修行:覚悟完了
ラブコメ回収まで後9話
一ヶ月後。代表戦まで、四ヶ月足らず。
僕は、市ヶ谷駐屯地の地下にある巨大な訓練エリアに立っていた。
天井は高く、コンクリートの壁がどこまでも続いている。
そこはまるで、地下要塞みたいな場所だった。
ここで始まるのが――ブートキャンプ。
人類代表を作るための、地獄の訓練だ。
教官は、自衛隊の特殊作戦群から集められた猛者ばかり。
全員が鋭い目つきをしていて、ただ立っているだけでも威圧感がある。
そんな場所に放り込まれたのが。
ヒョロガリのオタク中学生――僕だった。
まず叩き込まれたのは、起床だった。
毎朝、午前五時。アラームが鳴った瞬間、布団を跳ね飛ばして立ち上がる。
起きたら即座にベッドを整える。
終わったら、コップ一杯の水を一気に飲むみ、二分以内に着替えを済ませ、訓練エリアに集合だ。
一秒たりとも、遅れは許されない。
地下施設の朝は冷たい。
だが、僕の体はすでに別の理由で熱を持っていた。
昨日の訓練のダメージが、人工筋肉にまだ残っている。人工筋肉と骨が、負荷と共に強化されていく。けれど、それは痛みとセットだった。
全身の筋肉が、ずっと焼けているみたいに痛い。
まるで体の中に、熱したワイヤーを通されている感じだった。
「三十秒、全力!」
教官の号令と同時に、僕は走る。
腕を振る。足を出す。
それだけのことが、今の僕には限界だった。
十秒で息が上がる。二十秒で視界が白くなる。
三十秒で、膝が笑い始める。
「歩け!」
一分間、歩く。
足を止めると、膝が笑う。
歩きながら、呼吸を整えようとする。でも、整わない。
心臓が、肋骨の内側を殴り続けている。
「全力!」
教官の号令と同時に、僕は走る。
息が上がり、動悸が走る。
胸が焼け、視界が白くなる。
全身が、内部から破裂しそうに痛む。
僕は歯を食いしばって走る。
肺が焼けるみたいに痛い。
僕は、心の中で叫ぶ。
(舐めるなよ。僕はな――めちゃくちゃ弱いんだ)
呼吸が乱れる。視界も揺れている。
自分で言っておいて、ちょっと笑いそうになる。
(ほんと弱いぞ。びっくりするくらい弱い。だけども弱い奴はな――簡単には止まらないんだよ)
止めたら、本当に終わる気がした。
だから、鬼殺隊に入れるくらい頑張ったんだ。
※
「覚悟、ご飯だよ。…あ、これ、軍が指定したやつね」
母さん——恵子が、そっと椅子を引いて僕の隣に座った。
震える手で、スプーンを持ち上げる。
器の中にあるのは、灰色の流動食だった。
見た目は、正直、泥みたいだ。
「はい、あーん」
手がプルプルして動かせない僕は、口を開ける。
スプーンが口の中に入った。
味は……。
うん、まあ、その、うん。
「どう?」
母が、不安そうに僕の顔を覗き込む。
「……美味しくはないかな」
僕は正直に、でも、笑いながら言った。
母は、少しだけ肩を落とす。
それから、申し訳なさそうに言った。
「だよねぇ、ごめんね……」
母さんは、スプーンを握ったまま俯いた。
声が、少し震えている。
「お母さん、本当は……覚悟の大好きなハンバーグ、作りたかったのに」
「うん」
「でも、栄養管理がどうとかで……これしか食べさせちゃいけないって」
母さんは、顔を背けて、小さく鼻をすすった。
キッチンを見ると、フライパンが出ている。
きっと途中まで、作ろうとしたんだと思う。
「……ねえ、母さん」
僕は、もう一口貰う。
やっぱり、泥みたいな味だった。
でも、僕は笑う。
「これ、意外とイケるよ」
「ほんと?」
母が、ぱっと顔を上げた。
「うん。なんか、宇宙食っぽい」
「宇宙食?」
「未来の戦士のご飯、って感じ。長靴いっぱい食べたいよ」
僕はわざと大げさに笑う。
母さんは、しばらく僕の顔を見つめていた。
それから、くすっと笑う。
「……覚悟は、ほんと変わらないね」
「そう?」
「小さい頃から、『長靴いっぱい食べたいよ』って楽しそうに食べるんだもん」
「名言だからね」
母さんは、もう一度スプーンをすくった。
今度は、少しだけ手の震えが減っている。
「はい、もう一口」
「了解、母上」
僕は、また口を開ける。
うん、まあ。
でも、これはこれで悪くない。
だって、母さんが作ってくれたご飯だからだ。
※
衝撃は遅れてやってきた。
気づけば僕はマットに転がっていた。
鳩尾を鋭く突かれ、肺の中の空気が一滴残らず絞り出される。「カハッ」という情けない音が喉から漏れる。
代表戦まで二ヶ月足らず、僕は格闘訓練の教官に、ボコられていた。
「立て。地球人代表だろう」
「殴ったね⁉︎親父にも殴られた事ないのに!」
「…余裕ありそうだな」
…しまった。
完璧なシチュエーションにドヤ顔しちゃた。
立ち上がろうとする僕の顔面に、教官の掌底が飛ぶ。鼻の奥で鉄の味が広がる。
「二度もぶった!」
教官がキレた。
右、左、そして腹部への膝蹴り。
鈍い音が自分の体の芯に響く。
ガードを上げればボディを打たれ、ボディを庇えば側頭部を刈られる。
ベルセルク•カクテルのおかげで、恐怖は無いし、神経加速のおかげで、何とか防御はできてきた。
それでもダメージは溜まり、膝がガクガク震え、体を支えられない。
そのまま、僕は床に座り込んだ。
「……何をやっている!立て!」
雷のような怒声が落ちる。
教官が、僕の前に立っていた。
影が覆いかぶさる。
「お前は人類の代表だろうが!」
その言葉が、胸に突き刺さる。
息が苦しい。体はボロボロだ。正直泣きたい。もう辞めたい。
(……頑張れ、覚悟)
僕は心の中で、自分の名前を呼ぶ。
(頑張れ!)
歯を食いしばる。
(お前、人類代表だろ)
中三のオタクが、人類代表って。ちょっと泣きそうになる。
(ヒーローってさ…こういう所で踏ん張るんだろ)
頭が痛い。視界が揺れる。
それでも僕は自分に命令する。
(立て、帯刀覚悟)
(——頑張れ)
僕は立ち上がった。
ここで倒れたら、全部終わる。
家族も、地球も、全部だ。
だから僕は、震える脚でまた立つ。
そして、もう一度だけ前に進んだ。
※
夜になって、ようやく風呂に入れた。
訓練施設の簡素な浴室で、湯気が静かに立ちのぼっている。
僕は椅子に座り、背中を父さんに向けた。
湯に濡れた背中には、紫色のアザがいくつも浮かんでいる。その下を、手術の縫合跡が縦横に走っていた。
まるで、地図みたいに体中に刻まれている。
父さん——賢二は、しばらく何も言わなかった。ただ、タオルに石鹸をつけて、ゆっくり背中を流してくれる。
ごし、ごし、と泡が広がる。
傷に触れるたび、少しだけしみた。
父さんの手が、ふと止まる。
背中を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……逞しくなったな」
その声は、どこか誇らしそうで、同時に少し苦しそうでもあった。
「そう?」
僕は、肩をすくめる。
湯気で、天井がぼんやり霞んでいる。
「夜しか一緒にいられなくて、すまないな」
賢二が、ぽつりと言った。
タオルがまた背中を動き始め、泡が背中を流れていく。
僕は首を振る。
「仕事だもん。仕方ないよ」
父さんは、サラリーマンだ。会議やら何やらで、ずっと忙しい。
「それよりさ、外の様子、どう?」
僕は少し振り向いて、肩越しに父さんを見る。
父さんの手が、一瞬止まった。
「……ポイント•ネモに、核兵器が使用された」
僕は目を瞬かせる。
湯の流れる音だけが、しばらく響いた。
「結果は?」
「効果なしだ」
父さんは、短く答えた。
それ以上の説明はいらなかった。
「これで、人類側は……打つ手なしだよ」
浴室の空気が、急に冷えた気がした。
僕は、少しだけ笑う。
「まだ、僕がいるじゃん」
わざと軽く、なるべく、いつもの調子で言う。
父さんは、言葉を失った。
タオルを握ったまま、何も言えない。
「大丈夫。僕、最強だから」
僕は、左腕で力瘤を作る。
人工筋肉が、ぎしっと鳴り持ち上がる。
「日本の中学三年生の中ではね」
父さんが、ふっと吹き出した。
声を殺して、肩を震わせる。
「……そうか」
「そうそう」
少しだけ、空気が軽くなった。
僕は立ち上がり、湯をぱしゃっと払った。
「そろそろ上がろう」
父さんが、桶を片付けながら言う。
表情は、いつもの父親の顔に戻っていた。
「明日から軍事訓練も始まるんだろ」
「うん」
「この後、マッサージしてやる」
僕はちょっとだけ嬉しくなって振り向く。
「ありがとう。マッサージは父さんが一番だよ」
※
「――TAD-00《ガーディアンフレーム•ダブルオー》、装着許可」
格納庫の照明が落ち、赤い警告灯が回転する。
目の前に、漆黒の流線形の装甲外骨格動甲冑が、鎮座していた。
パワードスーツというよりは、人体の筋肉標本をそのまま金属化したような、不気味なほどしなやかな外骨格だ。
僕がヘルメットを被ると、神経インターフェースが僕の脳波を直接スキャンする。
『システム・オンライン。ユーザー認証:帯刀覚悟。同期率、九八パーセント』
(……何これ。体が、軽い……?)
電気活性ポリマー人工筋肉が、僕の脳信号に〇・〇〇二秒で反応する。
僕が指先を動かそうと思考した瞬間に、装甲が先回りして、その動きを十倍の速度で増幅する。
首の後ろの排熱ポートから、プシュッという乾いた音が鳴り、白い蒸気が噴き出した。
頭部の単眼センサーが赤く発火する。
視界には、戦場のあらゆる情報がARデータとして流れ込んでくる。
風向き、湿度、熱源、弾道予測。
「ターゲット、確認した」
僕はあえて、低くそれっぽい声を出し、ダッシュした。気分は、ガンダムマイスターだ。
数十キロの装備を抱えて、一〇〇メートル走六秒台。
景色が背後に跳ね飛ぶ。でも慣性ダンパーのおかげで、あまり衝撃がこない。
目の前に現れたのは、訓練用の旧式戦車だ。
僕は背中の巨大なリニアキャノン――電磁ライフルを片手で引き抜いた。
「墜ちろ」
引き金を引く。
凄まじい電磁加速音とともに、タングステン弾が音速を超えて放たれた。
直撃。
戦車の分厚い装甲が、まるで紙細工のように粉砕され、火柱が上がる。
さらに、近接戦闘を仕掛けてきた自衛隊の教官たち。
教官たちが一斉に踏み込んできた。
人間離れした速さだ。
けれど。
僕の目には、全部ゆっくりに見える。
腕が伸びてくる。足が踏み込まれる。
まるで、水の中で動いているみたいだった。
僕は体を少しだけずらす。
そして、最小限の動きで踏み込んだ。
「おれの拳の前では――」
拳を振り抜く。
「おまえの動きなど、とまって見えるわ!」
打撃音と共に、一トン近い衝撃が、教官の体を吹き飛ばした。
屈強な男達が、数メートル後ろに転がる。
(……ベルセルク・カクテルのせいで、変な人格になるな)
僕は少し引きつった笑いを浮かべる。
でも――。
(……勝てる。これなら……あの宇宙人にも)
脳内に溢れるエンドルフィンが、僕に全能感をもたらす。
だが、その絶頂は長くは続かなかった。
「……う、げほっ!」
デモンストレーションが終わった瞬間、僕はその場に崩れ落ち、盛大に嘔吐した。
ベルセルク・カクテルの効果が切れると同時に、倦怠感と引き裂かれるような筋肉の痛みが、戻ってくる。
頭が熱い。排熱ポートから蒸気が排出される。
一週間後。
僕はあの銀河の皇女と対峙する。
僕は、吐瀉物の横で嘯いた。
「ヒーローってさ……おとなしくカッコつけて諦める奴、いないんだよ」
喉の奥が焼けるけど、続ける。
「あがいて、あがいて、あがき倒す。
それでダメだったら――その時は、笑って終わりだ」
だから。
少しだけ笑ってみた。




