10.嘘なし卓の握り札 ①
ニックブレード・タウンの裏通りのあちこちで、粗悪な酒場の明かりが灯る。
泥酔した男が喚き散らしながら壁を殴り、向かいの路地では二つの影が刃物をちらつかせて怒鳴り合っている。そんなありふれた喧騒を背に、オウルは平然と裏路地を進んだ。
目当ては、先ほど立ち寄った酒場で耳にした賭場の噂だ。
『ウソが通用しねえ卓がある。場所は古い染物屋の裏だ』
賭場はいい。
まず、楽しい。勝てばその場で手持ちが増える。負ければ何も残らない。
たいへんわかりやすい。
イチロクは置いてきた。
あのドワーフがそばにいると、どうにも止められる気がしたからだ。
見張られるのは別に構わない。だが、生まれたてのガキでもあるまいし、遊び方にいちいち口を出されるのは面倒だ。横から手札を覗かれて、ああだこうだ言われるのも気が散る。
染料の悪臭が漂う路地の突き当たり。オウルは目的の染料屋に着いた。正面扉を避けてぐるりと回ったところに、黒ずんだ木戸がある。知らなければ通り過ぎてしまうような、ただの勝手口に見えた。
オウルは扉の前に立ち、目を細めた。
錆びた蝶番のすぐ上あたり。黒ずんだ木板に引っ掻き傷のような線で、小さなマークが彫り込まれている。
二つの目だ。片目は真っ直ぐに見開き、もう片目は固く閉じられている。
「ここだ!」
オウルは小さく笑みをこぼし、迷わず木戸の取っ手に手をかけた。
木戸を開け、狭い石段を下りていく。石段が終わると、広い地下室に出た。低い天井に石積みの壁で囲まれており、吊りランプの明かりの下に四つの卓が詰めて置かれている。カード、賽、札、指し駒。卓ごとに客が輪を作って群がっていた。
奥の卓の柱には、黒ずんだ木板に白い文字で、規則が書かれている。
『故意の虚偽は意味を成さない』
『聞かれていないことを説明する義務はない』
面白い卓だ、とオウルは思った。
木板の横には、低い椅子に腰掛けた灰色の外套の老婆がいた。目を閉じ、膝に小さな鈴を置いている。
――〈虚偽看破〉持ちだ。
珍しくはない。まともな賭場はこういう役を置きたがる。嘘を見抜ける者がいるだけで、くだらない言い逃れはだいぶ減る。
「若いの。手持ちは?」
入口近くにいた胴巻きの男が聞く。
オウルは懐から銅貨を二十枚出した。銀貨にすれば二枚分だ。
昨日の綱渡りで増えた取り分を、イチロクは受け取らなかった。では銅貨に替えてくれと頼むと、「何に使う気だ、まったく」とぶつぶつ言いながらも、ちゃんと替えてよこした。
「少ないな」
「増やしに来たんだよ」
「減らしに来たんじゃなけりゃいいがな」
男は笑い、奥の卓を顎で示した。
「嘘なし卓に空きがある。今日は神官サマが座ってるぜ」
「へえ。聖職者が賭場に?」
「《欺き》だ。むしろ本堂だろ」
奥の卓に、細い男が座っていた。
黒に近い紫の法衣を着ている。神官にしては着崩しているが、胸元から覗く聖印は本物に見えた。
銀でできた、小さな仮面の形をした聖印。
《欺き》の神の印だ。
男は木札を指先で弄びながら、にこりと笑った。
「ここは嘘をつけない卓だよ」
「ああ、読んだよ」
「勉強ができるのはいいことだ」
「《欺き》の神官サマが、嘘を見抜かれる卓に座ってんのか」
「だからこそだよ」と、神官は楽しそうに笑った。
「嘘しか使えない者は、《欺き》に向かないからね」
「確かに」
「君もそういう口かい?」
「そうかもな」
「今のは答えじゃないね」
「答える義務はないんだろ?」
神官は満足げに笑って、老婆のほうを見た。
老婆は目を閉じたまま、鈴に手を添えている。
「この方が鈴を鳴らしたら、故意の嘘ということだ。この卓に座る限り何人たりとも逃れられない」
「鳴ったら何が起こるんだ。退場か? 罰金か?」
「何も。ただ嘘が明らかになるだけだ。簡単だろう?」
オウルは、使い込まれた木の卓の前の粗末な椅子に座った。
卓の上には、一から九まで墨で数字が書かれた薄い木札が置かれている。
各数字は三枚ずつ、合計二十七枚。札にあるのは数字だけで、文様はない。
「〈握り札〉か」
「そうだよ」
まず、プレイヤーには手札が二枚ずつ配られ、場には全員が使える共通の札が三枚、順に開かれる。最後に、伏せ札と場札を合わせた中から三枚を選んで役を作る。ただし、自分の伏せ札を最低一枚は使わなければならない。
役は、三枚同じ数字の〈三揃い〉、連続した数字の〈連なり〉、どちらもなければ合計を見る〈目高〉の順番で強い。ただし1、2、3だけは〈始まり〉と呼ばれ、どの三揃いよりも強くなる。
「へえ」
ぽつり、とつぶやくオウルの声は客のざわめきに呑まれた。
神官は薄い木札を二枚、伏せたままオウルの前へ滑らせた。サァッと硬い音が卓の上に響く。
「場の札は、最初は二枚だけ開く。三枚目が開く前に、伏せ札を一枚だけ替えてもいい。替えなくてもいい。替えた札は伏せて捨てる」
「捨て札は見えないのか?」
「見えない。見せたら替えた意味がないだろう」
「そのあと質問か?」
「そうだ。伏せ札を替えたあと――変えなくても変わらないが、お互いに一つだけ質問ができる。答えは、はい、いいえ、黙秘だけ。嘘は〈虚偽看破〉が拾う。黙るなら、銅貨を一枚山に置く」
「手札を聞くのは?」
「なしだよ。数字を名指しするのも、役名を直接聞くのもなしだ。取り調べじゃないからね」
「三枚目が開いたあとも降りられるのか?」
「降りられるよ。山に置いた分は戻らないが、相手の上乗せに付き合わなくてもいい」
「いいね」と、オウルはにっこり笑った。
「君は誠実さが売りかね? 正直者が勝つ遊びではないよ」
「だろうな」
神官も笑う。
「まずは、腕試しといこう」
神官が銅貨を置いた。オウルも同じだけ置く。
二枚ずつの伏せ札が配られ、場の3と6が開かれた。
交換を求める者はいない。神官が口を開く。
「私から質問をしよう。その伏せ札は、場札のどれかと数字がつながっているかい?」
オウルは銅貨を一枚、山へ弾いた。
――黙るなら、銅貨を一枚山に置く。
神官は満足そうに笑った。
「答えれば弱いとわかってしまう。しかしブラフは使えない。そういう手かな」
「決めつけるねえ。じゃ、こっちも聞くよ。あんたの伏せ札は、場札のどれかと数字がつながってるか?」
「『はい』。つながっているよ」
三枚目の場札、4が卓に置かれた。
場にあるのは、3、4、6。
オウルの伏せ札は8と9だ。場の6と合わせれば〈目高〉としては高い。
だが、例えば神官が2か5を持っていれば、それだけで〈連なり〉ができる。伏せ札次第では、もっと強い手になる。
神官が迷わず銅貨を積み、オウルもそれに倣った。
分は悪い。だが、ここで降りれば、神官が何を根拠に押したのかわからない。伏せ札を開かせるには、最後まで残るしかない。
ここで小さく勝つくらいなら、負けて神官のやり口を見たほうがマシだ。情報料としては安い。
互いに伏せ札を開く。
オウルの手は8と9。場の6と合わせても役はできない。数字の合計で競う〈目高〉だ。
対する神官は1と5を開いた。自分の5を場の3、4とつなげ、連続した数字の役である〈連なり〉を完成させていた。
神官の勝ち。
オウルは神官の5を見た。
なるほど。
神官は、『場とつながっているか?』という問いに『はい』と答えた。そのときの共通札が3、6。伏せ札の片方は5。
三枚目の共通札で4か7が出なければ、〈連なり〉は作れなかった。
それでも、迷わずに積んだ。
勝てる手を持っていたからではない。勝てる形に化けるかもしれない札を持っていて、それを、もう勝てる手のように見せたのだ。
――なるほど、嘘はついていない。
その後も何度か札が配られ、銅貨が行き来した。
また、場に二枚が開く。
1と7。
「聞こう。君の伏せ札は弱いか?」
「ああ。弱い」
瞬間、ちりん、と鈴が鳴った。
オウルはジッと老婆を見る。何も言わない。
「この卓での『弱い』手は、数字の低さじゃない。勝負から遠いかどうかだよ」
神官は静かに笑った。
「というわけで、私は降りるよ」
オウルは伏せ札に置いた指を離した。中身は2と3。弱い手だ。しかし、場の1と合わせれば、1、2、3の〈始まり〉になった。この卓ではもっとも強い役だ。
今さら伏せ札を開く義理はない。伏せたまま、胴元のほうへ滑らせる。
そして、卓の中央の山に積まれた金がオウルのもとへやってきた。
「あーあ、降りてほしくなかったのに」と、オウルは言った。
惜しそうなのは声だけで、手を頭の後ろで組み、伸びでもするように背を反らしている。
鈴は鳴らない。
「降りて正解だったらしい」神官はほとんど苦笑していた。
機嫌よく次の札を待っていたオウルが、ふと思い出したように聞いた。
「ところでさ、なんで〈始まり〉が〈三揃い〉より上なんだ?」
「さあてね。このゲームの創始者でもなければ知る由もないさ」
「〈三揃い〉よりも〈始まり〉のほうが出やすいのにな」
「ほう。そう思うかい?」
「思うさ。一つの数字は三枚しかないが、1、2、3はどれも三枚ずつあるんだろ。同じのを三つ揃えるより、1、2、3を一枚ずつ引くほうが楽じゃねえか」
神官は、それはそれは嬉しそうに笑った。
「勉強ができるのはいいことだ」




