31.毒餌とねずみ穴
地下水路の入口から地上へ出ると、外はもう薄暗くなっていた。通りにはもうぽつぽつと灯りが点き始めている。
コニーは小さく息を吐いた。今日はもう終わりだろうと思ったのだ。日が落ちれば、表通りだって安全ではなくなる。ニックブレード育ちとはいえ、コニーはまだ子供扱いされやすい年齢の少女だ。単身で夜更けを過ごすには少々不安がある。
隣に立つオウルは空を見上げた。
「明日また潜るか。毒も手に入れたいしな」
これから毒を買いに行くのだろうか? 薬屋か、それとも支援会だろうか。もしくは、鼠捕りを当たって毒餌でも売ってもらうのかもしれない。
「じゃ、行くか」
オウルは当たり前のように、酒場や怪しげな店が集まる区画へ歩き出す。コニーは戸惑って足を止めた。
「わたし、帰ったほうがいいですか?」
オウルは振り返り、面倒くさそうに言った。
「来い。別れて明日拾うのも面倒だし」
それだけ言うと、待たずに進んでしまう。コニーは流されるまま、その背中を追いかけた。
「どこに行くんですか?」
「賭場」
流されるままについていくと、裏通りの古ぼけた酒場に行き着いた。
外の地面には割れた酒瓶の破片が散らばり、誰かが吐いたものがそのまま放置されている。中に入ると、酒と汗の酸っぱい臭いが鼻を突いた。
店内では、身なりの荒れた男女たちが荒っぽく笑いながら飲んでいる。その足元では小さな子供たちが椅子の脚の間をくぐり、落ちた干し魚や豆を拾っては口に入れていた。
オウルはまっすぐカウンターへ向かい、店主へ声をかけた。店主は面倒くさそうに顎で奥の木の扉をしゃくった。オウルが扉へ向かっても、酒をあおる客たちは誰ひとりとして気に留める様子がない。
部屋の中では、中央に置かれた大きな卓に、人が群がっていた。入口のすぐ脇では、短い棍棒を持った用心棒が太い腕を組んで壁に寄りかかっている。
胴元の目ざとい視線、腕っぷしのよさそうな用心棒、そして卓に身を乗り出す屈強そうな客たち。
むき出しの暴力の匂いに、コニーはささっとオウルの背に回った。もしもこの場の楽しい時間を台無しにするような真似をしたら一体どうなるのか、肌で理解した。
オウルはのんびりと胴元に聞いた。
「なあ、今日はなんだ?」
「〈ねずみ穴〉さ」
ねずみ。そう聞いて、コニーはそろそろとオウルの背から顔を出した。
胴元が、小さなネズミのしっぽをつまんで持ち上げるところだった。
「昨日捕まえたんだ。こいつらに今までの家賃を払ってもらわねえとな!」
どっと笑いが起こる中、コニーは卓の上を見た。
卓の上には、浅い木枠と、六つの小箱が並んでいた。木枠の真ん中にネズミを放し、ネズミがどの箱へ逃げ込むかを当てる遊びらしい。
小箱の正面にはネズミが入れるだけの穴が開き、上は客にも見えるように開いている。中には、藁、水皿、小さな麻袋、動物の毛らしきもの、匂いのきつい餌、何も入っていない空箱が置かれている。
客が、張りたい箱の前に銅貨や銀貨を置いていく。
穴は左から〈巣穴〉、〈水場〉、〈袋〉、〈猫〉、〈毒餌〉、〈出口〉と呼ばれている。
胴元が革袋から小さなネズミを一匹つまみ出し、木枠の真ん中へ放した。
ネズミが盤に放られると、周囲が口々に叫んだり、手を叩いたりし始めた。
「あっちだ、あっちに行け! 水場だ、水場!」
「叩け叩け、そこで止まらせんな!」
「ああ、今のは手ぇ近いぜ。口でやれ、口で」
音で脅かすのは問題ないが、手を出したらルール違反らしい。
「穴当てか」
「ルーレット?」
「わかりやすくていい」
小さなネズミが、左から五番目の穴――〈毒餌〉に入ると、悲喜こもごもの声が上がる。胴元が金を回収し、当たった者に金を渡した。当たれば五倍になって帰ってくるようだった。
椅子が空くと、オウルは当たり前のように卓についた。その後ろにコニーは張り付く。そこから見えるオウルの横顔は、地下水路にいたときよりずっと血色が良く、生き生きと輝いていた。
オウルが卓につくと、胴元が革袋からネズミを摘まみ上げた。
先ほどのものよりもだいぶ大きかった。どうやら成体らしい。
オウルは懐から銅貨を数枚取り出した。それを見て、コニーは思わず声を上げる。
「あれ!? お金持ってる!!」
「そりゃあチップは要るだろ」
「財布は持たないって言ってたのに!」
「金がないとは言ってねえぞ」
そうあしらいながら、銅貨を無造作に〈毒餌〉へ放り込む。
ネズミが放たれると、うろうろと穴の周りをさまよった末、〈袋〉に入り込んだ。
オウルが張った銅貨は、胴元にあっさりと回収された。
オウルの隣にいた男は、胴元から金を受け取ると、酒臭い息を吐きながらオウルを小突いた。何も知らない若造に、一つ教えてやろうという態度だ。
「残念だったな兄ちゃん! あいつは毒餌なんざ食わねえよ」
「そうなのか? さっきのは行ってたけど」
「ありゃあ小さかったろ? でも、でかいのは避けるんだ。毒は匂いが強えからな」
オウルは口出ししてきた男をジッと見ると、その目を細めた。
「詳しいな」
勝負を見学していた女が、親指で男を指差す。
「こいつ鼠捕りなんだよ。玄人ってやつだ」
周りの客もニヤニヤとどやす。
「そりゃあズルだぜ、ズル!」
「ズルじゃねーよ! 知恵だ、ち、え!」
オウルはその男の肩を叩いて苦笑いした。
「こりゃあ駄目だな。張る前に聞いときゃよかった」
「ネズミに詳しくなって出直すんだな!」
胴元が準備をしている間、話が弾む。
「うちも穀物やられねえかって冷や冷やしてるんだ。毒も干し魚に混ぜりゃ少しは食うんだがな」
「魚っつーか、油だな」
鼠捕りは気分よくしゃべる。オウルは肩をすくめてみせた。
「明日でかいのを相手にするんだよ。毒で勝てると思ったんだけどなぁ」
「馬鹿、でかいのにその手は効かねえよ。明日の朝にまたこっち来いよ! 古い餌を分けてやる。効くかは知らねえけどな」
オウルは、ネズミが木枠の中をうろうろ走るのを眺めていた。客たちは声を上げ、卓を叩き、勝った負けたと笑う。
オウルはそれを見送ってから再び卓に着き、二度張った。
一度は〈水場〉に銅貨を置き、外した。次は〈巣穴〉に張って小さく勝った。
そこでオウルは椅子から立ち上がった。
「行くぞ」
「え、もうですか?」
オウルは軽く肩を回した。
鼠捕りの男は、まだ卓の向こうで得意げにしゃべっていた。オウルはそちらへ片手を上げる。
「じゃ、明日の朝な!」
「おう、忘れんなよ」
オウルは笑って、あっさり卓を離れた。
酒場を出ると、外はすっかり暗くなっていた。通りの灯りは減っている。
オウルは迷わず歩いた。酒場の並ぶ区画を抜け、水路組合の建物があるほうへ向かう。たどり着いたのは、木造の安宿だった。中に入ると、眠そうな宿番が顔を上げた。
「二人」
オウルがそう言うと、宿番はまずオウルの腰元に吊るされた短剣を見た。そしてコニーが胸元に堂々とかけている赤等級の革札に目を移してから、口を開いた。
「あんたも探索者か?」
「ああ」
「色は?」
オウルは首元から認識票を引きずり出した。そこに吊るされた緑等級の革札に目を止める。
「二人で銅貨二枚」
「油でどうだ。カンテラ用」
「出せ」
オウルが油を差し出す。コニーはそれが、今朝に油屋で詰めてもらったものとは違う、素焼きの入れ物に入ったものだと気づいた。宿番はそれを開けて匂いを確かめ、指先に浸して舐める。
「これなら半分」
「わかった」
宿番は背後に置いてあった壺を引き寄せ、オウルの渡した油を移し替え、残りを突き返した。
「水は裏にある。竈を使いたきゃ追加で払いな」
そう言って、木札をひとつ投げてよこす。
コニーはオウルの後ろについていった。
部屋は狭かったが、壁も屋根も壊れておらず、一夜を凌ぐには十分だった。
オウルは荷を放って、それを枕代わりに床に寝転んだ。
「明日はまず毒餌をもらいに行く」
「はい」
「そのあとはエスのところだ。会ったことあるだろ、ノームの神官」
「何をしに?」
「毒餌を見てもらう」
「クレリックに毒餌を……?」
考えることはいくつもあったが、身体のほうが先に重くなった。
コニーも床に寝そべると、すぐ眠りに落ちた。




