一蹴:地球人代表
ラブコメ回収まで後7話
右腕が、ありえない方向に折れ曲がっている。
「……あ、が…………っ、あ…………あぁあああああああああああああッ!!」
絶叫。
視界が真っ赤に染まる。
『ベルセルク・カクテル』が最大出力で鎮痛剤を血中に叩き込んでいるはずなのに、痛みは消えない。
神経加速インプラントのせいで、その地獄のような苦しみが、永遠のように引き延ばされて脳に刻まれる。
(痛い痛い痛い痛い! 無理! 死ぬ! 折れてる! 僕の腕、完全にパスタみたいに折れてるって!! なんだよ……物理法則どこ行ったんだよ!)
涙と鼻水が溢れ出し、喉の奥から汚い鳴き声が漏れる。
海面の光の床を転げ回り、右腕を抱えて悶絶する僕の前に、純白のドレスの裾が静かに現れた。
「……どうした、帯刀覚悟、地球の『最終兵器』。もう終わりか?」
リナリアは、感情の読めない冷徹な声で僕を見下ろしていた。
彼女の白い指先が、再び優雅に持ち上げられる。
次は、僕の左脚に向けられた。
(来る! 死――!)
反射だった。
思考を介さない、数ヶ月の訓練の結果が作動した。
僕は折れた右腕を床に押し付け、無理やり身体を跳ね飛ばす。
その直後、僕がいた場所の「空間」が、凄まじい力で捻じ曲げられた。
「ほう。回避したか」
わずかに、感心したような声が聞こえた。
僕は泣き叫びながら、震える左手で腰の電磁ナイフを抜いた。
高周波振動刃が「キィィィィン」という不快な音を立てて起動する。
「お、おおおおおおおおおおっ!!」
全速!
人工筋肉を限界まで収縮させ、左右にフェイントを入れながらリナリアへ肉薄する。
視界の中では、世界が静止画のように遅い。
「当たれぇぇ!」
だがリナリアは、僕の動きを完璧に捉えていた。
彼女が、右手を僕にかざす。
「――無駄だ」
瞬間、空間が僕を「捕食」した。
左脚に、見えない巨大なプレス機が噛み付いたしたような衝撃がきた。
装甲と骨と筋肉が、同時に粉砕される音が響き、僕は凄まじい勢いで床に叩きつけられた。
そのまま、リナリアの足元まで数メートルを転がり、無様に停止する。
衝撃で外骨格のヘッドバイザーが跳ね上がり、ロックが解除された。
隠していた僕の「素顔」が、冷たい海風にさらされる。
「……漸く、顔が見られたな。帯刀覚悟」
リナリアは、床に這いつくばる僕をじっと見つめていた。
その瞳には、侮蔑でも慈悲でもなく、ただ「未知のサンプル」を観察するような好奇心が宿っている。
「勇戦、見事であった。右腕、および左脚を破壊した。……もはや移動すら困難であろう。帯刀覚悟、戦闘不能を認めるか?」
視界が涙でぐしゃぐしゃだ。
鼻水が口に入り、唾液が顎を伝う。
カッコ悪い。死ぬほどカッコ悪い。
TVアニメの主人公なら、ここで隠された力が覚醒するんだろうけど、僕にあるのは他人が植え付けた機械と、痛みで震えるひ弱な心だけだ。
(……やめ、だ。もう、無理だよ……)
敗北を認める。
喉まで、その言葉が出かかっていた。
認めれば、この痛みから解放される。
認めれば、これ以上惨めな姿を全世界に晒さなくて済む。
唇が「降参」の形に動きかけた、その時。
脳裏に、大事なモノがフラッシュバックした。
泥のような食事を泣きながら作っていた母。
自分の不甲斐なさに拳を握りしめていた父。
そして、努めて明るく振る舞いながら僕の背中を押し続けてくれた、姉の凛。
(――僕が負けたら。……みんな、奴隷になるの?)
暗黒の未来。自由も、尊厳も奪われ、管理される世界。
嫌だ。
絶対ダメだ。
僕は、震える奥歯を無理やり噛み合わせた。
「……っ……ふ、ざける……な……」
僕は左手のナイフを握り直し、足元に立つリナリアの脛に向けて、死に物狂いで切りつけた。
鈍い音が響く。
切っ先が彼女のドレスに届く前に、僕の左腕もまた、不可視の力で根元から叩き折られた。
勢いが止まらず、僕はリナリアの脇をすり抜けるようにして、再び無様に光のフィールドを転がった。
「無駄だと言っているだろう。お前は私に勝てんよ」
リナリアの声に、わずかな苛立ちが混じる。
両腕、左脚。まともに機能しているのは右脚だけだ。
痛みで意識が遠のき、世界がチカチカと明滅する。
「……まだ……だ……っ!!」
僕は折れた腕と首を支点にして、無理やり身体を逆さまに跳ね上げた。
倒立前転の要領で、残った右脚をバネのようにしならせ、リナリアの頭上から踵落としを敢行する。
オタクの知識を総動員した、捨て身の奇襲。
だが、リナリアは冷酷に左手を握りしめる。
最後の一本――僕の右脚も、無残な音を立てて折れた。
「あああああああああああああああああッ!!」
四肢をすべて破壊され、僕は芋虫のように床にのたうち回った。
痛み、恐怖、混乱、そして過剰投与された『ベルセルク・カクテル』の副作用。
あらゆる感覚が混濁し、僕は仰向けになって、曇り始めた空を見上げた。
視界の端に、空を背負って立つリナリアが映る。
逆光の中で銀髪をなびかせる彼女は、あまりにも神々しく、そして美しかった。
「……綺麗、だ……」
掠れた声で、本音が漏れた。
こんな目に遭わされているのに、死ぬほど怖いはずなのに、やっぱり彼女はこの世界の誰よりも美しかった。
リナリアは一瞬、何かに打たれたように目を見開いた。
だが、すぐに表情を引き締め、再び僕を見下ろす。
「……さて、帯刀覚悟。四肢すべてが損耗した。もはや、指一本動かせまい? 戦闘不能を認めよ。これ以上は、無意味だ」
僕は、はっとして現実に戻った。
首だけを動かし、首を横に振る。
涙と鼻水と涎にまみれた顔で、僕は地面を這いずり始めた。
腕は動かない。脚も動かない。
それでも、芋虫のように身体を波打たせ、顎を光の床に擦り付けながら、数センチずつ彼女の方へ向かう。
「……まだ……負けて、ない……」
「…………。そうか。後悔するなよ、帯刀覚悟」
リナリアの指先から、一本の細い光の線が伸びた。
それは蛇のように空を泳ぎ、僕の額へと吸い込まれる。
「お前は死なぬ。……死なぬが、神経系が耐えうる限界の『苦痛』を、これからその脳に直接流し込む。……降参するなら、早めにしろ」
瞬間。
光の線が、爆発的な輝きを放った。
「――――――――――――ッ!!」
声にならなかった。
脳を直接熱湯で煮られ、同時に何万ボルトもの電圧をかけられ続けているような衝撃。
身体が、僕の意志とは無関係に、まるでビチビチと跳ねる魚のようにフィールド上でバウンドする。
白目を剥き、意識が瞬時に暗転する。
だが、その次の瞬間に襲いくる新たな「痛み」によって、強制的に意識を呼び戻される。
痛みによる、気絶と覚醒の地獄のサイクル。
五感が消失し、苦痛一色に塗りつぶされる。
リナリアは、一旦痛みを止めた。
「降参しろ。帯刀覚悟。これ以上は、精神が崩壊するぞ」
僕は、床にべったりと顔をつけたまま、荒い息を吐いた。
涙と鼻水で、顔はぐしゃぐしゃだ。
喉は絶叫で枯れ果て、下半身は失禁で濡れている。
人類代表? 最終兵器? そんな尊厳は、どこにも残っていない。
それでも。
「……い、や……だ……。僕は……負けて、ない……」
掠れた、今にも消えそうな声。
でも、頭の中の家族の顔は消えてない。
リナリアは、深く嘆息した。
「……強情だな。ならば、続けよう」
※
夕闇が、東京湾を包み始めようとしていた。
戦闘開始から、五時間。
フィールドの中央で、僕はうつ伏せになり、小さく痙攣を繰り返していた。
意識は、もうほとんど残っていない。
周囲の音も、海風の感触も、すべてが遠かった。
リナリアは、僕のそばに膝をついた。
彼女の美しい指先が、僕の泥だらけの頬をかすめる。
「……帯刀覚悟。もうよい。降参しろ」
「……い……や……だ……」
それは、言葉というよりは、思いの残響のようだった。
そして。
その言葉を最後に、僕の意識は、ぷつりと途切れた。
静寂の中、リナリアはゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。
そして、全世界に向けて配信されているカメラを、真っ直ぐに見つめる。
「地球人代表の意識消失により、初日――第一回戦はゼノス星間帝国代表、リナリア・テトラ・ゼノスが勝利を宣言する!」
リナリアの声は、夕暮れの空に冷たく響き渡った。
だが、リナリアはそれだけで終わらせなかった。
地面に転がっている、残骸のような覚悟を見つめ、静かに手をかざす。
「……地球人代表の善戦に、敬意を表し。……今日受けた傷は、すべて癒やしてやろう」
リナリアが手を振ると、柔らかな光の粒子が覚悟の身体を包み込んだ。
折れ曲がった両腕と両脚が、奇跡みたいな速度で元の形へと戻っていく。
砕けた骨が繋がり、引きちぎれた筋肉が再生し、皮膚の擦過傷が消える。
やがて、光が収まった。
さっきまでの地獄が嘘だったかのように、覚悟の顔からは苦痛の色が消え、穏やかな呼吸を繰り返し、深い眠りについていた。
ただの疲れた中学生へと戻っていた。
「……よい戦いであった。明日の勇戦を期待するぞ、帯刀覚悟」
リナリアはそう呟くと、光の粒子となってその場から転移して消えた。
直後、覚悟の身体は市ヶ谷駐屯地の中庭へと転移させられた。
そこに、待機していた帯刀家の全員が駆け寄ってくる。
「覚悟! 覚悟、しっかりして!」
母の恵子は、傷一つなくなった覚悟の顔を、震える手で何度も撫でながら泣き崩れていた。
父の賢二と凛は、覚悟の手をきつく握ったまま、何も言わなかった。
ただ、その手だけが、覚悟がまだここにいることを確かめ続けていた。
深い眠りの中で、僕はただ一言だけ呟いた。
「……まだ、負けてない」
誰にも聞こえない声だった。
こうして、地球の命運を賭けた代表戦、その初日は幕を閉じた。
スコアは、一敗。
残り、六戦。
明日はどっちだ?




