全力:白兵戦
ラブコメ回収まで後3話
僕が最初に感じたのは、「重み」だった。
胸から腹にかけて、ずっしりとした塊が乗っている。
まだ焦点の合わない視界を、どうにか下に向ける。
「……は、え?」
僕の腹に顔を埋め、しがみついて泣きじゃくる中年男性——父さんがお腹に乗っていた。
(……え、何? 何が起きてるの?
僕のお腹、父さんの涙と鼻水でべしょべしょなんだけど。これ、何の拷問?)
ベッド脇のパイプ椅子には、母さんと姉ちゃんが並んで眠っていた。
どうやら昨夜から、付き添ってくれていたらしい。
僕が少し動くと、父さんがハッと顔を上げた。
赤く腫れた目。
緩んだネクタイにヨレたシャツ、ボサボサの髪。
「覚悟……! ああ、覚悟!
目が覚めたか、本当によく頑張ったな、お前は……!」
次の瞬間、頬に顔をぐりぐり押し付けられた。
無精髭がジョリッと刺さる。
「あ、痛いっ、父さん! ヒゲ! ヒゲが痛いってば!」
「うわぁぁぁん、よかったぁぁ……!」
その声で、母さんと姉ちゃんが飛び起きた。
「覚悟! ああ、よかった……!」
「カッくん、カッくぅぅぅん!!」
母さんは号泣しながら手を握る。
姉ちゃんは子供みたいな声で泣きながら抱きついてきた。
母さんの体温と姉ちゃんの泣き声、そして父さんの鼻水。
カオスすぎる状況に、僕は天井を仰ぐことしかできなかった。
※
「――そっか。父さんも、あの精神攻撃を受けたんだね」
僕は市ヶ谷駐屯地の居住区で、家のテーブルに座っていた。
目の前には、高タンパク高カロリーの「戦闘前特別食」が並んでいる。
そろそろ、帝国から“お迎え”が来る時間だ。
父さんは力なく頷き、その顔はまだ青ざめていた。
「私は止めなよって言ったんだけどね」
姉ちゃんがトーストを齧りながら、呆れたように言う。
「……だって母さんが、あの黒い窓に触れようとするから。私が先に、と……」
「だって、あなた。覚悟がどんな目に遭ってるのかと思ったら……心配で……」
母さんが潤んだ目で僕を見る。
ゼノス帝国の『黒い窓』に、父さんも触れてしまったらしい。
「……しかし覚悟。お前、よく耐えたな。父さん、正直驚いたよ」
「パパなんて五分も持たなかったもんねー。泣いて抱きついてきて、大変だったんだから」
姉ちゃんは軽く言う。
けれどその瞳の奥には、消えない恐怖が残っていた。
「……いや、でもな凛。あれは本当にマズい。人生が全部無意味に思えるような、あの絶望感……」
父さんが低く呟く。
姉ちゃんはしみじみと僕を見た。
「社畜のパパでも無理なんだね……カッくん、頑張ったね。本当に」
その言葉に、家族全員が黙り込む。
母さんが鼻を啜る音だけが、部屋に残った。
(……いや、すいません……リナリアさんに、いい格好したかっただけなんです)
内心で悶絶していると、警報音が鳴り響いた。
『――緊急警報。未確認飛行物体接近中。
市ヶ谷駐屯地上空到達まで六百秒。帯刀覚悟は至急、第一エレベーターへ』
温かい空気が、一瞬で消えた。
僕は立ち上がり、家族一人一人の顔を見る。
父さんの震える手。
母さんの祈るような目。
姉ちゃんの強がった笑み。
「……時間みたい。行ってきます」
※
東京湾の海上に展開された、ゼノス星間帝国の「光のフィールド」。
転移の閃光が収まると、今日も圧倒的な美しさを纏う少女、リナリア・テトラ・ゼノスが佇んでいた。
「……すいません。毎日、お待たせしてしまって」
「う、うむ。苦しゅうない。定刻通りだ」
答えるリナリアの声が、心なしか上ずっている。
視線を向けると、彼女の白い頬が、淡い林檎色に染まっていた。
(はーっ、今日もすごい可愛い。なんていうか、逆光でキラキラして見える。
……ダメだ、僕、やっぱりこの子のこと、好きになってる……)
いかん、いかん。
僕は首を横に振り、雑念を払った。
相手は地球を征服にきた侵略者であり、銀河帝国皇女。
僕みたいな陰気なオタクには、別次元的存在だ。
(無難に、昨日の御礼だけにしておこう……)
「あ、あの!」
「な、何だ!?」
声を掛けた瞬間、リナリアがビクッと肩を震わせた。
金色の同心円を持つ瞳が、泳ぐように僕から視線を逸らす。
「昨日は……僕に、期待しているって言ってくれて、ありがとうございました。
おかげで、昨日の精神攻撃を耐えられました。
あの一言がなかったら、僕は今ここにはいませんでした」
正直な気持ちだった。
だがその時、爆音と共に海面から数本もの巨大な水柱が突き上がる。
「わっ!?、な、何?」
思わず声が漏れる。
視界の先で、海が異様にうねっていた。
「なッ……? 余のおかげだ、と……!?」
リナリアの声に呼応するように、海面はさらに荒れ狂う。
原因は明白だった。
リナリアの感情の揺れによって、重力制御が誤作動を起こしたのだ。
「はい。リナリアさんが期待をかけてくれたから、僕は頑張れました。本当に、嬉しかったんです」
「な、ならば貴殿は……余のために、あの地獄を耐え切ったというのか……!?」
リナリアの周囲の空間干渉がさらに乱れ、晴天の空から突如として、巨大な雷光が降り注いだ。
雷鳴が轟き、雷はリナリアの展開したバリアに直撃する。バリアの表面でスパークが荒れ狂い、鼻を突くイオン臭が立ち込めた。
(うわぁぁぁ、漫画みたい。
激オコじゃん!
そりゃそうか! 自分が敵を助けたなんて、屈辱以外の何物でもないよね!
うわ、めっちゃ睨んでる。
死ぬ、これ、僕の人生終わった!)
実際、リナリアは覚悟を睨みつけていた。
だがその瞳に宿るのは怒りではない。爆発しそうな羞恥と困惑だった。
昨日の別れ際。
自分を「リナリア」と呼んで微笑んだ、あの無防備な顔が脳裏に蘇る。
思考がまとまらず、誇り高き皇女の理性は完全に空回りしていた。
「こ、こやつ……こやつめ……っ! な、なにを平然と……う、うぅ……っ!」
声にならない声が漏れる。
しかし睨みつける視線だけは、どうにか保っていた。
「へ、変なこと言って、本当にすいません! 今日も、よろしくお願いします!」
覚悟が慌てて頭を下げる。
その素直すぎる態度に、リナリアの思考はさらに混乱した。
「よ、よろしくなど……っ、言われずとも分かっておるわ!」
とっさに言い返す。
だが言葉の勢いとは裏腹に、声はわずかに上ずっていた。
ハッとして、リナリアは背筋を伸ばす。
どうにか平静を取り繕おうとする。
——しかし。
その赤く染まった顔だけは、どうしても元に戻らなかった。
「……うむ。……では、始めるぞ」
リナリアは一歩下がり、どうにか皇女としての威厳を取り戻そうと努めた。
「帯刀覚悟!
昨日の勇戦も、実に見事であった!
貴殿の意志が、何があっても折れぬこと、我々は十分に理解した。
……ゆえに、今日は趣向を変える。今日は貴殿ら地球人のターンとする」
「……地球人のターン?」
「今日、余は、遠隔攻撃は一切使わぬ。
重力波、空間湾曲、そのすべての攻撃的使用を封印しよう。
——地球人よ、帯刀覚悟よ! 貴殿らのすべてを、余にぶつけてみよ!」
それは、圧倒的な強者が、慈悲深くも残酷に与えた「ハンデ」だった。
(ありがたい……んだけど、これ、完全に「手加減してやろう」ってやつだよな。嬉しいような、悔しいような……)
「リナリア……さん、一個聞いていいですか」
「……何だ。この状況で」
「なんで、手加減してくれるんですか」
「……手加減ではない。貴殿の全力が見たいだけだ」
「それって……僕のこと、気にかけてくれてるってことですか?」
その一言に、リナリアの思考が一瞬止まった。
何を言われたのか、理解が遅れる。
「……は?」
わずかに間の抜けた声が漏れる。
皇女としては、あり得ない反応だった。
「き、気にかけている、だと……?」
言葉を繰り返す。
だがその声は、明らかに動揺を含んでいた。
胸の奥が、妙にざわつく。
理由の分からない感覚に、リナリアは眉をひそめた。
「ば、馬鹿を言うな!」
反射的に言い返す。しかしその声音は、いつもの威厳をわずかに欠いていた。
「余はゼノスの皇女だ。
敵を気にかけるなど、あるはずがなかろう!」
言い切る。
だが視線は、ほんの僅かに逸れた。
覚悟の顔を、まともに見られない。
それが何を意味するのか、本人だけが分かっていない。
そして――
気づかぬうちに、彼女の指先はまた胸元に触れていた。
「…えぇぃっ!
どうした、来ないのか。ならば、こちらから行くぞ!」
リナリアが床を蹴った。
重力制御により、彼女の身体は光の矢と化した。
速い。
一瞬で間合いを詰められ、鋭いハイキックが覚悟の顔面を襲う。
「――っ!」
神経加速インプラントが強制起動。
世界がスローモーションに引き伸ばされる中、覚悟は紙一重で首を捻った。
空気を切り裂く衝撃波が耳を打ち、髪の毛が数本、持って行かれるのを感じる。
(怖っ……! これ、本当に女の子の蹴りなの!?)
リナリアは空中を滑るように移動し、地面から数センチ浮いた状態で高速移動を繰り返す。
重力•慣性制御、質量コントロール。
彼女の拳や蹴りは、それ自体が隕石のような破壊的な慣性質量を孕んでいる。
一撃でもまともに貰えば、ネオキチン合金骨格ごとへし折られるのは明白だ。
「……帯刀覚悟! 武器の使用も自由だ! すべてを見せてみよと申したはずだ!」
僕は必死に距離を取り、背中のラッチからリニアライフルを抜き放った。
電磁加速されたタングステン弾が火を噴き、リナリアへと吸い込まれる。
だが。
「――なっ!?」
リナリアの周囲数十センチ。そこに不可視の『壁』が存在していた。
弾丸は着弾した瞬間に弾かれ、砕け散った。
「こっちの遠距離攻撃、全く効かないじゃないか……!」
「当然だ。防御フィールドまで解くとは言っておらん!」
リナリアが地表を滑空しながら、肉薄する。
最短距離、トップスピードで放たれた右ストレート。
僕の加速した神経が、奇跡を起こす。
躱した。
躱しながら、右拳を合わせた。
カウンター。
僕の人生で、最初で最後かもしれない渾身の一撃。
僕の拳が、リナリアの白い頬を掠めた。
確かな手応えがあった。
「え、……当たった?」
一瞬、僕の動きが止まった。
目の前で、リナリアが不敵に、そしてどこか嬉しそうに笑った。
「甘いぞ!」
直後、腹部に爆発した様な衝撃が走った。
リナリアの膝蹴り。質量コントロールされたその一撃は、覚悟の腹筋をティッシュペーパーのようにぶち抜いた。
「が、はっ……!」
悶絶しながら、覚悟は地面を何度も転がった。
肺の中の空気がすべて叩き出され、視界がチカチカと明滅する。
どうにか距離を取り、高周波ナイフを抜いて構える。
(……さっき、当たった。間違いなく。あの子のフィールドは、完璧じゃない……!)
「帯刀覚悟。
貴殿は、何のために戦っている? 勝てないのは、分かっているだろう?」
距離が空いたせいか、リナリアが唐突に問いかけてきた。
その金色の瞳が、まっすぐ僕を射抜いてくる。
僕は一瞬、言葉に詰まった。
戦う理由なんて、考えればいくらでも出てくるはずなのに。
父さんや母さんの顔が浮かぶ。
でも、それだけじゃない気がした。
不意に、ヒーローたちの顔が頭をよぎる。
僕は小さく息を吸った。
視線を逸らさないように、なんとか踏みとどまる。
「やるしかないからです。
たまたまだけど、僕しかいないから」
言葉にすると、少しだけ実感が追いついてくる。
自分で言っておきながら、妙に現実味があった。
「勝てる勝てないじゃなくて。
ここで僕は、貴女に立ち向かわなくちゃいけないんです」
言い切ると、怖いのに、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……なるほど?」
リナリアがわずかに目を細める。
その視線には、興味と観察の色が混じっていた。
「やはり貴殿は、生真面目だな」
静かにそう評される。少しだけ、照れくさい。
「……漫画やアニメのヒーロー達は、みんな頑張ってますしね」
思わず口にしてから、僕は少しだけ後悔した。今の状況で言うことじゃない気がする。
「……アニメ?」
リナリアが首をかしげる。
わずかな好奇心が、その仕草に滲んでいた。
「説明すると長いんですけど。
要するに……格好悪い事、したくないんです」
言いながら、少し視線を落とす。
これ以上言うのは、なんだか気恥ずかしかった。
(特に、貴女の前では、って……やっぱり言えないな)
心の中でだけ呟く。
顔が熱くなるのを、必死でごまかした。
「……そうか」
リナリアがゆっくりと頷く。
その瞳に、先ほどとは違う光が宿っていた。
「貴殿は、誇り高いのだな」
その言葉は、静かで、ほんのわずかに柔らかかった。
僕はその表情を確かめたくて、思わず顔を上げる。
だがリナリアは、すでにいつもの威厳を取り戻していた。
背筋を伸ばし、静かに手を構える。
「よし。中断してすまなかった。
続けるぞ」
優しさの名残が残っていた声音に、もう迷いはなかった。
※
何度も何度も、フィールドの隙を突こうとナイフを振るい、リニアライフルを連射した。
けれど。奇跡は何度も起きなかった。
「……あ……づ、い……」
網膜のARディスプレイに、無慈悲な警告ログが流れる。
【警告:神経系過熱。強制冷却限界突破。システムダウンまで六十秒】
頭が、煮えそうに熱い。
首筋に設けられた排熱ダクトから、真っ白な蒸気が噴出しっぱなしだ。
神経加速を使いすぎた代償だ。改造部分が、僕の生身の部分を焼き切ろうとしている。
(くそっ……。排熱が、追いつかない……!)
リナリアは攻めを緩めない。
彼女は、僕が限界を迎えようとしていることを見抜いた上で、その姿を瞳に焼き付けようとしていた。
そして。
ARディスプレイが、真っ赤な『RED ALARM』で埋め尽くされた。
改造された神経系が、強制的にシャットダウンした。
「……っ、が……あ……動け、動けよ!」
膝から力が抜け、僕は地面に手を付いて四つ這いになった。
指先ひとつ動かせない。
首筋からは、なおも激しい水蒸気が噴き出し続け、僕の周囲を霧のように包み込んでいく。
朦朧とする意識の中。
霧を割って、リナリアが僕の目の前にゆっくりと歩み寄ってきた。
僕は熱さに震えながら、どうにか彼女を睨み据えた。
「……どうやら、戦闘不能のようだな。帯刀覚悟」
リナリアは、僕を見下ろした。
彼女はそっと腰を落とし、僕の顔を覗き込む。
そして。
まるでお気に入りの騎士の健闘を讃えるような、信じられないほど優しく、穏やかな微笑みを浮かべた。
「――よい戦いであった。貴殿のすべて、確かに見せてもらったぞ」
その言葉を最後に、僕の視界は真っ暗に染まった。
リナリアの厳かな勝利宣言が、東京湾の潮風に乗って、遠ざかっていく。
——悔しい。何も届かなかった。
目の奥が、じわりと熱くなる。
スコアは、三敗。
残り、四戦。
僕達は、崖っぷちに追い詰められた。
——けど、まだだ、まだ終わりじゃない。
さぁて、どう戦い抜くかな?




