終焉:バイバイ日常
ラブコメ回収まで後13話
リナリア・テトラ・ゼノス。
銀河で最も美しい『侵略者』が、僕の部屋を占拠していた。
といっても、彼女が物理的に部屋に上がり込んできたわけではない。
僕のノートパソコン、ベッドに放り出したスマホ、そして消していたはずのテレビ。
ありとあらゆる液晶画面が、色とりどりに変化する、コズミック・プラチナシルバーの髪をなびかせる彼女の姿で埋め尽くされていた。
宣戦布告のメッセージは、無慈悲なループとなって流れ続けている。
『――以上、星間戦争法に則り、我々は惑星の全所有権を懸けた「一対一の個体間代表戦」の、地球側代表者に……「帯刀覚悟」を指名する』
リナリアが僕の名前を呼ぶたびに、僕の寿命が数年ずつ削れていくような気がした。
「……覚悟。覚悟、そこにいるのね?」
三回目のループが中盤に差し掛かった頃、ノックもなしに部屋のドアが開かれた。
入ってきたのは父さんと母さんだった。
中堅IT企業の課長として毎日胃を痛めている父さんは、今にも倒れそうなほど顔を青くしている。
母さんは震える手でハンカチを握りしめていた。
「覚悟、今の……何なの。どういうことなの? どうして宇宙人があんたの名前を……」
「……僕の方が、聞きたいよ」
僕はベッドの上で膝を抱えたまま、消え入りそうな声で答えた。
僕が何をしたっていうんだ。
昨日だって、深夜アニメの実況ツイートをして、ソシャゲのデイリーミッションをこなして寝ただけだ。
宇宙人の逆鱗に触れるような、大層な陰謀を企てた覚えなんてこれっぽっちもない。
なのに、モニターの中の皇女様は、僕こそが地球の運命を握る『代表』だと言い張っている。
それから一時間後。
玄関のドアが、壊れそうな勢いで開く音がした。
「ちょっと! 覚悟、いるんでしょ! 説明しなさいよ、このバ覚悟!」
友達と遊びに行っていた姉の凛が、血相を変えて飛び込んできた。
普段は「キモオタ」だの「二次元の住人」だのと僕を馬鹿にしている彼女だが、今ばかりは瞳に隠しきれない不安と混乱を浮かべていた。
「覚悟、あんたね……外がどうなってるか知ってるの!? あんたのフルネームと家の住所が、世界中で連呼されてるのよ!
マンションの下、もう野次馬で埋め尽くされてるんだから!」
「……だから、僕の方が聞きたいんだってば」
姉ちゃんの剣幕に押されながらも、僕は窓の外を盗み見た。
オートロック付きのマンションとはいえ、エントランスの前にはどこから集まったのか、黒山の人だかりができていた。スマホを掲げて僕たちの部屋を撮影する者、大きな声を出す者、隣同士で会話する者。
それは、十四歳の少年が受け止めるにはあまりに重すぎる、悪意と好奇心の津波だった。
混乱が極まったのは、さらにその一時間後。
前触れもなく、東京湾の上空に『それ』は出現した。
雲を割り、空間を歪めて現れたのは、巨大な黒い球体だった。
レーダーにも一切反応せず、物理法則を無視して静止するその直径十キロの質量は、人類の好奇と恐怖の象徴となった。
空に新しい映像が流れる。
リナリアの立体画像が、今度はその巨大な球体――ゼノス星間帝国の母船を背にして立っていた。
『地球人の諸君。この球体は、我々『ゼノス星間帝国』の母船である。
我々は、貴殿らの問いに答えるため、今、使者を遣わした』
リナリアが指差した先。
東京湾の海面に、直径一キロメートルにも及ぶ光り輝く『床』が、まるで海上に咲いた蓮の花のように出現した。
その幾何学的なプラットフォームの上に、百体の人型ロボットが転送されてくる。
無機質で、けれど洗練されたデザインの機械人形たち。
『これら百体の端末が、貴殿らの質問に対する窓口となる。
また、地球上で最も孤独な地点――貴殿らが、到達不能極「ポイント・ネモ」と呼ぶ洋上にも、同様の拠点を設置した。
もし、貴殿らが武力によって我々を試したいと言うならば、そこで存分に試すがよい』
リナリアは、挑戦的な、けれど慈悲深い笑みを浮かべた。
『ただし、攻撃を受ければ、帝国は相応の反撃を義務付けられている。
もし「ポイント・ネモ」の端末に戦いを挑む者がいるならば……家族に別れを告げてから来ることを勧める』
宣戦布告から半日。
リナリアの映像が突然消え、スマホやテレビ、インターネットがようやく僕たちの手に戻ってきた。
けれど、それは本当の地獄の始まりに過ぎなかった。
「……無理。もう無理、対応しきれない……」
父さんのスマホが、鳴り止まない通知音で熱を持っている。
僕のスマホなんて、とっくにバッテリーが切れて、文鎮にしたままだ。
クラスメイト、親戚、知人、あるいは見知らぬ誰か。
ありとあらゆるツールから、「本当にお前なのか?」「どうして選ばれた?」「地球をどうするつもりだ?」というような問い合わせが殺到していた。
マンションの周囲は、もはや群衆というよりは暴徒に近い集団に埋め尽くされていた。
上空ではニュースヘリが爆音を立てて旋回し、強力なサーチライトが僕たちのリビングを執拗に照らし出す。
警察の群集整理がなければ、今頃ドアを破って誰かが侵入してきていただろう。
「覚悟。……食べなさい。少しでもお腹にいれないと」
母さんが、震える手で作ったおにぎりを差し出してくる。
けれど、誰もそれに手を伸ばそうとはしなかった。
夜通し鳴り続ける呼び出し音。
マンションを囲む怒号。
僕たちは、たった数時間で自分たちの居場所を奪われ、世界中から指を差される『生贄』へと成り下がっていた。
夜が明けようとする頃。
ついに、インターホンが鳴った。
音だけは、今までと変わらない、どこにでもある電子音。
けれど――たぶん、訪問者は僕たちの知っている誰かではない。
ヨレヨレのシャツのまま、父さんがモニターを確認する。
決死の覚悟のような顔で、ゆっくりと玄関のドアを開けた。
そこに立っていたのは――
表情を消した、黒スーツの男たちだった。
「――帯刀覚悟君ですね。および、ご家族の皆様」
男たちのリーダー格らしい人物が、懐から手帳を取り出す。
……警察手帳だ。
初めて見た。まさか、こんな形で見ることになるなんて。
「警視庁警護課のタナベです。
明け方から申し訳ありませんが、首相官邸までご同道ください」
一拍置いて、男は静かに続けた。
「……拒否権はありません。
現在発生している事案は、日本――いえ、人類の存続に関わる大事件です」
「む、息子は……息子はどうなるんですっ!」
母さんが、僕を抱きしめたまま、黒スーツたちへ必死の形相で叫ぶ。
「……お母さん、落ち着いてください」
タナベと名乗った男は、声を低く保ったまま言った。
「現時点では、まだ何も申し上げられません。
ただ、このままここに居続けると、ご家族の安全を保障できないと判断されました。
今回の移送は――皆さんの安全確保が目的です」
そのとき。
階下から、野次馬か誰かが、大声で叫ぶのが聞こえてきた。
部屋の中に、重苦しい沈黙が落ちる。
「……わかりました」
父さんが、静かに頷いた。
黒スーツの男たちに深く頭を下げ、それから僕たちを見る。
「よろしくお願いします。
恵子、凛、覚悟――急いで荷物をまとめなさい」
三十分後、僕達は貴重品と身の回りのものだけ持って、マンションのエントランスに降りた。
そこには、群衆を力ずくで排除した、ゴツい装甲車みたいな護送車が待ち構えていた。
僕たちは、男たちに促されるまま玄関を出た。
その瞬間だった。
——閃光。
視界が、真っ白に焼きつく。
「こっちです!」「代表の少年は!?」「覚悟君! 一言!」
怒号とシャッター音が、嵐みたいに押し寄せてくる。
住宅街のはずなのに、そこはもう戦場みたいだった。
カメラ。カメラ。カメラ。
門の外には、信じられない数の報道陣が押し寄せていた。
マイクを突き出す人、脚立に乗る人、カメラを構えたまま前へ突進してくる人。
フラッシュが、何度も何度も爆発する。
目が痛い。頭がクラクラする。
——なんだこれ。
僕はただの中学生だ。
昨日もソシャゲのガチャで爆死して、ポテチ食いながら寝落ちしただけの、どこにでもいるオタクだ。
そんな僕の人生に、
こんな宇宙規模イベントが起きるはずがない。
だから――
「……くっ。この『因果』の収束からは、逃げられないというのか……」
僕は震える足で歩きながら、暴走する力を抑え込むように、左腕を右手で強く握りしめた。
ただの強がり、ただの現実逃避
こんな現実、まともに受け止めてたら、壊れちゃうよ。
「覚悟君!」「宇宙人との代表戦についてどう思いますか!?」
フラッシュがまた炸裂する。
世界が白く瞬く。
その時、隣から呆れた声が飛んできた。
「……はいはい。カッくんの闇の力ね」
姉ちゃん――凛だった。
「信じてないな?」
僕は睨む。
姉ちゃんは肩をすくめた。
「信じてたら、今頃逃げてる」
そして、少しだけ僕の腕を引き寄せて言う。
「ほら、前見て歩きなよ。転ぶよ」
その声は、相変わらず落ち着いていた。
まるで――僕がまた厨二病を発症した、いつもの朝みたいに。
警護の黒スーツたちが人垣を押しのけ、
車のドアが開く。
フラッシュの嵐は、まだ止まない。
僕は、フラッシュの光の海を流されるまま歩き、半ば押し込まれるようにして車に乗り込んだ。
——逃げ場は、もうどこにもなかった。
護送車の扉が閉まり、激しいエンジン音とともに、僕たちの家族は『日常』から完全に切り離された。




