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母船:皇族用貴賓室

ラブコメ回収まで後6話

 ゼノス星間帝国の母艦。

 その中心部に位置する皇族専用区画に、ひときわ広い個室が設けられている。

 そこは皇族だけが使用を許された、特別な空間だった。


 室内には最高級の自然石が使われ、床には毛足の長い絨毯が広がっている。

 調度品はすべて、銀河最高の職人が手掛けた逸品ばかりだ。

 それらは決して華美に主張することなく、落ち着いた調和を保ち、静謐な時間がゆっくりと流れていた。


 部屋の空気には、微かなお香の香りが漂っている。

 壁面には宇宙空間が投影され、無数の星々が静かに瞬き、中央に地球が浮かんでいた。

 

 入浴を終えたばかりのリナリア・テトラ・ゼノスは、素肌の上に薄手のバスローブを羽織っただけの姿で、宙に浮くリクライニング・チェアに身を預けていた。

 

 湿り気を帯びた髪は、月光を透過させた真珠のように柔らかな光を放ち、その毛先からは異星の芳香油の香りが微かに立ち上っている。

 

 濡れた銀髪が絡みつく細い首筋から、バスローブの隙間から覗く鎖骨のラインは、精緻な彫刻のように鋭くも繊細で、風呂上がり特有の火照りを帯びた肌は、内側から発光しているかのような透明感があった。

 

 金色の同心円を持つ瞳は、今は戦闘時の鋭さを潜め、深い琥珀の泉のように穏やかな光を湛えている。

 

「――お寛ぎのところ、失礼いたします。殿下」

 

 背後から、低く落ち着いた声がした。

 

 リナリアは視線だけを動かす。そこに立っていたのは、副官のヘルガだった。

 

 三十代前半の彼女は、金髪碧眼の典型的なゼノス軍人であり、その長く尖った耳はピンと垂直に立っている。

 スレンダーな体躯を包む軍服は、一筋の皺もなく整えられており、有能な秘書としての冷徹な機能美を漂わせていた。

 

「ヘルガか。構わぬ。……地球人の様子はどうだ?」

 

 リナリアが問いかけると、ヘルガは短く「はっ」と答え、何もない空間に向けてしなやかな指を滑らせた。

 

 瞬間、部屋の空気が微かに振動し、複雑な光のグラフや幾何学的なデータがホログラムとなって展開された。

 それは地球全土のSNS、公的放送、さらには地下組織の通信に至るまでを傍受し、AIがリアルタイムで感情分析を行った結果だった。

 

「こちらが最新の心理指標です。地球人類の『絶望感』および『諦観』は二十四パーセント。依然として低水準を維持しています。

 対して、『抗戦の意思』は五十八パーセント。……これほど一方的な実力差を見せつけた後にしては、意外なほど強気です」


「……まだ、半分以上が牙を剥くか。未成熟文明の割には、なかなかの気概だな」

 

 リナリアは、バスローブの襟元を無造作に合わせながら、グラフを眺めた。

 

「まだ初日ですから。

 彼らにとって『代表戦』という概念は馴染みが薄く、どこか現実味を欠いているのでしょう。……ですが殿下、他に気になるデータがございます」


「ほう? 言ってみろ」


「地球人代表――帯刀覚悟への憎悪が異常な速度で上昇しています」

 

 その報告に、リナリアはわずかに眉を寄せた。

 

「……まぁ、負ければ全てを失う戦いの『生贄』にされたのだ。

 自らの不運を代表者に転嫁し、罵声を浴びせるのは、未成熟文明における典型的な防衛反応だろう」


「いいえ。……そのようなレベルではありません。帯刀覚悟へのヘイト指数は、地球全体の六十二パーセントに達しています」


「……何?」

 

 リナリアは初めて、リクライニング・チェアから身を乗り出した。

 バスローブの裾が乱れ、その白皙の太腿が露わになったが、彼女はそれを気にする様子もなかった。

 

「何故だ? 今日の帯刀覚悟の戦いに、恥じるところは無かったはずだ。

 奴は、私が与えた神経攻撃の苦痛に最後まで屈さなかった。

 戦士として、十分に評価に値する姿だったと思うが?」


「おっしゃる通りです、殿下。……ですが、地球人はそうは考えていないようです」


「ヘルガ。……そのヘイトの概要を示せ。私に理解できる形式でだ」


「承知いたしました。……これらは、地球の主な情報交換ツールから抽出された言語データの要約です」

 

 ヘルガが操作すると、ホログラムのグラフが切り替わった。そこには、地球人の「言葉」が並んでいた。

 

『情けない』『泣くなんてみっともない』『鼻水を垂らして人類の恥だ』『もっと英雄らしく戦えなかったのか』『あんなガキに俺たちの運命を預けたくない』『もっと強そうな奴に交代しろ』『見ていて不快だ』――。

 

 それらの言葉を流し読みしたリナリアの柳眉が、険しく逆立てられた。

 

「……なんだ、これは。根拠のない誹謗中傷、無理解、そして謂れのない差別ばかりではないか。

 彼らは、帯刀覚悟がどれほどの苦痛をその身体に受けていたのか、その万分の一も想像していないのか?」


 バスローブの下の肩が、微かな怒りに震える。


「そうですね、殿下。どうやら地球人の民度、あるいは共感能力というものは、我々の想定よりも遥かに幼いレベルにあるようです」


「ヘルガ。……私が帯刀覚悟に施した『神経直接干渉』。

 これに五時間耐え抜き、意識を保ち続けた対戦者は、我が帝国の征服史に如何程存在した?」


「過去のデータ照合の結果は十二パーセントです、殿下。

 残りの八十八パーセントは、三時間以内に屈服、あるいは精神崩壊に陥っています」


「そうであろう!?

 今日の帯刀覚悟は、紛れもなく勇者であった!

 その誇り高い姿を、当の地球人が石を投げて汚すというのか……? 到底、納得しかねるな」

 

 リナリアの瞳が、冷徹な黄金の光を増した。

 彼女の中にある「皇族としての矜持」が、この不当な評価を許さないと叫んでいた。

 

「同感です、殿下。

 あの者は、己の限界を遥かに超えて代表としての責務を果たしました。

 それがこのように蔑まれるのは……不合理極まりないと言わざるを得ません」

 

 リナリアはしばし沈黙した。

 指先で唇をなぞり、その瞳の奥で炎が揺れている。

 

 やがて、彼女の唇の端が、悪戯っぽい――それでいて極めて攻撃的な角度に吊り上がった。

 

「……よい。私に考えがある。ヘルガ、明日の戦い、少しばかり『工夫』を凝らしてやろうではないか」


「工夫、でございますか?」


「ああ。……地球人どもに、しかと分からせてやるのだ。

 彼らが『情けないガキ』と呼ぶ男が、どれほどの重圧の中で戦っているのか。

 そして、何のために戦っているのかをな」


 その言葉に、ヘルガの表情がわずかに変わる。

 何かに気づいたように、彼女はリナリアを見つめた。


「殿下……まさか。

 さすがに、あれは……」


 一瞬、言葉を飲み込む。

 リナリアは、静かにヘルガに視線を向ける。

 その瞳は揺れていない。


「……下がってよい、ヘルガ。今日はもう休め」


 ヘルガは、わずかに逡巡した。

 だが、すぐに背筋を伸ばす。

 臣下の身で主君に意見するのは、僭越だった。


「……御意のままに。殿下の御心が、最善の結果をもたらさんことを」


 ヘルガは静かに頭を下げ、踵を返した。

 軍靴の音を極力抑えながら、ヘルガは部屋を後にした。

 

 一人残されたリナリアは、投影された画面の向こう、地球上で小さく輝く夜景に視線を落とした。

 あの光の粒の一つ一つの下に、自分を呪い、罵る無数の声があるとも知らずに、あの少年は今も悪夢にうなされているのかもしれない。

 

「……帯刀覚悟。貴様の心意気、この私が責任を持って地球人に刻み込んでやろう」

 

 そう呟いた瞬間。

 リナリアの脳裏に、昼間の情景がフラッシュバックした。

 

 ――『綺麗だ……』。

 

 四肢を砕かれ、激痛にのたうち回り、意識が消失する直前の、あの少年の言葉。

 打算も、偽りも、恐怖さえも超越した、純粋な驚嘆の色を湛えたあの瞳。

 

「…………っ!」

 

 リナリアは突如として、自分の頬が異常に熱を帯びるのを感じた。

 

 入浴のせいではない。

 バスローブから露出した肌を撫でる微風は、確かに涼しいはずなのに。

 

 心臓の鼓動が、今まで経験したことのない不規則なリズムを刻み、喉の奥が微かに締め付けられる。

 

(何だ……? この不快な……いや、奇妙な感覚は。……病か? それとも、未知の精神干渉波を浴びたのか?)

 

 戸惑い、自分の胸に手を当て、自己診断プログラムを走せる。

 しかし、異常は見当たらない。

 

「…………ふん。考えすぎだな。……明日に備えて、もう休むとしよう」

 

 彼女は自分に言い聞かせるように、強く頭を振って思考を遮断し、明日の戦いに思いを馳せる。


 明日の戦いで、あいつの「輝き」を衆目に晒してやろう。


 リクライニング・チェアから立ち上がり、ベッドへと向かう彼女の足取りは、いつになく軽やかだった。

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