30.下見をする
イチロクの店を出て、オウルは工房通りをさらに進んだ。
まず立ち寄ったのは、油を扱う店だ。軒先には大小の壺が並び、店の中からは獣脂と魚油の混じった重い臭いが漂っていた。
店先では、中年の女が油を濾していた。壺の口に布をかぶせ、そこに油を流し入れながら、布に留まった滓を木べらでこそげ落としている。足元には油壺のほか、灰色がかった石鹸の塊が積まれていた。
オウルはその女の前へ、まっすぐ歩いていった。
「油くれ、おばちゃん」
オウルが小瓶を差し出すと、店主の女は眉をひそめた。
「今度はいったい何を燃やす気だい?」
「カンテラ用だって!」
「前もそう言って、うちの裏の水路でネズミどもを燻し出したろ?」
「いつの話だよ?」
文句を言いながらも、女は奥の壺から油を汲み、小瓶になみなみと注ぐ。
「これで足りるかい?」
「うん」
女はうなずいて、瓶の栓を強く押し込んだ。
コニーは財布に手をやりかけたが、オウルは小瓶を受け取ると踵を返してしまい、支払うタイミングを失ってしまう。店主の女も気に留めていないようで、コニーたちを送り出してしまった。
次に、市の外れに向かう。昼過ぎということもあり、さまざまな軽食屋台が軒を連ねている。燻した肉や焼いた腸詰めを売る屋台の前を通りがかったとき、屋台の男が声を張った。
「おう、オウル! 今日はカネ持ってるか?」
「持ってねえな!」
「胸を張るなよ」
屋台の男は呆れたように笑いながら背中に置いていた木箱を漁り、そこから干し肉をいくらか紙に包み出した。
「ちょうどいい、これ持ってけ。この前ずいぶん置いてっただろ? 腸詰め二本に銀貨二枚も!」
「勝ったからな」
「馬鹿がよ!」と男は笑って、コニーに目をやる。「そっちの子は?」
「荷物持ち」
「赤か? お嬢ちゃん、あんまり変なのに着いていくなよ。痛い目見るぜ」
あはは、と愛想笑いでごまかすコニーに、「まあせいぜい気張んな!」と言い、干し肉の上に黒パンを二つ置いた。包みを紐でまとめ上げると、それをぽんとコニーへ放る。コニーは慌てて受け取った。
「勝ったらまた来いよ!」
「気が向いたらな!」
最後に、オウルは通りの端にある井戸へ向かった。井戸のそばには、工房の者らしい男たちが水桶を並べている。
オウルは彼らに軽く手を上げると、空いている桶の脇へしゃがみ込んだ。
水を汲んでいた男のひとりが、オウルの荷を見て言った。
「仕事か、オウル?」
「水路組合の依頼だ。ネズミ」
ああ、とその場にいた何人かが嫌そうな顔をした。
「なら旧東門あたりだ。何か詰まってる。水が流れねえんだよ」
「じゃあそこから調べるか」
「そうしてくれ。臭くてかなわん」
男たちは口々に笑いながら、場所を空けた。
オウルは彼らと二、三言かわしながら水を汲み、二人分の水筒に水を詰めた。
油、食料、水。イチロクに言われたものは、ひとまず揃ったらしい。
地下水路の入口は、水門の脇にあった。鉄格子の向こうから湿った風が漂ってくる。腐った泥のような臭いに、コニーは思わず鼻を押さえた。気を抜いたら、さっき食べたスープと黒パンが胃からせり上がってきそうだ。
地下水路に足を踏み入れると、オウルはまず足元や壁際を調べ始めた。
ジャイアントラットの糞や毛を見つけては、木炭で手元の板切れに書き留める。濡れた泥には、ネズミと呼ぶには少々大きい爪の跡が残っていた。
「何してるんですか?」
オウルは水路の脇にしゃがみ込み、泥に残された爪痕を指した。
「ネズミの行動範囲を調べてる。罠を張るにしても、連中の通り道に置かなきゃ意味がねえからな」
「そういうものなんですか」
「新しいものがとにかく嫌いらしい。病的だぜ、ありゃあ」
新しいものに対する警戒は、生き物としては当然のことのようにも思える。だが、賭け師にとっては、理解しがたい性質なのかもしれない。
そのとき、壁際の穴からどぶ色の何かがぬるりと出てきた。両手で抱えるほどの毛の塊だ。猫のようにも見えたが、いやにずんぐりしている。そして丸い耳と長いしっぽ――
「出ました!」
肥大した鼠だった。
「出たな」
オウルはのんびりと返した。剣を抜こうとさえしない。コニーはそんなオウルの様子を怪訝そうに伺う。オウルがなおも動こうとしないとわかって、片手剣の柄にかけていた手をそっと放した。
「その……倒さないんですか?」
「必要ない。あいつは巣に案内してくれるからな」
「でも、襲ってきたらどうするんですか?」
「考えにくいが、そのときは殺すさ。死骸にも使い道はある。でもなあ……仲間ぶっ殺したのがバレたら巣を変えちまうんだよな」
鼠は水路すれすれを走り、石蓋の隙間から下へ消えた。
「……巣を変えられるって言ってましたが、わたしたちが見つかるのはいいんですか?」
「連中に敵意を悟られなければな。匂いや灯りを嫌って隠れるくらいはあるが、追っかけ回さなけりゃすぐ忘れるよ」
「あ、またいますね」
オウルはそれをちらりと見ただけで、やはり見逃した。その後も二匹、三匹と見逃しては逃げる方向をジッと見つめる。
だからコニーも、今回は本当に下見だけで済むのだろう、と考え始めていた。
ことが起きたのは、その時だった。
「あいつ太ってるな……」
唐突に、オウルがつぶやいた。コニーもそちらを見る。確かに、今までに見たネズミよりも一回り大きいような気もする。コニーの家の近くにも、ネズミや、害獣や、虫がたびたび出没するが、たまに丸々太っているやつが出てくることがある。いったいどこに餌場を持っているのだろう、とその場では気になるのだが、視界から外れたらそれもすぐに忘れてしまうのだ。
そんなことを思い出しつつ、コニーは何も考えずにつぶやいた。
「こんなとこでも、おなかいっぱい食べられる場所があるんだ……」
「よし。あれは殺す」
「えっ」
オウルはすでに飛び出していた。ネズミが驚いて横へ跳ねるが、その先は水路だ。彼の靴底がネズミの背中を捉え、いつの間にやら抜かれていた短剣がその首を貫いた。
叫び声すら上がらなかった。
オウルは串刺しにしたネズミをそのまま持ち上げて、水路の上に掲げた。血がぽたりぽたりと下水に流れていく。
「コニー! 袋!」
「はいッ!」
コニーがすくい上げるようにジャイアントラットを油紙の袋に包むと、オウルは短剣を抜いた。懐から布切れを取り出し、それで素早く短剣をぬぐう。それから、布切れを下水に漬けはじめた。
「何してるんですか?」
「血の匂いをなるべく消す」
そして汚水に漬けた布切れで、ジャイアントラットを仕留めたあたりの床を手早くこすった。
「これがあるから殺しは嫌なんだよ。めんどくさい」
「あのー……」
ぶつくさ言うオウルの背中に、コニーはおそるおそる話しかける。
「これはどうすれば……」
そう言っておそるおそる袋を持ち上げると、オウルは言った。
「作業口まで戻る。そこでこいつの腹を掻っ捌くぞ」
「ええ~……」
歩き出したオウルを追って、コニーも駆け出す。袋を持った腕を体から離すように突き出しながら。
作業口まで戻ってくると、オウルは皮手袋を嵌めた手でジャイアントラットの死骸を引きずり出した。そして、手際よく腹を裂き、内臓を取り出していく。
コニーとて、鳥や兎をさばいたことくらいはあるし、この程度でいちいち怯えたりしない。だが、食肉と比べると臭いがひどくて、思わず身を引いてしまう。
オウルは時おりコニーに「灯りをこっちに」と指示しながら、内臓を一つひとつ裂いて、中身をじっくり見だした。
「この生臭さは魚だな。鱗も残ってる」
言いながら、オウルはナイフの先で胃の中をかき分けた。黒っぽい塊をナイフの先で突き刺し、目の前に掲げる。
「これは……イモムシか、ナメクジか、貝か。水路の近くだし、ナメクジかな」
「うえー」
オウルは引き続きナイフで胃を漁り、今度はぬるぬるした白い塊をナイフの先ですくい上げる。
「で、こいつは……」
ナイフをひょいと振って、白い塊を水に落とす。水面に薄く白濁が広がる。わかりにくいが、灰色の泡が張り付いているようにも見える。
「感触は肉じゃねえな。やわすぎる。……石鹸か?」
「ネズミって石鹸も食べるんですか?」
「雑食だしなぁ。魚も食ってたし肉食寄りだ。石鹸も好物なんだろうさ。道理で太ってるわけだ」
オウルはナイフを振って、刃先の汚れを水路に落とした。
「餌場は、洗い場が近いんだろうな。で、魚もある」
オウルはジャイアントラットとその内臓を、油紙袋に入れ直しながらつぶやいた。
「やっぱり、要るな」
「要る? 何がですか?」
「毒」
コニーはぱちくりとオウルを見上げた。




