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裏切られた王妃は、王を選ぶ  作者: noemi


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18/20

第18話 夜会という戦場

「ふふ……様になってるわね」


「ちっ」


小さく舌打ちを漏らし、ロイクは視線を逸らした。


支度を整え、玄関へ向かうと、ロイクがすでに待っていた。


どこか落ち着かない様子で、何度も袖口を直している。


撫で付けられた髪。

身体に馴染んだダークグレーのジャケット。


普段とは、別人のようだった。


「背筋を伸ばしなさい。前を向いて。第一印象は大事よ」


「……なあ、本当に行くのか?」


視線を外したまま、低く言う。


「言っておくが、俺は社交界なんて、行ったことすらないんだぜ?」


「誰にでも、初めてはあるものよ」


軽く言い切る。


「さあ、行くわよ」


文句を飲み込みきれないままのロイクを急かし、馬車へと乗り込む。


「いい?今日はエイブル伯爵が主催する夜会よ」


淡々と続ける。


「我が家とも長年親交がある家だし、伯爵夫妻も穏やかな方。あなたのお披露目にはちょうどいいわ」


一度、視線を向ける。


「顔と名前は覚えたでしょうね?」


「はあ……」


露骨に顔をしかめる。


「そんなことまでしないといけないのか?会ったこともない連中の顔と名前なんて——」


「それが社交の基本よ」


短く断ち切る。


「真面目に聞きなさい。隙を見せたら、つけ込まれる。それが貴族よ」


指先に、わずかに力が入る。


「下手に悪意のある人間より、貴族はタチが悪いわ」


——そうして、一度目の私は死んだのだから。


やがて、馬車が止まる。


扉が外から開かれた。


ロイクが先に降りる。


差し出された手を取り、私も続いた。


自然と、そのまま彼の腕に手を添えて歩き出す。


——安定している。


思っていたよりも、ずっと。


「ちゃんと練習したみたいね」


見上げて言う。


「うるせえ」


彼はさっと顔を背けた。


その様子に、口元がわずかに緩む。


「まずは、伯爵に挨拶に行くわよ」


「ああ……」


その返事に、わずかな硬さが混じった。


彼の腕に軽く力を込め、そのまま会場へと足を踏み入れる。


——空気が変わる。


一斉に、視線が集まった。


ざわめきが、波のように広がる。


「ねえ、あの方……」


「初めて見る顔だな」


囁きが重なる。


「エスコートされてるのは……コルヴィス家の……」


「レイナータ嬢?あんな雰囲気だったかしら?」


「そもそも、社交に出るのも久しぶりじゃなくて?」


囁きが、重なっていく。


値踏みするような視線。


逃げ場はない。


——だからこそ。


歩みは、止めない。


人の流れが自然と割れ、道が開く。


迷いなく、進む。


正面にいた伯爵の視線が、こちらを捉える。


一拍ののち、表情がゆるむ。


目尻に細かな皺が寄り、その人柄が滲む。


ゆっくりと、夫人を伴って歩み寄ってきた。


「これはこれは……レイナータ嬢。よくお越しくださいました」


「こちらこそ。お招きいただき光栄ですわ、エイブル伯爵」


「ごきげんよう、レイナータ様」


伯爵の隣で、夫人が一礼する。


動きに合わせて、胸元の宝石がふと光を弾いた。


「夫人もお久しぶりです。その宝石……領地のものかしら?やはり輝きが違いますわね」


「まあ……お目が高いですこと」


夫人は指先でそっと宝石に触れる。


「ちょうど良いものが入りましたので、今宵のために無理を言って用意させましたの」


「そうですか。とてもお似合いですわ」


やわらかく笑みを交わす。


「それにしても……」


伯爵の視線が、ゆっくりとこちらをなぞる。


今日のために選んだ、深い青のドレス。


これまでのような、厳格な装いではない。


控えめな華やかさだけが、残る。


「今日は、いつにも増して雰囲気が違うようですな」


「ええ」


軽く頷く。


「少し、気分を変えてみたくなりまして」


ほんの一瞬、目を伏せる。


「王妃様のこともあり、しばらく塞ぎ込んでおりましたが……。いつまでも立ち止まってはいられませんもの」


「……そうでしたか」


空気が、沈む。


夫人が静かに視線を落とした。


「久々の夜会が、こちらでよかったですわ」


微笑みを戻す。


「それは光栄です」


伯爵が満足げに頷く。


そして。


「……ところで」


視線が、隣へと移る。


「こちらの方は?」


——来たわね。


「ご紹介しますわ。ヴァルド男爵です」


言葉に合わせるように、ロイクが一歩前に出た。


「ロイク・ヴァルドと申します」


わずかに硬さを残しながらも、一礼する。


「先日の視察で、お世話になったのです」


「ほう?」


伯爵が眉を上げる。


周囲の貴族たちも、さりげなく耳を傾けている。


「東の視察の折、馬車が立ち往生してしまいまして。その際に、男爵に助けていただいたのです」


声は、あえて周囲にも届くように響かせる。


「そのお礼も兼ねて、今宵はご一緒していただいておりますの」


「なるほど……」


伯爵はゆっくりと頷く。


「ご丁寧にどうも。エイブル伯爵家当主、マルロです」


「妻のサリアですわ」


「お会いできて光栄です」


ロイクはゆっくりと握手を交わす。


「恥ずかしながら、王都にはあまり縁がなく……。レイナータ様のご厚意に甘え、案内をお願いしている次第です」


「そうでしたか」


伯爵の目に、興味が灯る。


「王都へは何を?」


ロイクが、ほんのわずかに呼吸を整える。


「これまで、領地の整備に追われておりましたが、ようやく一区切りつきまして」


視線を外さず、続ける。


「今後は発展の幅を広げるためにも、こうした場に顔を出していくつもりです」


「ふむ」


伯爵が目を細める。


「閣下は、宮廷でも調整役として名高いと伺っております」


ロイクが、一歩だけ踏み込む。


「その手腕、ぜひ一度お話を伺えればと」


「ほっほ……そうですか」


伯爵の口元が緩む。


「噂というのも、悪くはないものですな」


機嫌のいい空気。


——十分ね。


「ふふ、主催者をこれ以上引き止めるわけにはいきませんわ」


軽く視線を引く。


「ヴァルド卿、お話はまたの機会に」


「ああ……失礼しました」


ロイクが一歩下がる。


「また機会があれば、ぜひ」


「ええ、もちろん。どうぞ、今宵はごゆっくり」


笑みを交わし、伯爵夫妻と別れる。


人の流れに紛れるように、少し距離を取った。


そして、隣へと視線を向ける。


「——悪くなかったわ。最低限は、ね」


「……疲れるな」


吐き出すように言う。


「まだ油断しちゃダメよ」


視線だけで、周囲を示す。


「どこで見られているか、分からないわ」


「ああ……分かってる。にしても……」


ロイクは周囲へと視線を巡らせた。


「どいつもこいつも、チラチラと……鬱陶しいな」


「それが今日の目的でもあるんだから——少しは我慢なさい」


軽く肩をすくめる。


「さっきの話も、すぐに広まるわ」


「……陰険だな、貴族ってのは」


「それは……少し心外ね」


「はっ」


ロイクは鼻で笑った。


その時。


「——おや?」


背後から、聞き慣れた声が割り込む。


「誰かと思えば、レイナータじゃないか。帰っていたのかい?」


振り返る。


そこには、金の髪を揺らして立つエドモンドの姿があった。


片手にグラスを持ち、慣れた様子で夜会に興じている。


その顔には、緊張の色はない。


「……殿下」


名を呼んだ瞬間。


隣で、ロイクの動きが一瞬だけ止まる。


だが、すぐに揃って礼をとった。


「ああ、楽にしてくれ」


気にも留めない様子で、エドモンドは続ける。


「珍しいね、君が社交に出てくるなんて。その男は?」


「ロイク・ヴァルド男爵です。今回の視察でお世話になりましたので、お礼に王都をご案内しておりますの」


「第一王子殿下に、ご挨拶申し上げます」


「ああ、そういう堅苦しいのはいいよ。せっかくの夜会だ。楽しくやろう」


「……恐縮です、殿下」


「それより——」


エドモンドは気楽な調子のまま、視線をこちらへ移す。


「やっぱり。雰囲気が変わったね」


値踏みするように眺め、軽く頷いた。


「そのドレス、いいね。光沢を抑えてるのに、ちゃんと華やかさは残してる。——うん、前よりずっといい」


言葉は淀みなく続く。


「正直、前までは母上を見ているみたいだった。きっちりしすぎて、息が詰まりそうでね。こういう方が、見ていて気分がいいよ」


——こういうところは、気づくのね。


視線を、ほんのわずかに逸らす。


狙い通りではある。


だが。


胸の奥に、違和感だけが残った。


「まあ……相変わらず、殿下は褒めるのがお上手ですわね」


「思ったことを言ってるだけさ」


気にも留めず、あっさりと返す。


「……せっかくだ。どうだい、一曲?」


自然な動作で、手が差し出される。


思わず、握っていた指先に力がこもった。


これまで、彼と踊ったことは数えきれないほどある。


けれど——


今は、どうしてもその気にはなれない。


「せっかくですが、本日のパートナーは男爵ですので」


静かに、しかしはっきりと断る。


「殿下をお相手したい方は、他にもたくさんいらっしゃいますもの。今日はそちらにお譲りいたしますわ」


「おや」


エドモンドは軽く眉を上げる。


「いつもは順番がどうとか、ずいぶん細かいことを言っていたのに。今日は随分あっさりしてるんだね」


肩をすくめる。


「まあいいや。せっかくの夜だ。君も楽しむといい」


それだけ言うと、ためらいもなく背を向ける。


すぐに、別の女性へと声をかけに行った。


——もう、こちらには興味がない。


思わず、息を吐く。


「……よかったのか?」


隣から声が落ちる。


「婚約者なんだろ?」


「……そうね」


それだけ、返す。


気を取り直すように、視線を巡らせる。


すると、一箇所だけ、不自然に人が集まっていた。


入れ替わり立ち替わり、押し寄せている。


その中心を捉えた瞬間——


口元が、わずかに緩んだ。


「少し外すわ」


軽く言い置く。


「一人でも、ちゃんとしているのよ」


「おい、俺は子どもか何かか——」


構わず、歩き出す。


「おい、どこに行くんだ」


呼びかけには応じない。


視線は、ただ前へ。


人の波の向こう。


笑みと視線の中心に、ひとりの女が立っていた。


——ベルティーナ・オルランド侯爵夫人。


その周囲だけ、ひときわ華やいで見える。


人が寄り、笑いが生まれ、また別の誰かが引き寄せられる。


——相変わらずね。


あの一言で、すべてが変わった。


気づいた時には、すでに手遅れだった。


だからこそ——


今度は違う。


こつり、とヒールが鳴る。


扇の奥に、歪んだ口元を隠す。


だが、目だけは逸らさない。


——ここで会えるなんて、好都合だわ。


今度は、こちらから仕掛ける。

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