13.《知識》の代筆屋
イチロクは、オウルを泊めているつもりはなかった。少なくとも、そう言い張っていた。ただ置いているだけだと。
この若いヒューマンは全身に傷を負っている。道具でいえば、まだ修理の途中である。イチロクは、検品を終えていない道具を表に出すような真似が嫌だった。追い出したところで、直りかけが壊れるだけのこと。そんな杜撰な扱いは性に合わない。
オウルは食べ物や金をねだらない。こちらが押し付けなければならないほどだ。あの壊れた頭はヒューマンらしく短絡的なくせに、盗みという卑小な悪事には関心がないらしい。
イチロクとしても、ただ雨風のしのげる場所を求めているだけのものを、わざわざ表へ蹴り出す口実がなかった。
「なかなか寝心地のいい場所だ」
オウル・ダウングリーンは床の上でそんなことを言った。
皮肉ではなさそうだった。まともな寝床と思っているなら胸当てくらい脱げばいいものを、この若造は服を着込んだまま床に転がっている。靴は脱いであるので、本人はそれで十分にくつろいでいるつもりらしい。
イチロクは作業台の前で、革紐を切る手を止めずに言い捨てた。
「頭の修理が先かもしれんな。ここは宿ではないぞ」
「ああ。宿よりうるさい」
オウルは笑って、作業台の上を覗き込んだ。
そこには、麻縄、手袋、水袋、火口箱、古いが縫いのしっかりした外套が並んでいる。
「へー。いい装備だな。誰のだ?」
「お前に持たせるものだ」
「え? おれの?」
昨夜、この若造はどこかの賭場で勝ったらしい。本人は「嘘なし卓」と言っていたが、イチロクには詳しいことはわからない。一文無しだったのに、イチロクが貸した銅貨二十枚がそれなりの額に膨らんでいた。首には、銀の聖印まで下げている。
小さな仮面の形をした《欺き》の聖印である。
聖印というものは持ち主を選びたがるらしい、と職人たちは噂する。この若造に《欺き》の加護があるのかどうかは知らないが、少なくともオウルはそれを未だ首に下げている。
「金はあるんだろう。出せ」
オウルは懐から布袋を出した。何に使うのか、いくら取るのか、返す気があるのか、何ひとつ聞かなかった。イチロクは呆れて首を振り、布袋を受け取った。それから重さを見て、口を曲げた。
「これだけ持っていて、まだ靴を替えておらんのか。そんな革っ切れじゃあ、死体でも嫌がりそうだ」
「死体は歩かねえだろ」
「歩くのもおる」
イチロクは袋を開け、中身を数えた。銀貨。銅貨。少し混じった金貨。まとまりがない。
「装備一式と、短剣だ。無論、わしの手間賃も取るぞ」
「気の早い話だ。試験は一ヶ月も先だぜ」
「阿呆が。その靴が一ヶ月も保つわけなかろう」
イチロクは立ち上がった。
「ん? 靴を買いに行くのか?」
「その前に代筆屋だ」
「代筆屋? そんな眠てえ場所に何の用だよ?」
「お前が勝った金を丸ごと寄こすからだろうが」
そのまま気を利かせて装備を揃えてやれば、それはただの節介である。ドワーフの職人として、預かった金で何を買うのか、一筆書かせて手数料を取らねばなるまい。無償の親切など、気持ちが悪くてやっていられない。
ブツブツと文句を言いながらイチロクは戸口へ向かった。オウルは事情などまるでわかっていない顔で、銀の聖印を指で弾きながらついてきた。
大通りの喧騒を外れ、イチロクは《知識》の教会の敷地へと続く石畳の脇道に入る。立派な本堂には目もくれず、本堂の分厚い石壁に寄りかかるように建つ小さな建屋へと回る。
文字の読めない平民のために出している小さな書記所――いわゆる代筆屋。
質素な木の扉の上には、目印代わりに《知識》の神印が吊るされていた。
「字が書けねえなら、おれが書こうか?」
「お前の字では駄目だ。証にならん」
「証?」
「《知識》の教会に控えを残すのが肝だからな」
「んん……?」
代筆屋に入ると、乾いたインクと古い皮紙の匂いがした。
部屋は横に広く、通りに面した窓がある入口側が明るい。奥の壁際には重厚な棚がずらりと並び、紐で束ねられた皮紙片が並んでいる。
「わしがお前の金をいくら預かり、何に使うかを書いてもらう。後で揉めたとき、言った言わんで時間を潰すのは御免だ」
「ああ、口約束を控えに残すのか。そういうのもやってんだ」
机は三つ。そのうち入口近くの机から、青臭い薬草の匂いが漂っていた。
机の上には大量の薬包や小瓶が所狭しと並べられ、脇には文字の細かく書き込まれた皮紙片が広げられている。草汁にまみれた生成りの僧衣を着た小柄な神官が、何事か書き込ませようと身を乗り出していた。
気配に気づいて、その小さな神官が振り返る。
N.C.エスだった。
その机の代書神官は、三十代半ばほどの、短く刈った髪のヒューマン。
エスの隣には、きちんとした服装の小柄な男がいる。彼もエスと同じ小人なのだろう、腕に〈探索者支援会〉の腕章が留められている。
エスはオウルの姿を認めるなり、ぱっと顔を輝かせた。
「傷の調子はどう?」
「上々だ」とオウル。
「ほんと? 見せて~」
言うが早いか、エスはとてとてと駆け寄り、オウルの上着の裾を両手でむんずと掴んで強引に捲り上げようとした。
「ここで脱ぐわけねえだろ。やめろ! 掴むな」
オウルは嫌そうに顔をしかめ、腰にすがりつくエスの頭を片手でぐいと押し返す。だが、エスは服をぎゅっと握りしめたまま離れない。
代書神官はどこ吹く風で、「これはヒューマンの子供にも使えますか?」と確認しだした。エスはオウルにしがみつきながら答える。
「ヒューマンの子供なら半分。熱があるなら四分の一から。蜂蜜があれば混ぜていいよ」
「くそ! なんなんだよ、聖職者の握力じゃねえだろ!」
オウルが乱暴に引き剥がしても、エスはすぐにまた服の裾に食らいついて執念深くよじ登ってくる。
騒ぎの横で、別の代書神官が机の向かいからイチロクに木椅子を勧めたが、イチロクは無言で首を振った。立ったまま、革紐で固く縛った布袋を机に置く。
「ご用件は?」
「装備調達の代行だ。預かり書がほしい」
代書神官は事務的にうなずいた。手慣れた動作で皮紙を取り出し、机に広げてインク壺に羽根ペンを浸す。
エスの隣にいたノームの男、支援会の職員が口を挟んだ。
「配布するなら、冒険者ギルドの確認を通したほうがいいと思いますよ。薬草の見分け違いが出たら、責任の所在が曖昧になりますから」
「しまい込んだら、もっと間違えるよ?」と、エスが言う。
「それを見た誰かが、薬を作って勝手に売り始めたらどうするんです?」
「その時は間違いも一緒に広まるからね、なおさら正しい見分け方を書かなきゃ。これ、葉っぱの裏の筋で見分けられるんだ~」
支援会職員は口を閉じた。代書神官は淡々と「葉の裏の筋……」と書き足していく。
不意に、通りに面した入口の木戸が重い音を立てて開いた。表の喧騒と冷たい風がどっと流れ込み、ひとりの背の高い男が入ってきた。




