18.灯りを落とすな ①
「奥に行くまでもねえな」
坑道に入るなり、オウルは言った。
「危険区域の手前でランプ探し回って、遺品もまるごと回収。それでいいだろ」
「お前と意見が一致するとはな」トッド・モスバンクは苦々しげに息を吐く。
「だが、まるごとじゃない。場所を記録して、持てるものだけ持っていく。安全そうな場所でランプが見つかるとも思えんがな」
「ゴブリンが巣に持ち込んでるかもしれねえし、見る価値はあるだろ」
「すみません、僕はまだ〈占兆〉を請えなくて」と、ジェムが申し訳なさそうに言った。
「右か左か、神様に聞けたらよかったんですが」
「いらねえよ」とオウルは笑った。
「どうせ神サマは『右は凶』って教えて、大凶の左へ誘い込むんだろ? おれならそうするね」
「お前は神様じゃねえだろ」
ジェムが反応するよりも早く、トッドが割って入る。声は相変わらず低いが、さっきよりは棘が抜けていた。
「まあ、呪文はなくてもいい。事故現場は地図に載ってるからな。その辺りから見よう」
トッドは地図の一角を指で押さえた。坑道は入口からしばらく一本道で、途中から細い横道が何本か伸びている。その先に、赤い印で囲まれた区画があった。
「ここから奥が危険区域だな」
「その手前で十分だろ」とオウルは言った。「横道とか待避所を見れば、一つや二つは落ちてるさ」
やり取りを聞きながら、コニーは胸の前で鈍色のカンテラをぎゅっと抱え直した。
オウル・ダウングリーンとトッド・モスバンクは、どう見ても修羅場を潜り抜けてきたベテランだ。A.P.ジェムは自分と同じ初心者に見えるが、神に〈奇跡〉を請える貴重な神官である。この隊の中で一番の役立たずは、間違いなく自分だった。
コニー・ヘイスローは、ニックブレード・タウンの外れにある貧民街の生まれである。両親は物心つく前に流行り病で亡くなり、三つ離れた兄とともに祖父母に育てられた。炭鉱夫であった祖父が足を悪くし、パンを買うにも事欠くようになってきたこともあり、まずは兄が探索者支援会の門を叩いた。五年前のことである。
コニーもまた、家にあった短弓とナイフを持ち出し、日銭を稼ぐべく探索者支援会に登録したのだった。
支援会の掲示板に貼られた〈冒険者ギルド〉の告知は、何度も読んだ。そのたびにワクワクして、自分のような新米でも、何かすごいことができるような気がした。何かの順番が回ってくるのではないかと思った。兄は遠くに出ているが、戻ってきたら、きっとこの試験を受けるだろう。
黒晶山については、子供の頃、酔った祖父から何度も聞かされた。
昔はあそこで黒い魔法石が山のように採れた。黒晶は暗闇の中で星のように光るんだ、と。
だが、実際に足を踏み入れた黒晶山は、祖父の話とはまったく違っていた。
星のような輝きなどどこにもない。あるのは息が詰まるような闇、油とカビの匂い、そしていつ崩れるかわからない脆い岩肌。
通路は少し先で右へ折れていた。曲がり角の手前には壁が黒く張り出し、その先には灯りが届かない。
オウルはふと立ち止まり、腰から短剣を抜いた。袖口からカードを抜き出すような、手品めいた手つきだった。オウルは刃先をだらりと下げたまま、軽い調子でコニーに話しかけた。
「コニー、ちょい前に出てくれ」
「え?」と、思わず、声が裏返る。
「後ろから照らされると、おれの影で見えにくくてさ。一歩でいい」
オウルはそう言いながら、左肩を壁に寄せた。道を譲るように。
その言い方は軽い。こういうときだというのに、兄の口調を思い出した。妹に頼みごとをするときの、断られることをまったく想定していない声。
「おれより前に出る必要はない。灯りで向こうを照らすみたいにしてくれ」
コニーは息を止めて、一歩前に出た。カンテラを突き出すように奥へ向ける。その光が曲がり角の壁を舐めた瞬間、壁のきわで何かが跳ねた。
最初は、影だと思った。
だが、目があった。黄色い目が、ぎょろりと灯りのほうを向いた。
――灯りを落としたら、お前は確実にやられるぞ、ヘイスロー。
トッドに言われた言葉が、にわかに蘇って、コニーは思わずカンテラを下げてしまう。
「下げすぎだ! 見えない!」
後ろからトッドの声が飛んだ。コニーは慌てて、カンテラを持ち上げる。
瞬間、光の端から、這いつくばるような小柄な人影が飛び出した。
汚れた耳。濁った黄色い目。振り上げられたのは、あちこち欠けた刃物。
ゴブリンだ、と悟るより早く、オウルは姿勢を低くし、刃先をすっと前へ滑らせた。喉元へするりと切っ先が吸い込まれる。
ごぼ、と血の混じった息の音がして、一匹目がその場で崩れ落ちた。
コニーは倒れたそれを目で追ってしまう。
「こっち照らしてくれ!」
オウルが言った。コニーはびくりとして、灯りを曲がり角へ戻した。
二匹目がいた。壁際を這うように、オウルの脇を抜けようとしている。
オウルは追わなかった。逃げ道の先には、もうトッドの盾が来ていた。
小柄な体が盾にぶつかり、弾かれて戻る。戻ったところへ、オウルの短剣が背中を突き刺し、小さな体はそのまま石の上に落ちる。どちゃり、と重い音がした。
「まだいるだろ」
オウルの声に、コニーは灯りを動かした。どこ、と見回して、黒い壁のきわを照らす。光の端で、何かがぴくりと動いた。
「そこ、」
不利を悟ったか、二匹のゴブリンが暗い坑道の奥へ逃げようとしていた。
コニーは反射的にカンテラをそちらへ向けた。光が逃げ道を追いかける。だが、その光の先にはすでにオウルが回り込んでいた。
オウルは逃げてきた一匹の足を切りつけ、もう一匹の肩口を短剣で引っかけて弾き飛ばした。――後方へ。
小柄な体が宙を舞い、あろうことか後方で警戒していたトッドの目の前へ放り出される。コニーとジェムは小さな悲鳴を上げて身をかがめた。
「っ、ふざけ――!」
トッドは悪態を呑み込み、反射的に盾を突き出した。パニックに陥ったゴブリンが刃物を振るうが、盾に弾かれる。トッドはそのまま盾で押し潰すように間合いを詰め、最小限の動きで短剣を振るった。
トッドの前に放り出された一匹は石壁に頭を打ちつけるように倒れ、それきり動かなくなる。
その間に、オウルはもう一匹を始末していた。
急に、音が消えた。
コニーは、自分がずっと息を止めていたことに気づいた。
「……おい」
トッドが、地を這うような声でオウルを睨みつけた。
「後ろに投げるな」
「悪い」
オウルは短剣の血を払いながら、まったく悪びれずに笑う。
「でも奥へ逃げられたら厄介だろ。斥候はさっさと仕留めないと勘付かれちまうからな」
コニーの足が遅れて震え出す。カンテラの取っ手が手の中で細かく鳴った。
コニーが一歩前に出した灯りで、ゴブリンは見えた。それをオウルやトッドが仕留めた。たぶん、役に立ったということなのだろう。
怖かった。でも、落とさなかった。
オウルは周囲をざっと眺めてから、あくびをした。退屈だ、と言わんばかりに。
「壁沿いに穴はないか? 横道があれば潰しておきたいな」
もう次の話だ。
「確認する」と応えたのはトッドだ。
名指しされたわけでもないのに、自分の役割だと疑いもしない。
「ヘイスロー。壁を照らせ」
トッドの鋭い声に、コニーは弾かれたようにカンテラを上げた。震える腕に力を込め、カンテラをゆっくり壁へと向ける。光が横穴の奥へ伸びる。橙色の光が崩れかけた岩肌を舐め、岩の窪みをあらわにし、ふいに人工物を照らし出す。
そこにあったのは、黒く煤けたランプだった。持ち手には番号の焼き印。そのすぐ脇には、持ち主のものだろう、硬く縮んだ古い革手袋と皮袋が落ちていた。
「一つ目だ」と、オウルが事もなげに言った。
「場所を記録しろ」と、トッドが短く命じる。
ジェムは地図を壁に押し当てるように広げ、木炭を走らせた。ランプの番号、発見地点、周辺の状況。コニーはジェムの手元が狂わないよう、息を詰めて灯りを保ち続ける。
「番号と場所は記録したか?」
「はい」
トッドは周囲の警戒を解かないまま、足元の革手袋と皮袋を素早く拾い上げた。
「これは持っていこう。軽いからな」
「骨でもあればよかったのにな」
くつくつと笑うオウルの声に、コニーは思わずカンテラの取っ手を握り直した。革手袋と皮袋が、急に見てはいけないもののように思えた。




