接敵: 第三種接近遭遇
ラブコメ回収まで後8話
エレベーターが、低い振動音を立てて上昇していく。
地上へ向かって、加速を始めた。
僕は壁にもたれ、ゆっくり息を吐く。
胸の奥で、心臓がうるさいほど鳴っていた。
ハッチが開けば――そこにいるだろう。
圧倒的な美しさを持ち、絶望的な破壊をもたらす侵略者が。
僕は深呼吸を一つして、胸のデバイスに指を当てて、スイッチを押す。
次の瞬間、戦闘薬物ベルセルク•カクテルが血管を駆け抜けた。
痛みが遠のき、視界が研ぎ澄まされていく。
神経加速により、世界がゆっくりになる。
すべてがスローモーションに変わっていく。
……それでも、足は震えていた。
僕はその足を、無理やり一歩前に出す。
そして――僕は笑う。
「絶望の淵より来るがいい、銀河の皇女。
僕の“暗黒”が、貴様を飲み込んでやる」
血を吐くような虚勢を、世界に叩きつけた。
重厚な金属音を立てて、エレベーターの扉が開いた。
強化外骨格の微かな駆動音と、首筋の排熱ポートから漏れる「プシュッ」という冷媒の蒸気が、静まり返った空気の中に消えていく。
(……来る。ついに来る。ラスボス降臨イベントだ。
こっちはまだチュートリアルが終わったばかりの初期キャラ同然なんだよ……!)
覚悟は、恐怖で震えそうになる膝を必死に叱咤した。
黒い流線型の外骨格は、赤い単眼を光らせながら、覚悟は建物の外――春の陽光が降り注ぐ中庭へと踏み出した。
そこに、彼女はいた。
覚悟は一瞬、自分の「視神経インプラント」が故障したのかと思った。
あるいは、距離感を測るARディスプレイのバグか。
視界に映る侵略者の皇女――リナリア・テトラ・ゼノスは、思ったよりも小さかった。
(……え? 低っ!?)
そう。彼女は自分よりも背が低かったのだ。
無理もない。今まで彼女は、雲を突き抜けるような巨大な立体映像でしか、地球人の前に現れていなかった。
だが、現実にそこに立つ彼女は、自分と同じ十四歳の、どこにでもいそうな――いや、どこにもいないほどに美しい、一人の少女だった。
覚悟の思考がホワイトアウトする。
風に揺れ、星雲の様に煌く銀髪。
金色の同心円模様の瞳。純白の生体金属ドレスに包まれた、柔らかな曲線を描く肢体。
映像越しに見た時と、何一つ変わらない。
変わっていたのは――スケールと次元数だけだ。
(三次元……1/1スケール…ヤバい……。ポリゴン数とか造形とか、そんな次元じゃない。
この世にこんな存在が許されていいのか)
どストライクだった。
銀髪。
クール系。
エルフ耳。
美少女。
全てが、覚悟の性癖ど真ん中を、撃ち抜いていた。
オタクとしての審美眼が、生存本能を上回って悲鳴を上げる。
あまりの可愛さに、殺される恐怖すら一瞬だけ忘却の彼方に飛んでいった。
有り体に言えば。
帯刀覚悟は、リナリア•テトラ•ゼノスに一目惚れしていた。
「――はじめまして。帯刀覚悟」
鈴を転がすような、しかし空間を震わせるほど強く響く声だった。
リナリアは一歩前へ出た。
その動作だけで、周囲の空気が彼女を核として歪むような錯覚を覚える。
「余はリナリア・テトラ・ゼノス。
ゼノス星間帝国第六十四皇位継承者である。
……貴殿と、地球人の未来を賭けて戦うために参上した」
その美しさと、圧倒的な「強者」のオーラ。
覚悟の脳内では、用意していた「不遜なヒーロー」の台詞がすべて霧散した。
代わりに口をついて出たのは、長年の「陰キャオタク」としての素顔だった。
「は、は、はじめまして! 帯刀覚悟です! ……あ、今日は、よろしくお願いします!」
直角に近い、見事なお辞儀。
ついでに、敬語。
身に纏った強化装甲外骨格が、台無しだった。
人類の命運を背負った最終兵器にあるまじき、あまりにも礼儀正しい中学生の挨拶だった。
(……あ、死にたい! 今すぐ自分の発言をデリートしたい! なんで『よろしくお願いします』なんだよ! これから殺し合いをするんだぞ僕!?)
内心で頭を抱える覚悟に対し、リナリアは意外そうにその長い耳をわずかに動かした。
「……ふふっ。ご丁寧に痛み入る。好戦的な民族と思っていたが、代表者にはそれなりの礼節があるようだな」
彼女がわずかに微笑む。その瞬間、世界に花が咲いたような錯覚に陥った。
「早速だが、ここでは少々手狭ゆえな。……場所を移させていただこう。東京湾の、我がフィールドへ」
「え、あ――」
覚悟が瞬きをした、その一瞬だった。
網膜に直結されたセンサーが警告を発する暇もなかった。
平衡感覚が消失し、次の瞬間、足の裏に伝わったのはコンクリートの硬さではなく、冷たい海風を伴った「硬い光」の感触だった。
「…………へ?」
覚悟は固まった。
そこは、東京湾の海面上だった。
ゼノス帝国の技術によって設置された「光のフィールド」。海面に浮かぶ巨大な青い幾何学模様の円盤が、あたかも堅牢な大地のように彼らを支えている。
遠くにはお台場の観覧車や高層ビル群が見えるが、そこはもはや別世界だった。
「さて。遅ればせながら、代表戦のルールを説明しよう」
リナリアは優雅な所作で指先を動かした。虚空に光の文字が浮かび上がる。
それは、地球の主要な言語全てで書かれていた。
「代表戦は、全部で七回戦。先に四勝を挙げた側が最終的な勝利者となる。……余が勝てば地球は資源となり、貴殿が勝てば我が軍は撤退しよう」
彼女の声には、何の緊張も気負いもなかった。
「一回の戦いは五時間。勝敗は、片方が戦闘不能となった時点で確定する。……ただし、『降参』を宣言した時点で、即座に代表戦全体の敗北が決定する。
また、戦闘中の死亡はやむを得ないが、故意の殺害は禁止されている」
最後の一言が、覚悟の心臓を冷たく撫でた。
「何か、質問は?」
「……ありません」
覚悟は低く答えた。
胸部の『ベルセルク・カクテル』が、彼の恐怖を検知して自動的に薬剤投与を始める。
戦闘薬が血管を駆け巡り、心拍数が跳ね上がる。
感情が冷却され、視界が極限までクリアになっていく。
「よかろう。では――始めよう、帯刀覚悟。
見せてもらおうか、地球人の最終兵器の性能とやらを」
リナリアが、凄まじい笑みを浮かべた。
それは慈悲深い皇女の顔ではなく、捕食者が獲物を見つけた時の、純粋で残酷な歓喜の顔だった。
(……来るッ!)
覚悟は神経加速インプラントを全開にした。
世界がスローモーションに沈む。
背中のラックから、巨大なレールキャノンを引き抜こうとした、しかし。
リナリアは一歩も動かなかった。
ただ、覚悟に向けて優雅に左手をかざし、そして――。
その白い指を、ゆっくりと握りしめた。
「が、あ…………っ!?」
何が起きたのか、理解できなかった。
衝撃波も、光線も、何も見えなかった。
ただ、覚悟の右腕の周囲にある「空間」そのものが、巨大な万力で締め上げられたかのように歪んだ。
一瞬の軋みの後、鈍く硬質な破砕音が響き渡る。
強化装甲外骨格に包まれ、人工筋肉とネオキチン合金骨格により強化された、覚悟の右腕が、まるで乾燥した小枝のように、無残な音を立てて逆方向に折れ曲がった。
「あ…………ああああああああああああああああああッ!!」
絶叫。
ベルセルク・カクテルの鎮痛効果すら追いつかない、痛みが脳を焼く。
折れた骨の破片が人工筋肉を突き破り、真っ赤な血液が、噴水の様に傷口から噴き出した。
リナリアは、折れ曲がった腕を抱えてのたうつ覚悟を、冷めた目で見つめていた。
まるで、壊れた玩具の動作を確認するかのような、無機質な好奇心を瞳に宿して。
「……どうした、帯刀覚悟、地球の『最終兵器』。もう、終わりか?」
激痛に霞む視界の中で、覚悟は見た。
こちらへ歩み寄る銀髪の死神が、次にその手を左脚へとかざすのを。




