第7話 守るだけでは足りない
「おい!誰か来てくれ!」
ロイクが、走り出す。
「——っ」
遅れて、その背を追う。
その先には、人だかりができていた。
「どうした?」
ロイクが姿を見せると、皆が自然と道を空ける。
中心にいた男が、短く息を吐いた。
「旦那、またやられました」
男が指差す。
そこには、引き抜かれた作物が散らばっていた。
根ごと、乱暴に。
無理に引き抜かれた根には、湿った土が絡みついている。
踏み荒らされた土には、新しい跡。
——まだ、乾ききっていない。
何かが、ここにいた。
つい、先ほどまで。
「……またか」
ロイクが、うんざりしたように呟く。
「他に被害は」
「ここだけだ」
「あーあ。もう少しで実がなりそうだったのに」
「こんなの食ったって、腹の足しにもならねえのに」
「それでも持ってくんだ。よっぽど切羽詰まってるんだろうな」
「蔵は?」
「今、見に行ってる」
短い言葉が、淡々と交わされる。
誰も、声を荒げない。
嘆きもしない。
ただ、状況を確かめている。
「……どういうこと。動物?」
目の前の荒れ方に、すぐに首を振る。
違う。
こんなやり方は、獣じゃない。
「……人?」
小さく呟く。
隣の男が肩をすくめた。
「いつものことじゃ。ここはガルディアの真横じゃからのう」
「あっちは今、国中で揉めてるらしい。食うもんも足りてねえんだろ」
「こんな土地で争ったって、食いもんが増えるわけでもねえのにな」
「だからって、こっちに来られても困るのう」
言葉は、どれも軽い。
怒りも驚きもなく、ただ——そういうものだと受け入れている。
「……ガルディア、ね」
この地にいる限り、切り離せない相手だ。
何もしなくても、向こうの事情は、そのまま流れ込んでくる。
——国全土での争い。
ガルディアも、ここ同様に乾いた土地だ。
疲弊しきった民が、水と食べ物を求めて彷徨う。
その果てに——こんな整えられた緑が広がっていたとしたら。
「……宝の山に見えるでしょうね」
思わず、言葉が漏れる。
「なんとかならないの?捕まえることはできないのかしら」
男は、苦笑した。
「流石に無茶だよ、お嬢ちゃん」
「ここには年寄りしかいねえ」
「柵も立ててるし、蔵には鍵もかけてる。できることはやってるさ」
「それでも来るんだ。止めようがねえ」
皆、肩をすくめる。
——どうしようもない。
……本当に?
ロイクの背を見る。
この人でも、止められないの?
胸の奥が、ひやりと冷えた。
どれだけ工夫を重ねても、どれだけ守ろうとしても、それでもなお、奪われる。
——これが、辺境。
……辺境。
その言葉に、回帰前の記憶がよぎる。
ガルディア。
そして——水。
「水脈を取られました」
淡々とした報告が、耳の奥で響く。
「ここって……我が国の領土じゃないのか?」
「向こうは、ガルディアのものだと主張しています」
「じゃあ、取り返せばいいだろう」
軽い言葉が落ちる。
「殿下……流石にそれは……」
「細かいことはいいよ。さっさとやってくれ。……奪われたままなんて、格好がつかないだろう?」
地図が、無造作に放り出された。
赤い印が、目に焼き付く。
——この場所は……!
ふっと、意識が戻る。
目の前では、先ほどまでと同じように、青々とした作物が風に揺れている。
——今なら、まだ間に合うかもしれない。
食料は、ここにある。
水も、まだ奪われていない。
彼らが欲しいものは、揃っている。
——これを、使えば。
「まだいたのか。さっさと帰れ」
ロイクが、こちらへ歩み寄る。
眉を寄せ、露骨に鬱陶しそうな顔をしていた。
手には、引き抜かれてしおれた葉が握られている。
「あんたみたいなのがうろついてたら、すぐに襲われるぞ。どうなっても知らないからな」
そのまま、通り過ぎようとする。
「いいえ、帰りませんわ」
ロイクは振り返らない。
その背に向かって、言葉を続ける。
「あなたは言ったわね。目の前の分を守れれば、それで十分だと」
周りに目を巡らせる。
整えられた畑。
元気そうな領民たち。
「……確かに、守れている。飢えてはいない」
荒らされた畑が目に入る。
「でも——富ませることもできない」
ロイクの足が止まった。
「あなた一人で、回している限り」
彼の背に問いかける。
「……違う?」
風が吹き抜け、無造作な茶色の髪を揺らす。
「このままでいいの?」
「何も知らないくせに……」
低く、絞り出すような声。
「よそ者のお前に何が分かる。やるべきことは、やっている」
その手は、強く握られていた。
爪が食い込むほどに。
——そう。
やるべきことはやっている。
それでも、足りない。
この人が、一番、それを分かっている。
私は、わずかに口元を緩めた。
「方法があるとしたら」
ピクリとロイクの肩が跳ねる。
「この地を、富ませる方法が」
「……また権力とでもいうのか」
ロイクは、吐き捨てるように言う。
「さっきも言っただろう。金や地位があったところで、こんな場所では意味が——」
「いいえ」
言葉を遮る。
「確かに、あなたの言う通り。権力では、何も育たない」
言葉を重ねる。
「どれだけ金を積んでも、育たないものは育たない。……だからあなたは、選び、残してきたのでしょう?」
ロイクの視線が、こちらを捉える。
「けれど、価値がないのではない。使い方を知らないだけ」
彼の目が、わずかに揺れた。
「——ご興味は?」
***
ひと通り畑を見終え、体を休めるために戻った先は——
板を組んだだけの、小さな家だった。
軋む床。
隙間風の入る窓。
快適とは言い難い。
だが、窓の外には、整えられた畑が広がっている。
それだけで、十分だった。
「お嬢様、まだこんなところで生活するんですか?」
ニーナが、ため息混じりに言った。
「早く帰りましょうよ。隣国からの襲撃もあるみたいですし……物騒です」
「ふふ、大丈夫よ」
軽く笑って、後ろへと視線を向ける。
「いざとなったら、護衛もいるしね」
壁際に、男が立っている。
光を吸い込むような墨色の髪。
無駄のない黒の装い。
視線を向けても、微動だにしない。
ただ、気配を殺してそこにいる。
——ここに来た時から、ずっと。
離れることなく。
命じられているかのように。
「ですが……」
「嫌だったら、ニーナだけ帰っても構わないわ」
「いいえ!」
被せるように、力強い声が上がる。
「お嬢様を一人になどいたしません。私はお側におります。どんな時でも」
真っ直ぐな目だった。
言葉に、迷いがない。
——変わらないわね。
自然と、口の端が上がる。
「……ありがとう、ニーナ」
「当然のことですから」
栗色の髪がやわらかく揺れ、同じ色の瞳が細められる。
はにかむような笑みが、ふっとほどけた。
その表情に、張り詰めていた心がわずかに緩む。
「……あなたも」
護衛へと声を投げる。
「不満があれば、いつでも帰っていいわ。父には、私から伝えておくから」
「……いえ……不満など」
わずかに間を置いた、短い返答。
それきり、護衛は前を向いたまま動かない。
「そう」
小さく頷く。
「あなた、名前は?」
「ジラルド・カルヴィと申します」
「カルヴィ卿。帰らないのなら、働いていただくわ」
立ち上がり、窓の外を見る。
一角だけ、土が剥き出しになっていた。
さっきの場所。
周囲の緑の中で、そこだけがやけに目につく。
——まずは、ここから。
「次に来たら、捕まえて。——利用できる」




