32.毒を作る
翌朝、オウルとコニーは、昨夜〈ねずみ穴〉が行われていた酒場へ赴いた。
中に入ると、中年の女が椅子の下を箒で掃いている。女はオウルたちが入ってくるのをちらと確認すると、奥を指し示した。
そちらを見ると、カウンターの端に、鼠捕りの男が座って杯を傾けている。昨夜の酒が残っているらしく、ひどく顔色が悪い。男はオウルを見つけると、カウンターに置いてあった紙包みを持ち上げ、「ほらよ」と投げてよこした。
オウルが片手で受け取って開くと、そこには湿気た灰のような質感の粉があった。ところどころ小さく団子になっていて、二つの指で潰すとぼろぼろと崩れる。灰汁っぽい刺激臭が、金属を舐めたときのように舌の奥に残る。
どんなに鼻の鈍い人間でもこれを口に入れようとは思わないだろう。
「確かに、匂いがきついな」とオウルが言うと、鼠捕りの男は頷いた。
「警戒心の強いやつは避けるし、でかいやつは舐めて終わりだな。使うなら強引に食わせろ。魚や獣脂なんかに混ぜてな」
「連中、腹が空いたら仲間の肉も食うかな?」
「そりゃ食うだろうさ。迷いはするだろうがな」
オウルが礼を言うと、鼠捕りはだるそうに手を振って見送った。
次に二人が向かったのは、街外れの古い用水路だ。礼拝堂に近づくにつれ、何やら強烈な臭いが漂ってきた。雨を含んだ土に動物の糞尿とえぐみのある薬草を合わせたような、名状しがたい臭いだ。
オウルもコニーも思わず眉をひそめたが、礼拝堂の中に足を踏み入れたあたりで、鼻が慣れてきてしまった。
礼拝堂の中で、小柄な人影がひとつ、木桶の前にしゃがみこんでいた。彼女が木の棒でかき混ぜている木桶の中身が、臭いの元らしかった。
ノームの神官、N.C.エス。相変わらず生成りの僧衣に継ぎはぎの前掛け姿である。
「いらっしゃい。お茶飲む?」
エスはかき混ぜるのを止めず、ベンチの上に置かれたやかんと木のコップを指差した。勧められるまま、コニーが三つのコップにお茶を注いでいると、オウルは単刀直入に切り出した。
「毒って作れるか?」
「毒も薬も同じだよ?」
頼もしい答えだ。オウルは満足そうな顔で、鼠用の毒餌をエスに差し出した。
手を止めたエスが、紙包みを覗き込む。ためらいなく顔を近づけ、すんと匂いを嗅いだ。
「で、誰を殺すの?」
愛らしい神官の口から放たれた言葉に、コニーは運んでいたお茶をトレイから落としかける。それを空中でひょいと拾ったオウルは、
「ただのネズミ退治だ。肥大した鼠。鼻が良いからごまかしたい」
そしてお茶を一口飲み、顔をしかめた。
コニーも一口飲む。えぐい苦みが喉にかかって、思わずむせてしまう。
「あぁ、ジャイアントラット。けっこう大きいよねえ。了解、了解。じゃあ、甘みと脂気を足してみよう」
エスは外に出た。礼拝堂の壁に張り付くように小さな竈がある。その上に載っている小鍋に水と干した根を入れ、焚き口に炭を並べると、手早く火をつけた。
ぐらぐら煮立ってきたころで、炭を掻き出して火を弱める。そこに薬草や蜜をぽいぽいと入れ、じっくり煮込み始めた。
薬湯のようなものが煮詰まってきたところで、エスは指先をつけてぺろりと味見をし、その液体をコップによそってオウルとコニーに差し出した。
オウルが平然と口に運ぶのを、コニーはジッと見つめる。
あの毒餌がまだ入っていないことは頭でわかっているが、口に運ぶには勇気がいる代物だ。
コニーもおそるおそる口をつける。思ったより甘いが、根の土っぽさと薬草の青臭さがある。
薬湯を飲み干したオウルがしれっと言った。
「ネズミにやるにはもったいねえな」
ボウルに小麦粉と獣脂と毒餌を入れ、薬湯を少しずつ足しながらパン生地のような粘土状になるまで捏ねた。紙に包みなおして、オウルに手渡す。
「はい。これなら一口でも、足を鈍らせるくらいはできるよ。きみなら、それで十分でしょ」
オウルは毒餌を背嚢にしまった。
「あんたには借りを作ってばっかだな。ま、なんかあったら言えよ。そこそこの無理も聞いてやる」
「考えとく~」
エスは二人を用水路のほうまで送り、笑顔で手を振ると、ぱたぱたと礼拝堂へ戻っていった。
再び地下水路に潜ったところで、オウルは通路のひとつを瓦礫と布でふさぎはじめた。通れないわけではないが、大きな体では布を通り抜けるのに時間を食うだろう。別の道には、エスに調合し直してもらった毒餌をちぎって置いていく。
「退路も塞ぐんですか?」
「逃げ道が読めたほうが仕留めやすいからな」
オウルはコニーに、カンテラの覆いを下ろさせた。光は細くなり、足元の石と、餌を置いたあたりをぼんやり照らすだけだ。
肥大した鼠はなかなか現れない。だが、オウルは焦らなかった。壁にもたれてのんびり待っている。釣りでもしに来たような気楽さである。コニーは壁際に身を寄せ、カンテラを低く抱えた。通路の奥は真っ暗だ。オウルの姿も、鼠からは瓦礫の影と区別がつかないだろう。
やがて、横穴の奥で小さな音がして、コニーは身を固くした。
濡れた爪が石を掻き、鼻を鳴らす。
最初の一匹が餌に鼻を寄せた。
次に、もう一匹。さらに奥に、小さな目が見えた。
三匹が餌を食らい始めたところで、オウルはナイフを抜いた。両手に二本ある。
一匹が逃げようとして、後ろ足を滑らせる。毒が利き始めているのだろう。体勢が崩れた隙に、オウルは左手のナイフで叩きつけるように首筋を刺し――
「コニー! 灯りをできるだけ高く持ってろ!」
一匹目の死骸を踏みつけて左手のナイフを抜く。
コニーが言われた通りカンテラを掲げると、二匹目が甲高い声を上げて横穴へ逃げていくところだった。オウルはそちらへ素早く右手のナイフを飛ばしてから、三匹目が走り出した背中を追う。
ナイフは二匹目の脇腹に突き刺さり、悲鳴を上げて転がった。
三匹目は身を翻して暗がりへ戻ろうとするが、その先はさっきオウルが瓦礫と布で狭めた通路である。大きな体が布に絡まる間にオウルは追いつき、肋の下へ刃を入れて深く裂いた。
三匹目が血しぶきをあげて倒れる。オウルは痙攣するその体を見て背を向け、ナイフが刺さって悶えている二匹目のもとへ走り寄り、短剣を突き入れて息の根を止めた。
「ふー」
一匹目の死骸をひっくり返すと、オウルはその腹を裂いてロープでさかさまにつるした。そうして血抜きを終えると、臓物を引きずり出す。
オウルがネズミの臓物を細かく刻みはじめたのを見て、コニーはギョッとした。食肉の加工でもするような手際だった。
「あのー……、それは?」
「餌をかさ増ししようと思ってさ」
一見すると、夕食づくりの風景だった。オウルはネズミの肉に毒を練り込みながら、いたく上機嫌だった。鼻歌でも歌わんばかりだ。ネズミ肉を丸め終えると、彼は口を開いた。
「仲間の死臭が食べ物の匂いで、食いたいけど逃げたほうがいいのかって迷うなんて、なんか人間みたいだよなぁ」
「冗談やめてくださいよ!」
「どれに対して?」
そう軽口を叩きながら、オウルは死骸に出来立ての毒餌を詰め直した。こそいだ肉を腹へ戻すかのように。そして、巣穴の近くへ引きずっていった。
「これで連中をおびき寄せておこう。その間に行くところがある」




