22.追放の記憶 ①
……その依頼にオウルを誘ったのは、トッドだった。
話を持ち込んできたのは、護衛組合のガレウス・ドランベルクだ。
日が暮れる少し前、トッドは護衛組合の詰所で、街道護衛の報告書へ署名を済ませたところだった。帰ろうとしたところを呼び止められ、奥の事務部屋へ通される。
「監視小屋へ、薬と燃料を届けたい」
ガレウスは机の上に依頼票と街道図を置いた。街道図には、死の山を越えた先に赤い印がついている。そこが監視小屋だった。
トッドは、提示された報酬を見て鼻を鳴らした。
「この額で死の山を越えさせようっていうのか?」
「向こうの維持費から出せるのはこれが限界だ」
あの小屋は、護衛組合の持ち物ではない。山越えを使う荷主と沿道の集落が、金を出し合って置いた見張り小屋だった。
「なのに、てめえらが手を回すのかよ」
「ああ、そこから届く報せは、護衛組合も使っているからな」
トッドは机の上の街道図へ目を落とした。死の山を越えた先に打たれた赤い印。そこからの報せが途切れれば、次に山道へ入る護衛隊は、手探りで荷と人を連れて進むことになる。
「なら、護衛組合が金を出せばいいだろ。人はともかくとして」
「いいや。一度でも護衛組合が肩代わりすれば、今後も同じ扱いを押し付けられる」
「それで、探索者を使うってか?」
「そうだ」
ガレウスは否定しない。トッドは舌打ちした。
「……一人じゃ無理だ。前衛がもう一人要る」
「お前が個人で受ける仕事に、護衛組合の名で人を貸すことはできん」
「俺一人なら、組合員を出したことにはならねえってか?」
「お前が自分で引き受けるならな。だから、断ってもいいと言っている」
とんだ詭弁だな、とトッドは心の中で毒づいた。そして、机の上の依頼票をしばし睨みつける。
断る理由はいくらでもあった。
報酬は安いうえ、護衛組合の保障からも外れる。
だが、この監視小屋から情報が届かなくなれば、次に街道へ出る護衛隊は手探りで死の山を越えなければならなくなる。重要な拠点への補給物資の荷運びだ。どこの馬の骨とも知れない探索者に押し付けるわけにもいかない。
トッドは大きく息を吐き、依頼票を机から取り上げた。
「……前衛を探す。見つからなきゃ、この話はなしだ」
「それでいい」
「よくねえよ。厄介な頼み事しやがって」
「人手不足で出ろとは言えん。……虫のいい話なのは、わかっている」
ガレウスの返答は相変わらず淡々としていた。
トッドは舌打ちして、依頼票を革鎧の内側へ差し込んだ。
その足で酒場に赴き、知り合いを二人当たる。片方には死の山と聞いた時点で断られた。もう片方には、報酬を聞くまでもねえなと笑われた。
踵を返そうとしたとき、酒場の隅に見たことのある顔がいた。
前回組んだオウル・ダウングリーンだった。ひどく暇そうに頬杖をついて、二つのサイコロを指の間で転がしている。
「オウル」
オウルは掌で転がしていたサイコロを止め、顔を上げた。
「ん? ああ、トッドか。どうした?」
オウルがテーブルから杯を持ち上げた。
水で薄めたぶどう酒に、潰した香草を浮かべたものだ。中身はほとんど減っていない。酒場によくいるくせに、この男は酔うほど酒を飲まないらしい。
トッドは、杯からオウルの顔へと視線を戻した。
「荷運びの依頼を受けた。死の山を越えた先の監視小屋まで、薬と燃料を運ぶ」
杯に口をつける直前で、オウルは動きを止めた。飲まずにそのままテーブルに戻す。
「……まさかお前、またおれと組むつもりなのか?」
「悪いかよ」
「いや、悪くはねえけどさ。おれのこと知らねえの?」
「知ってるさ」
トッドは言った。
前の仕事でオウルと別れたあと、護衛組合の詰所でこいつの噂を聞いていた。
例えば、ある薬種商の荷を護送していたときだ。道沿いにゴブリンの巣穴を見つけたオウルは「ついでに片づけとこう」と言い出した。同行した前衛もそれに同意し、巣穴を潰した。
結果として荷は無事に届き、追加報酬も出た。
だが、依頼人であった薬種商は帰還後、探索者支援会へ「二度とあの男を護衛につけるな」と苦情を入れたという。
似たような話は、ほかにも聞いた。
腕は立つし、仕事が早い。依頼をしくじったという話もほとんど聞かない。だが、一度護送された相手は、「二度とごめんだ」と吐き捨てて別の前衛を探すらしい。
護衛される側にとって、癪に障る男らしかった。頼んでもいない危険に突っ込む戦闘狂か何かに思われているのだろうか。
だが、依頼は完遂している。トッドには、それが腕の立つ前衛を外す理由とどうにもつながらない。それに、今回オウルに荷や人を預けるつもりはない。必要なのは、獣が出たとき前線に立てる戦力だった。
「でも、どうでもいいだろ。てめえの腕が立つってわかりゃあ十分だ」
オウルは黙った。それから、可笑しそうに首を反らした。
「それでおれを選ぶのかよ。お前も大概だな」
「獣が出たら前で働け。それだけだ」
「なるほどねえ」
オウルはサイコロを革袋へ戻し、楽しそうに立ち上がった。
「いやあ、お前とは気が合うと思ってたんだよな」
「それだけはねえよ」
トッドは言い捨てた。
前回の依頼は成功した。
聞いていた噂も、わからないではない。オウルの軽口は気に入らないし、危険を楽しむような態度はもっと気に食わない。護衛仕事で背中を預ける相手として信用しきってよい男ではない。
だが、腕は立つ。死の山へ荷を運ぶのに、半端な腕前の前衛を連れていくわけにはいかないのだ。
翌日、トッドはガレウスに会いに行った。
「もう一人は捕まったか?」
「ああ。オウル・ダウングリーンだ」
ガレウスは、すぐには答えなかった。
「……戦力にはなるだろうな」
歯切れの悪い言い方だった。
「連れていくことは止めん。だが、護衛として数えるな」
トッドは眉をひそめた。
「どういう意味だ? 別に荷を任せる気はねえよ。どうせ隊長は俺だ」
「なら、お前が止めろ。あいつの判断が正しく見えてもな」
トッドは鼻を鳴らした。
「大げさだな」
「そうだといいがな」
薬箱が二つ。油の入った小樽が三つ。道中までの保存食と水。荷車に積み上げたそれらを、三人で尾根の向こうまで運ぶ。オウルとトッドはその護衛である。
本来なら、沢沿いの道を通るはずだった。途中に水場があるからだ。荷車を引くには勾配も緩く、多少時間はかかるが、危険の少ない道だった。
だが、山へ入って半日ほど経った頃、下りてきた旅人に呼び止められた。
「沢へ行くのか? やめとけ。狼がいやがる」
男は、腕に巻いた布を見せた。布には血が滲んでいた。
「群れだ。荷車なんか連れて下りたらいい餌だぜ」
旅人が去ったあと、全員の目が地図へ向いた。
予定通り、沢沿いの道を行くか。水場を外れ、尾根道を直行するか。
最初に口を開いたのは、荷車を引いていた男だ。
「……水場を通ったほうがいい。荷車が遅れたら詰んじまう」
オウルは地図を地面に広げ、腰の水袋を持ち上げた。残量を確かめるように振ってから、荷車の脇に積まれた水袋へ目をやる。
「この速度なら、日が落ちる前には監視小屋にいけそうだが」
「途中で何かあったらどうする」
「それでも、狼の群れに荷車ごと飛び込むよりはマシだろ」
オウルは指先で、地図の尾根道をなぞった。
トッドは黙って地図を見ていた。
気に入らない言い方だったが、判断そのものはおかしくない。
水場には狼がいる。
水は、予定どおり進めるなら足りる。
尾根道を抜ければ、日暮れ前に小屋へ着ける。
トッドは地図から顔を上げた。
「仕方がない。尾根から行こう。旅人を襲った群れなら、沢へ下りるほうが危ない」
荷車を引く男はまだ不安そうだったが、反対はしなかった。他の者も頷いた。
「じゃ、決まりだな」
オウルは地図を畳み、何でもないように笑って、空を指さした。
「雨が降るより先に着けるか賭けようぜ。今夜の飯は負けた奴の奢りな」
「小屋に飯が売ってるかよ」
疲れた笑いが、いくつか上がった。
尾根道は、思ったより悪くなかった。岩は多いが、荷車が通れないほどではない。空は暗かったが、雨の気配はまだまだ遠い。
オウルは何度か先へ行って足場を確かめ、そのたびに手を振った。
「もうちょいで小屋が見えるぜ」
誰もが、問題なく進めると思っていた。




