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震撼:地球人

ラブコメ回収まで後5話

 深い闇の底から浮上するように、意識が覚醒した。

 僕が最初に感じたのは、驚くほどの「軽さ」だった。

 

 この半年間、人体改造の副作用として僕の全身を苛み続けていた、あの焼けるような筋肉痛と骨の軋みが、嘘のように消え失せている。

 

(……なんだこれ。身体が、羽みたいだ。

 死んだのか、僕? 天国って、意外とベッドの寝心地いいんだな……)

 

 ぼんやりとした頭でそんなことを考えながら、右手を動かそうとした。

 

 だが、動かない。何かに、柔らかく、しかし強く押さえられている。

 

 視線を落とすと、そこには覚悟の右手を両手で包み込むように握りしめ、ベッドの縁に突っ伏して眠る母、恵子の姿があった。

 左手も同じだ。姉の凛が、よだれを垂らしながら、覚悟の腕を抱きかかえて眠っている。

 

 視線をさらに巡らせると、ベッド脇に置かれた無機質なパイプ椅子に、無理な体勢で腰掛けてうたた寝をしている父、憲二の姿が目に入った。

 

 覚悟がわずかに身じろぎした気配を感じたのか、父の瞼が跳ね上がるように開いた。

 

 目が合う。一秒。二秒。

 

「――っ! 覚悟! 覚悟、目が覚めたか!?」

 

 父が叫び、パイプ椅子が派手な音を立てて床に転がった。

 

 その衝撃で、恵子と凛も弾かれたように顔を上げた。

 

「覚悟……! ああ、よかった……本当によかった……っ!」

 

 母さんが、堰を切ったように号泣しながら僕の胸に飛び込んできた。

 

「カッくん……! バカ、バカぁ! 心配させすぎなんだよぉ!」

 

 姉ちゃんもまた、わんわんと子供のように泣きじゃくり、母さんと一緒に僕に抱きついた。

 

(あ、重い。幸せだけど、普通に物理的に重い……。でも、生きてるんだ。

 僕、生きて帰ってこれたんだ)

 

 家族の体温と、涙の湿り気。それだけが、昨日の地獄が現実だったことを僕に教えていた。


 


 

「そっか。……僕は昨日、負けたんだね」

 

 一通りの再会を終えた後、僕はテーブルに並んだ高タンパク・高カロリーの「戦闘前特別食」を口に運びながら、呟いた。

 

 駐屯地内の居住区。

 家族に囲まれたこの空間だけは、外の世界で起きている侵略事態が嘘のように静かだ。

 

「カッくん、頑張ってたよ! あんなにボロボロになって……。負けたなんて、誰も言わせないから!」

 

 姉ちゃんが、鼻を真っ赤にしながらも、努めて明るく言い放った。

 

「そうだぞ、覚悟。相手は世界連合軍も三十分持たずに全滅させられた相手なんだ。……お前が勝てなくたって、それは仕方のないことなんだ」

 

 父さんが、自分自身に言い聞かせるような低い声で言った。

 

 正直、昨日の記憶は断片的だ。神経干渉が始まったあたりから、意識が白熱灯のように明滅して、最後の方はどうなっていたのかよく覚えていない。

 

「降参は……しなかったんだね、僕。

 よかった。最低限の仕事はできたのかな」

「覚悟……そんなこと言わないで」

 

 母さんが、潤んだ瞳で僕を見つめ、震える手で僕の頬に触れた。

 

「お前は昨日、本当にひどい有様だったのよ。全身の骨を折られて……あんな姿、もう見たくない。お願いだから、無茶はしないで。お母さん、もう……」


「母さん、心配かけてごめん。でも、僕は地球人代表だからね。……たとえ勝てなくても、多少の無理はしなきゃいけないんだよ。

 そうじゃないと、地球人の面目が立たない」

 

 自分でも驚くほど、冷めた声が出た。

 

 厨二病のヒーローごっこじゃない。

 悲しいけどこれは、戦争なのだ。

 

「覚悟……っ」

 

 母さんが俯き、口元を押さえて肩を震わせる。

 父さんがその背中をさすりながら、僕を真っ直ぐに見つめた。

 

「覚悟。……お前一人に、すべてを背負わせて済まない。どんな結果になっても、お前は私の誇りだ。……必ず、戻ってきてくれ」

「私も、カッくんのお姉ちゃんでよかったよ。自慢の弟なんだから。……いい、あんたがいないと私の『キモオタいじり』の相手がいなくなるんだから。ちゃんと帰ってきなさいよ」

 

 姉ちゃんが強がって笑う。

 

 その瞬間、部屋全体を揺らすような、けたたましい警報音が鳴り響いた。

 

『――未確認飛行物体、接近中。

 市ヶ谷駐屯地上空到達まで、六百秒。帯刀覚悟は至急、第一エレベーターに』

 

 僕はゆっくりと立ち上がった。

 家族一人一人の顔を目に焼き付ける。

 

「行ってきます」

(…なんか、フラグが立ちそうで、何にも言えなかった)


 


 

 東京湾の海上に展開された、ゼノス星間帝国の「光のフィールド」。

 

 転移の閃光が収まると、そこには昨日と変わらぬ、圧倒的な威厳を纏った皇女が佇んでいた。

 

 リナリア・テトラ・ゼノス。

 

 海風にコズミック・プラチナシルバーの銀髪をなびかせ、彼女は静かに僕を待っていた。

 

「すいません、お待たせして」

「構わんよ。貴殿は定刻通りに現れた」

 

 リナリアが答える。

 

(ヤバい……。今日も今日とて、銀河系最上級の可愛さだ……。

 ていうか、至近距離で見ると何でキラキラ光ってるんだろ。昨日、殺されかけたのに、心臓が別の理由でバクバク言ってる……)

 

 僕は、震える勇気を振り絞って声をかけた。

 

「あ、あの! リナリアさん!」

 

 彼女が片眉を上げ、不思議そうに僕を見つめる。

 

「……昨日は、僕の身体を治してくれて、ありがとうございました。

 おかげで、今日はすごく身体が軽いです。……助かりました」

 

 リナリアは一瞬、意外そうに目を丸くした。だが、すぐに元の姫殿下表情に戻る。

 

「なんだ、そのような事か。貴殿は昨日の戦いにおいて、勇敢であった。

 我が帝国は勇者に対し、相応の礼を尽くす。当然の処置だ。気にする必要はない」

「それでも、嬉しかったです。……今日も、よろしくお願いします」

 

 僕が頭を下げると、彼女の長い耳がぴくりと動いた。

 

「……うむ。それでは、始めるとしようか」

 

 リナリアは一歩下がり、その瞳に鋭光を宿した。

 

「帯刀覚悟! 昨日の勇戦、実に見事であった!

 貴殿が肉体の痛みに屈しない強靭な意志を持つこと、我々は十分に理解した。……ゆえに、今日は貴殿の『心』を折らせてもらう」

 

 彼女が右手の指先を、僕の額に向ける。

 

「ゼノス星間帝国が誇る精神浸食攻撃――受けてみるがいい!」

「なっ――」

 

 躱そうとした瞬間、彼女の指先から漆黒の光線が放たれた。

 それは光速で、僕の眉間に吸い込まれる。

 

「う、あ……あ、あああぁぁぁぁッ!!」

 

 雷打たれたような衝撃が、全身を打った。

 意識が急速に混濁し、立っていることすら困難になる。

 

「帯刀覚悟。……そこから抜け出したければ、心から『降参』と念じればよい。そうすれば、地獄は終わる」

 

 冷徹な宣告の直後。


 リナリアが、ふわりと僕の前に歩み寄る。


 その黄金の瞳が、ほんの一瞬だけ僕を見つめた。

 まるで何かを確かめるように、ほんの僅かに視線が揺れる。


 だが次の瞬間、皇女の表情はいつもの威厳に戻っていた。


 彼女は静かに身を屈め、誰にも聞こえないほどの声を、僕の耳元に落とす。


「だが……期待しているぞ」


 一瞬だけ見えた彼女の顔。


 それは、女神のように整った皇女の微笑みではなかった。

 クラスメイトの女の子が、いたずらっぽく笑うような――信じられないほど優しい表情だった。


(……え? 今……なんて……?)


 その顔に見惚れた瞬間、僕の意識は真っ逆さまに、終わりのない絶望の深淵へと叩き落とされた。




 

 リナリアは、膝をつき、空ろな目で硬直した覚悟を、一瞬だけ心配そうに見つめた。

 

 だが、すぐにその感情を押し殺し、全世界に向けて中継されているカメラへと向き直る。

 

「地球人に告げる。――今、汝らの代表者、帯刀覚悟に、我が帝国最強の精神攻撃を仕掛けている」

 

 彼女の声は、地球上のあらゆる通信端末から直接鳴り響いた。

 

「余は、汝らの代表がどれほどの地獄に立ち向かっているか、汝ら自身が知る必要があると考える」

 

 リナリアが手を振る。

 

 瞬間、全世界の人間たちの目の前に、不気味な十センチ四方の小さな『黒い窓』が現れた。

 

「我こそが勇者であると思うならば、その窓に触れよ。

 そこには、帯刀覚悟が今まさに味わっている絶望と同じものが投影されている。

 その地獄を共有してみるがいい。……そして、その絶望に耐えかねたならば、我が帝国に降伏を乞え」

 

 彼女の瞳が、冷たく黄金に輝く。

 

「ただし! かなりの危険が伴う故、窓に触れるのは止めるよう、予め忠告しておく。

 余の忠告を無視し、絶望に折れ心が砕けたとしても、それは己自身の責である。……窓に触れるも触れぬも自由だ。

 だが、自ら戦わず、他者を貶めるだけの者に、帯刀覚悟を笑う資格はない。

 心しておけ、地球人」



 


 ネットは騒然となった。

 

『真なる勇者の俺様が、挑んでやろう』

『舐めるなよ、宇宙人め!』

『はーい皆さん、今から触りますねー、ポチッとな』

 

 その日、七億人がその『黒い窓』に触れた。

 そして―― 彼等の絶叫に、地球全土が震撼した。

 

 それは、触れた全ての者に、異なった地獄を見せた。

 しかし、それが与えたモノは、全て等しく『絶望』だった。

 

 大切なモノを壊され、喪った。

 自分の醜さと、弱さを知った。

 希望を無くし、夢を失った。

 

 その日、四千三百万人がPTSDを発症し、絶望に耐えかねた六万人が、二十四時間以内に自ら命を絶つ道を選んだ。

 




 そこは、すべてが黒く塗り潰された世界だった。


 僕が大切にしていたモノが、灰になって崩れていく。

 僕が正しいと信じていたことが、すべて嘘だったと突きつけられる。

 無数の声が、闇の奥から囁いた。


『お前が弱いからだ』

『お前が負けたからだ』

『地球代表? 笑わせるな』


(……違う……僕は……)


 否定しようとして、言葉が出なかった。

 昨日、何度も地面に叩きつけられた自分の姿を思い出す。


 骨が折れ、血を吐き、何も出来ずに倒れていた。

 あれが――地球代表。


(……僕なんかが、代表?)


 胸の奥が、ゆっくりと冷えていく。


 世界には、何十億もの人間がいる。

 強い兵士も、賢い科学者も、勇敢な大人もいる。


 それなのに。


 どうして、僕が。

 ただの中学生のオタクなのに。


(……なんで、僕なんだよ)


 父が、母が、姉が、黒く塗り潰される。

 街が崩れ、空が割れ、地球そのものが闇に沈んでいく。


(……ああ、そうか)


 全部、僕のせいだ。

 僕が弱いから。

 僕が勝てないから。

 世界が終わってしまうんだ。


(……もう、いい)


 胸の奥から、力が抜けていく。

 こんな重たいもの、もう背負えない。


 降参すればいい。


 怖いのも。

 痛いのも。

 苦しいのも。

 そうすれば、全部終わる。


(……逃げたい)


 闇の底に沈みながら、僕は目を閉じた。


 …その時だった。


『――期待しているぞ』


 暗闇を裂くように、声が走った。

 あの時の光景が、稲妻みたいに脳裏に閃く。

 海風に揺れる銀色の髪。

 女神様みたいな顔。


 そして――


 あの、いたずらっぽい笑顔。


(……あの子が……)


 僕に、言ったんだ。

 期待しているって。


 銀河のお姫様が。

 最強の敵が。

 あんなに綺麗な女の子が、僕という個を、僕の「魂」を見ている。


(……格好、つけたいよ……)


 胸の奥で、何かが小さく燃えた。


(好きな子の前で……)


 これ以上、情けない姿は、もう見せたくない。


(……ダサい真似……できるかよ……ッ!)


 闇の底で、僕は拳を握った。


 中学生オタク男子のリビドーが、星間帝国最強の精神攻撃に、牙を剥いた瞬間だった。


 


 

 五時間が経過した。

 タイムアップ間際に、リナリアの指先から伸びていた黒い線が消失した。

 

「……あ、が…………はっ、はぁ、はぁ、はぁっ……!」

 

 膝から崩れ落ち、覚悟は頭を抱えこみながら嗚咽した。

 覚悟の目は焦点を結ばず、ただの抜け殻のようになっていた。

 

 リナリアは静かに歩み寄り、彼を見下ろした。

 

「降伏するか? 帯刀覚悟。貴殿の精神は、すでに限界を超えて摩耗している筈だ。これ以上は、戦う事もあるまい」

 

 覚悟は、ゆっくりと顔を上げた。

 ハイライトの消えた、虚ろな瞳。

 だが、彼はその瞳でリナリアを捉えると、半ば意識を混濁させたまま、小さく唇を動かした。

 

「……りな、りあ……?」

 

 それは、戦う相手を呼ぶ声ではなかった。

 まるで、深い霧の中で迷子になった子供が、ようやく見つけた光に安堵するような。

 

 脆く、儚く、そして何よりも無防備な微笑みが、泥だらけの顔に浮かんだ。

 

「――っ!?」

 

 リナリアは、雷に打たれたように硬直した。

 心臓が、自分でも信じられないような不規則な高鳴りを奏でる。

 なぜ、この少年は敵である自分に、このような眼差しを向けるのか。

 

 彼女は思わず、半歩後ろに下がった。

 瞬間、リナリアの重力制御が乱れ、海面に大きな水柱が上がった。

 

「……っ、再び問う! 降伏か、否か!」

 

 動揺を隠すように、声を荒らげる。

 

 覚悟は、その声にわずかに正気を取り戻したのか、震える声で答えた。

 フィールド内に、水柱で跳ね上げられた水が、小雨の様に降り注ぐ。

 

「……降伏は……しません。……まだ……終わってない……から……」

 

 その言葉を最後に、覚悟の身体から力が抜け、彼は糸の切れた人形のように、リナリアの足元へと倒れ込んだ。

 

「……!」

 

 リナリアは、思わず覚悟を抱き止めようと手を伸ばした。

 だが、その指が彼の肩に触れる直前で、彼女は辛うじて自制した。

 

 彼女は拳をきつく握りしめ、大きく深呼吸をして、再び全世界のカメラへと向き直った。

 

 その横顔は冷徹そのものだったが、握りしめた拳は、微かに震えていた。

 

「代表戦二回戦! 地球代表、帯刀覚悟の戦闘不能を確認した!

 よって、勝者はゼノス星間帝国代表、リナリア・テトラ・ゼノスである!」

 

 その宣言が響く中、地球全土は静まり返っていた。

 誰も、覚悟を「情けない」と笑う者はいなかった。

 

 地球人は知ってしまった。

 

 少年が、ただ一人で何と戦っているのかを。


 スコアは、二敗。

 残り、五戦。

 

 絶望は深まり、そして同時に、地球人の心にはある「変化」が芽生え始めていた。


 地球人は、生き延びる事ができるか?

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