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冒険者ギルドは公平で健全でうさんくさい  作者: 遠野 文弓
第2章 冒険者ギルド登録査定試験

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23.追放の記憶 ②

 荷車が壊れたのは、崖沿いの細道へ差しかかったときだった。


 右側の車輪が崖から滑り落ちた。車軸が派手な音を立てて割れる。衝撃で跳んだ車輪が谷底に消えていき、荷車がぐらりと傾いた。


 荷車を引いていた男が荷車に引き摺られるように倒れ、悲鳴を上げた。崩れた荷車と地面の間に足首を挟まれている。


「支えろ!」


 トッドは盾を放り出して荷車へ駆け寄った。

 オウルも素早く駆け寄り、車体を持ち上げる。


「今だ、引っ張れ!」


 男を引きずり出したときには、足首がひどく腫れ上がっていた。立たせようとしても、歯を食いしばって崩れ落ちてしまう。


「折れてそうだな」とオウルが言った。


「歩けるか?」と、トッドが問う。


 男は青い顔で首を振った。


 薬箱も油樽も無事だ。

 だが、荷車はもう使えない。

 オウルは地図を広げた。さすがに軽口は出なかった。


「薬は持てるな。燃料は……一つ捨てるしかなさそうだ。負傷者は二人で運ぶか」


 そう言って、地図の上で指を動かす。


「水は?」と、荷運びの男がゆっくりと問う。


「……」


 崖を越えても、小屋まではまだ半刻は歩かなければならない。

 小屋の生活用水は雨水だ。ここ数日は晴れ続きで、五人分の水が残っているとは考えにくい。負傷者を運ぶなら、小屋へ着く前に手持ちの水を使い切ってしまうだろう。小屋に貯め水がなければ、その先がない。


 ――水が足りない。


「一人は別に動くしかねえかな。身軽な奴を小屋まで走らせて水を探すか、沢の水場へ戻るか……」


 荷を減らし、動ける者が別に動けば、全員が生き残る可能性は上がる。

 まだ道はある、とオウルは言ったのだ。だが、その場にいた者には――


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()


「……足りるって言ったのは、お前だろ」


 負傷した男とは別の仲間が言った。オウルが目を向ける。


「まあな。事故がなきゃ足りてたよ」


「それで、今度は、誰か一人に、狼に食われろって言うのか?」


 オウルの眉がわずかに動く。


「違えよ。水場に戻る手もあるって言ったんだ」


「同じだろ」


 オウルは「何言ってんだ、こいつ?」と言わんばかりに首を傾げただけだ。


「……お前とは行けねえ」


 誰かが言った。一つ出ると、別の者が続いた。


「お前がいたら、命がいくつあっても足りない。これ以上、みんなを危険にさらさないでくれ!」


 オウルは、相変わらずきょとんとしたまま、口を開いた。


「で、どうしたいんだ?」


「誰か一人が、別に動けばいいんだろ!?」


 先ほどオウルを責めた男は、地図の上の水場に拳を叩きつけた。


「なら、お前が行けよ、水場まで! 水袋も置いてけ!」


「待て!」


 トッドが慌てて口を挟んだ。


「水場には狼がいるって聞いただろうが! 独りで戻らせるのか!?」


「ああ」


「水も持たせずに?」


「……水場へ行くんだろ」


 その言葉で、オウルが自分の腰へ目を落とした。水袋が下がっている。そして、ぽつりと言った。


「確かに」


「……水が足りねえ」


 もう一人の荷運びが、負傷者の肩に手を置いた。


「こいつを小屋まで運びながら、水場から離れて進むのはこっちなんだ。あいつは、水場へ着けば飲めるだろ」


「着けるとは限らねえだろ! それに……」


「こいつなら戻れる!」


 その言葉に、トッドは息を詰めた。

 信じているような言い方だった。実際、こいつらはオウルの腕を見込んで、戻れると思っているのだろう。だが、その強さを、水さえ取り上げて追い出す理由に仕立て上げている。


「なら、……なら、俺の水を渡す!」


 トッドは自分の腰へ手をやった。水袋を外そうとして、


「トッド……」


 足を負傷した男が、地面へ座り込んだまま声を出した。痛みを堪えるせいで、顔が汗に濡れている。


「もしオウルを外すなら、前衛はお前だけになる。お前まで使い物にならなくなったら……」


 トッドは、答えられなかった。


 誰を守るべきか? なんて、この状況ではきれいすぎる問いだ。

 自分がいま迫られているのは、誰を危険に晒すか選ぶことだった。


 何を捨てたらいいのか。――誰を、切り捨てるべきか?


「別にいいよ、トッド」


 オウルが言った。この場にそぐわない、軽い調子だった。


「お前がいなきゃ、そいつらは小屋まで持たねえと思うぜ。おれは一人でも動けるし。妥当だろ?」


「てめえは黙ってろ!」


「なんでだよ。おれの話だろ?」


 オウルは水袋の紐を外した。それを、残る側の荷のそばへ置く。

 トッドは、止められなかった。

 先ほどオウルを責めた男が、今度はその背嚢へ目をやった。


「……食料も寄越せ。水場へ下りるだけなら要らねえだろ。毛布もだ。こいつを運ぶのに使う」


 オウルはいちいち中身を探らなかった。背嚢を肩から外し、荷のそばへ放った。残ったのは、使い込んだ短槍と革鎧だけだ。


 狼が群れをなす水場へ向かわせるには、明らかに足りない。


 ――自殺行為だ。

 それなのに、オウルは平然と、短槍を肩へ乗せた。


「さすがに武器は持ってくぜ。じゃ、行くわ」


 トッドは、何を言えばいいのかわからなかった。


「オウル、」


 オウルは振り返り、呆れたように笑った。


「ちゃんと連れてけよな。ここまで来て全滅したら間抜けもいいとこだぜ」


 オウルは水場へ下りる道へ向かった。

 ひとりきりで。

 そして、すぐに岩陰へ消えた。


 残された一行は、まず油樽を一つ捨てた。薬箱と残った燃料を背負い直し、負傷者を二人がかりで運ぶ。トッドが最後尾で周囲を警戒した。


 ――すべて、オウルが提案したやり方だった。


 果たして、その判断は正しかった。

 一行は、日が落ちきる前に監視小屋へ辿り着いた。


 扉を閉め、負傷者を床へ寝かせ、残った水を少しずつ飲ませる。


 誰も喋らなかった。


 小屋の外では、風が強くなっていた。板張りの屋根が、時折ぎしりと鳴る。

 最初の一粒が屋根を叩いたとき、トッドは顔を上げた。


 ぽつり、と、もう一つ。


 すぐに音は増えた。空は一気に夜と化し、乾いていた地面はみるみる濡れ、軒先から水が筋になって落ちていった。


 雨だった。

 小屋の隅に置かれた空の桶へ、屋根から落ちた水が溜まっていく。


 トッドは水袋を掴み、盾を手に取って、扉の前まで行った。外はすでに暗く、雨の向こうは何も見えない。


 戻るなら今だ。

 水は足りている。沢へ下りて、オウルを追える。


 ――雨で視界も利かねえのに、狼のいる道へ、一人で?


 トッドの手が止まった。

 オウルを見つけられる保証もない。自分が戻ったところで、間に合う保証もない。


 ――俺たちは、そういう道へ、あいつを独りで行かせたんじゃねえのか。


 背後で、負傷者が苦しそうに息を吐いた。


 トッドは、扉に手をかけたまま動けなかった。

 雨音は夜通し扉を叩き続けた。



 ……。


 かすかな音に、トッドは反射的に盾を上げる。四番隊の隊長、前衛、そしてオウルも気付いたのだろう、各々の武器を構え直した。

 横道の奥から、一定の高さで揺れる灯りと、複数の足音が近づいてきていた。


 隊列が運ぶ光だった。

 真っ先に動いたのはオウルだった。奴は構えていた短剣を鞘に納めて、にやりと笑った。


「他の連中だ。いいところに来たな」

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