25.非合理な決断
「待てよ。なんで戻るんだ」
オウルが低い声で言う。いつもの軽さはなかった。そういう顔もできるじゃねえか、とトッドは思う。
「隊長が走れねえんだぞ。見習い二人連れて粘るわけねえだろ」
「なら、てめえが隊長をやれよ。隊長が使えなくなったら交代するもんだろ」
コニーが、ぎゅっとカンテラの取っ手を握った。ジェムも木の杖を抱き直す。黙るトッドに向けて、オウルは呆れたように表情を和らげて、いつもの調子で言葉を重ねた。
「あのなあ、トッド。おれがやられたからって、早合点して勝負から降りるなよ。お前らは三つ目のランプを取りに行けるんだぜ」
「ランプなんかくそくらえだ」
「んなわけねえだろ。何考えてんだ? お前はともかく、コニーとジェムはどうすんだよ。まだ動けるだろ」
そこで、四番隊の隊長が口を開いた。
「三番隊が戻る案には、賛成だ」
オウルがそちらを睨む。
「あんたまで何言ってる?」
「うちの弓手も連れて戻ってほしい。あいつはこの先へ連れていける状態じゃない」
弓手の少年は立ち上がってこそいたが、青い顔のまま俯いている。
「俺たちは二番隊と組む。俺と前衛と神官はまだ動けるからな」
「四番隊はランプをいくつ取った?」
「規定の三つはもうある」
「だったら、何のために進むんだよ」
四番隊の隊長は、すぐには答えなかった。視線が壁際の弓手をちらりと拾ったが、すぐにオウルを正面から見据える。
「取りに行くためだ。……お前らがここで捨てることになったぶんまで」
オウルは苛立ったように眉を寄せる。
「お前らが追加でランプを拾っても、三番隊の成果にはできねえぞ」
「ああ。譲渡は禁止されていたな」
隊長は真剣な面持ちでオウルを見た。
「だが、俺たちがここから先へ進めるのは、三番隊に助けられたからだ。……帰ったら、そう話す」
「話して何になる。冒険者ギルドが情状酌量してくれるとでも?」
「お前らを成果なしで戻して、こっちが追加で評価されるっていうほうが、俺には筋が通らない」
「通るだろ。感傷で危険を増やすなよ」
黙って聞いていた二番隊の前衛が、自分の隣にいるエスへ視線を落とした。
「実際、そっちの隊長の容体はどうなんだ、エス?」
エスはパタパタとオウルの足元へ歩み寄った。革当ての裂け目をめくり、紫色に変わった傷口をぐいぐいと押す。
オウルは嫌そうだったが、なすがままだった。――切り傷を圧迫されているにもかかわらず。
「感覚はもうないの?」
「多少はあるぜ」
「でも、痛くはないんだね?」
「……まあな」
その回答に、エスが二番隊の前衛を振り向いた。
「この人を進ませるのは反対だね。毒は薬で止まってるけど、麻痺がどこまで進むかわからない。三番隊が戻るなら、道中で急変してもジェムくんが見られるよ。ジェムくん?」
「はい!」いきなり呼ばれたジェムが、びくりと姿勢を正す。
「麻痺はもう少し広がるかもだから、もし呼吸が浅くなったら、これ飲ませてね」
ジェムは恐縮しながら、エスから小瓶を受け取る。
それを見届けてから、二番隊の隊長が頷いて、オウルに視線をやった。
「二番隊はまだ進むつもりだ。ランプをあと一つ確保したい。四番隊の三人が加勢してくれるなら心強い。三番隊は、我々が通ってきた道を行くといい。索敵は済んでいる」
「戻る前提で話を進めるなよ」
「動ける者が進み、動けない者を連れ帰る。それだけだ」
「たった一人のために、三番隊に降りろっていうのか? それで四番隊は余計な危険を引き受けるって?」
オウルの声が、思ったより大きく響いた。
「そんな馬鹿な賭け方があるか!!」
ジェムがびくりと肩を揺らした。コニーも、驚いたようにオウルを見る。オウル自身も、バツの悪そうな顔で口を閉じた。怒鳴るつもりではなかったのだろう。
トッドは、その顔を見た。
オウルが一歩踏み出そうとする。壁から手を放した瞬間、身体が傾く。咄嗟に右足で踏ん張ろうとして、その膝まで崩れた。
オウルは片手を床につき、辛うじて転倒を避けた。
「……」
右足を引き寄せようとする。靴底が石床を擦っただけで、身体は起き上がらない。もう一度、今度は力を込めて床を蹴ろうとする。
動かない。
オウルは、地面に手をついたまま、自分の右脚を見た。さっきまで、こちらは使えたはずだった。
「ほらみろ」トッドは、吐き出すように言った。
「悪化してんだろ。だから――」
「もう一つ、手はある」
うつむいたまま、オウルは言った。床に片手をついて身体を押し上げ、壁に肩をぶつけるように背を預ける。そうして、短剣を抜いた。
「おれがここにいる。何匹かは止めてやる」
トッドは、何を言われたのかわからなかった。
「何……」
「わかりにくかったか? おれを置いてけって言ったんだ」
「ふざけんな!」
「ふざけてねえよ。お前が言ったんだろうが。悪化してるって」
オウルは曲がり角の奥を顎で示した。
「だが、足止めくらいはできる。四番隊は弓手を連れてさっさと帰れ。三番隊は二番隊とランプを探せばいい」
「……黙れよ」
雨の音が、トッドの頭でにわかに蘇る。
「必要なものがあれば持ってけ。あっても邪魔だ」
オウルは苛立ったように息を吐き、背嚢を下ろした。腰の革袋を探り、骨のサイコロを二つ取り出して、それを掌に載せる。
「サイコロだけ置いてけ。死ぬ前に退屈したくねえからな」
気づけば、トッドは前へ出ていた。
「……二度と!」
オウルの胸倉を掴み上げた。足に力の入らない身体はあっけなく持ち上がり、背が石壁に擦れた。
「い、ッ」
「二度と、そんな提案してくんじゃねえぞ!」
オウルは言葉を失った。だがすぐに眉をひそめ、トッドの手首を掴む。
「……何言ってんだ。見りゃわかるだろ。ここで一番いらねえのは、おれだ」
その言葉に反応したのはコニーだった。思わず手に力を込めてしまって、カンテラがわずかに揺れた。
それは、坑道に入ってからずっと、自分へ向けていた言葉だった。この隊の中で一番の役立たずは、間違いなく自分だと。コニーはそう思っていた。だけど……
「それを決めんのはてめえじゃねえ!」
「おれを切れば済む話だろ!」
「……わかってるよ」
トッドは低く言った。
「お前を置いていったら、俺たちは楽に進める。お前の言ってることは、間違ってない」
「だったら、」
「一回やったんだよ」
トッドが吐き出すように言った。
「お前を置いて、俺たちだけ先へ行くって判断を。俺は、一回やった」
オウルの目が、理解しかねたように瞬く。困惑で怒りが引っ込んだようだった。
「そりゃあ……前だって、おれを切るのが一番マシだったろ?」
「そんなわけあるかよ!!」
コニーは、オウルの背嚢をそっと拾い上げた。すでに背負った布袋が肩へ食い込んでいる。さらに荷を増やせば、帰り道は楽ではない。
――だけど、オウルは自分を置いていこうとはしなかった。
「コニー、何してんだ」
「オウルさんの荷物は、わたしが背負います」
ジェムもまた、弓手の少年のそばへ寄り、肩を貸せる位置に立った。
「ジェム、お前も何してる? 三番隊が降りる理由は……」
「あります」
ジェムは、小さく答えた。
「僕も、オウルさんを置いていくつもりはありません。……もしもの時がきたら、残った〈奇跡〉は、あなたに使います」
「やめとけよ……」
とっさに止めた声には、さっきまでの強さがない。戸惑っているようでもあった。
「だって、お前らは、まだ動けるだろ」
「動けるなら進まなければいけない、とは思いません」
オウルは、いよいよ理解できないものを見るように見習い神官を見た。
掌に残っていたサイコロを、ゆっくり握り込む。その動きが、抗議する言葉をどうにか飲み込んだように見えた。
四番隊の隊長が、三番隊へ向けて言う。
「うちの弓手を頼む。そいつが戻れれば、俺たちはお前らに二度助けられたことになる。その借りは必ず返す」
「借りっつっても、臨時パーティーだろ……」
オウルがようやく返した声は、いつもの調子に戻り切っていない。
トッドが鼻を鳴らす。
「勝手にやる。――お前がさっき言ったことだ。咎められる謂れはねえな」
二番隊と四番隊の残る者たちは、奥へ向けて灯りを組み直す。
三番隊は、戻るための陣形を作る。トッドがオウルへ肩を貸し、コニーが灯りを持ち、ジェムが弓手の様子を見ながら後ろへつく。
出発する直前、四番隊の隊長がもう一度言った。
「俺が話す」
「……。まあ、勝手にしろよ」
オウルは、トッドの肩へ腕を回されたままつぶやく。本気で困ったような顔をしていた。その顔を見て、トッドは、ほんの少し胸がすく思いがした。




