ガチリ、と拒まれるような音で、コニーはパッと口を離した。オウルはゲラゲラ笑いだしたので、コニーはその肩口をべち! と叩いて抗議した。
これは糖菓といって、いちおうれっきとした食べ物らしい。闘犬のエサみたいに硬かったが、舐めているうちに表面が徐々にゆるんできた。強い蜂蜜の甘さが溶け出し、次に生姜のピリッとした辛みが舌を刺す。松の実を噛むと、香ばしい脂の風味が口に広がった。
コニーは目を丸くした。
こんなに甘くておいしいものは初めて食べた。
お菓子を食べ終わる頃には、日が傾き始めていた。乾かしていた上着からも、かなり水気が飛んでいた。
上着はやや湿っていたが、コニーは気にせず袖を通した。風に当たって歩いていれば、そのうち乾くだろう。そもそもニックブレードでは、雨で濡れてもそのまま歩き回る人間ばかりだ。生乾きの服を着ているくらいでとやかく言う者はいない。
オウルも半ば乾いた服を着て、すっかり乾いた髪を適当に手で払っていた。
「じゃ、行くか」
オウルが言い、二人は荷物を持ち直して探索者支援会へ向けて歩き出した。




