画策:銀河帝国皇女
ラブコメ回収まで後4話
ゼノス星間帝国の母艦。
その最深部に位置する皇族専用区画。
外の喧騒とは無縁の静寂に包まれた私室で、リナリア・テトラ・ゼノスは寛いでいた。
入浴を終えたばかりの彼女は、素肌の上に薄手のバスローブを無造作に羽織っただけの姿で、宙に浮くリクライニング・チェアに身を預けている。
濡れた銀髪からは微かに湯気が立ち上り、その毛先からは異星の果実を思わせる芳香が漂っていた。
「……ふむ。やはり、この果実水は格別だな」
リナリアは、透明度の高いクリスタルグラスを傾け、淡い琥珀色の液体を喉に滑らせた。
「失礼いたします、殿下。お呼びでしょうか」
背後から、低く落ち着いた声がした。
リナリアが視線だけを動かすと、そこには副官のヘルガが立っていた。
三十代前半の彼女は、金髪碧眼というゼノス軍人の典型でありながら、スレンダーで長身な体躯を機能的な軍服に包み、有能な秘書としての冷徹な美しさを漂わせている。
エルフのように長く尖った耳は、主君への敬意を示すように、ピンと垂直に立っていた。
「うむ。夜分に呼び立ててすまんな、ヘルガ。……地球人の様子はどうだ?」
リナリアの問いに、ヘルガは短く「はっ」と応じ、何もない空間に指先を滑らせた。
瞬間、部屋の空気が微かに振動し、複雑な幾何学的データと多色刷りのグラフがホログラムとなって展開される。
「最新の心理指標です。地球全土のあらゆる情報通信網からデータを抽出し、AIによる感情分析を行った結果ですが……地球人類の『絶望感』および『諦観』は七十八パーセントに達しました」
「ほう、大分上がったな」
「対して、『抗戦の意思』は十二パーセントまで低下しております。
……やはり、今日の二回戦。殿下が設置した『黒い窓』を通じて、我らの精神攻撃を直接味わった者たちの証言が、波及効果となって彼らの心を折ったようです」
リナリアは満足げに頷き、再びグラスを口にした。
「さも、ありなん。自らの身を安全な場所に置き、代表者を罵ることで均衡を保っていた愚か者どもだ。
その報いとしては、妥当なところだろう」
だが、リナリアはどこか落ち着かない様子で、グラスを持つ指を弄んだ。
彼女の金色の同心円を持つ瞳が、わずかに揺れる。
「……ヘルガ。もう一つ聞こう。
地球代表――帯刀覚悟への『ヘイト』はどうなった?」
その質問を待っていたと言わんばかりに、ヘルガはホログラムの一部を拡大した。
「帯刀覚悟へのヘイト指数ですが……こちらは急降下しております。
昨日の六十二パーセントに対し、現在はわずか四パーセントに過ぎません」
「――そうであろうな」
リナリアの唇の端が、隠しきれない歓喜によって吊り上がった。
それは高貴な皇女の微笑みというよりは、お気に入りの宝物を自慢する子供のような、所謂「ドヤ顔」であった。
「……殿下のご慧眼、恐れ入ります」
ヘルガは、主君のあまりに分かりやすい表情に苦笑を隠しながらも、言葉を続けた。
「正直に申し上げまして、地球人代表・帯刀覚悟の粘りは、敵ながら見事と言うほかございませんでした。
我が帝国の悠久なる征服史において、あの精神直接浸食に耐え抜いた者は、帯刀覚悟を含めても、過去にわずか四名しか存在しません」
「そうだろう、そうだろう!
帯刀覚悟は、誠に天晴れであった! あやつは、私が期待した以上の戦士であったな!」
リナリアは身を乗り出した。
興奮のあまりバスローブの襟元がはだけ、その白皙の肌と豊かな胸元の曲線が露わになったが、本人は全く気が付いていない。
ヘルガは静かに視線を逸らしつつ、頷いた。
「おっしゃる通りです。……しかし、殿下。失礼ながら一つお伺いしてもよろしいでしょうか。
殿下は……戦いが始まる前から、帯刀覚悟があの地獄を耐え切るとお考えだったのでしょうか?」
「いや、まさかな」
リナリアは、少しだけ照れくさそうに視線を泳がせた。
「ただ……一縷の期待は持っておった。
あやつの、あの救いようのない『生真面目さ』にな」
「生真面目さ、でございますか?」
「ああ。初日、あやつは恐怖に震えながらも、一瞬たりとも諦めなんだ。
圧倒的な文明格差、絶望的な実力差を見せつけてやった後でさえ、あやつだけは『まだ終わっていない』と、その眼に光を宿していた」
リナリアは遠い目をして、今日の光景を思い出す。
小雨の中で微笑んだ、あの無防備な少年の顔。
気がつけば、指先がわずかに胸元へ触れている。
そこに理由などないはずなのに、なぜかその仕草が自然だった。
「直接、相対したからこそ分かる。
あやつは、折れることを知らないのではなく、折れてもなお、立ち上がる覚悟を持っているのだ」
そう言ってから、リナリアはふと視線を向けた。
わずかな気配の揺れを、彼女は見逃さない。
「……どうした、ヘルガ。何か言いたげだな?」
呼ばれたヘルガは、顎に手を当てて思案していた。主の言葉を吟味するように、しばし黙り込む。
やがて彼女は姿勢を正し、静かに口を開いた。
「……殿下、帯刀覚悟について、一つ申し上げてもよろしいでしょうか」
リナリアは頷いた。
ヘルガは一瞬だけ視線を伏せ、それから淡々と続ける。
「恐れながら申し上げます。殿下が“敵の名をこれほど口にされる”のは、珍しいことでございます」
その言葉に、リナリアの眉がわずかに動いた。
「……何が言いたい」
「いえ。ただ――殿下が、あの少年に興味をお持ちなのは、よく分かりました」
「興味ではない。評価だ」
リナリアは即座に言い返した。
だがその声は、いつもより僅かに早かった。
ヘルガはただ小さく頷き、静かに言葉を続けた。
「承知しております。ですが――」
その声は、どこか柔らかかった。
「過去に、我らの精神攻撃を耐え抜いた者が三名おります。
そしてその三名は、その後、例外なく我が帝国の柱石となりました」
「ほう?」
リナリアが片方の眉を上げ、ヘルガを見つめる。
興味を隠す様子はなかった。
「一人は大将軍として、全銀河にその名を轟かせました。
一人は皇帝親衛隊となり、生涯の忠誠を帝国へ捧げております」
ヘルガは一瞬だけ言葉を切る。
そして静かに続けた。
「……帯刀覚悟の、あの折れぬ心。
あれは他の三名と同様、帝国にとってかけがえのない“資産”になるかと愚考いたします」
その瞬間、リナリアの表情がぱっと明るくなった。
「我が意を得たりだ、ヘルガ!」
皇女の声には、隠しきれない高揚があった。
「まさに私も、それを考えておったのだ。
あのような逸材、単なる資源惑星の生贄として終わらせるには、あまりに惜しい!」
再び身を乗り出すリナリア。
もはやバスローブは肩から滑り落ち、危うい状態で留まっている。
「して、如何にする? あやつを帝国に迎え入れるための、何か良い策はあるか?」
ヘルガが静かに視線を逸らしつつ答える間も、リナリアは身を乗り出したまま、グラスを片手に持ち、もう片方の手で膝を叩きながら聞いている。
「はっ。私に一つ、策がございます。殿下、ご説明させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「よい! 許す、申してみよ!」
リナリアの身を乗り出した拍子に、グラスの中の果実水が少しだけ零れ、彼女の膝元を濡らした。
だが、若き皇女はそんな些細なことなど気にも留めず、副官が提示する「未来の計画」に、目を輝かせて聴き入るのだった。
※
主君の部屋を退出したヘルガは、官舎へと続く回廊を進んでいた。
彼女の足元には、光円形の磁気足場が自動的に展開され、巨大な艦内を垂直に、かつ滑らかに移動していく。
「……ふふっ」
ヘルガの唇から、ふと微かな笑みが漏れた。
冷徹な秘書官としての仮面を脱ぎ捨てた、どこか少女のような笑みだ。
「帯刀覚悟。まさか、このような辺境の星で、あのような拾い物に出会えるとは」
彼女は、先ほど挙げた「精神攻撃を耐え抜いた最後の一人の記録をデータベースから呼び出す。
——最後の一人。
その記録は、帝国で最も有名な恋愛劇のモチーフとして知られている。
敵国最強の暗殺者でありながら、その鋼の精神を認められ、紆余曲折を経て当時の皇帝の配偶者となった者。
ゼノス星間帝国の女の子なら、誰もが一度は夢中になる、千年前のロマンス。
(……懐かしいわね。私も、娘時代には胸を躍らせたものだわ)
ヘルガは、劇中のあまりに有名なクライマックスシーンを思い出す。
刃を向けた暗殺者が、皇帝の首筋に触れた瞬間の台詞だ。
『――私の首に触れる貴様は、暗殺者か、それとも求婚者か?』
この一言から、ゼノス星間帝国において「首筋に触れる」という行為は、プロポーズの作法の一つとして定着したのだ。
「そういえば、あの劇の配役……。暗殺者は年下の少年で、皇帝陛下は勝気な少女という設定だったかしら」
ヘルガは、先ほどまで自分の主君と熱っぽく語り合っていた「帯刀覚悟」という少年の姿を思い浮かべる。
そして、主君であるリナリアの、あの無自覚で熱烈な視線。
「……まさかね」
ヘルガは小さく肩をすくめ、愉快そうに笑った。
光の足場は彼女を乗せて、さらに深く、母艦の回廊を進んで行った。




