28.島抜け大作戦_1
──午後五時。
バンビはトマス家の馬車庫へ到着した。
扉の隙間から中を覗くと、ちょうどトマスが荷馬車への積み込みを終えたところだった。
「トマスおじさん」
バンビがそっと声を掛ける。
「おう! バンビ、来たか。今しがた積荷が終わったところだよ。さぁ、乗りなさい」
「ありがとうございます! すぐに友人達も来ますので、全員乗り終えたら出発してください。あ、その前に……」
バンビは手提げ袋から細長い木箱を取り出し、トマスへ差し出した。
「お、おお……! 例のあれか! じゃあ早速!」
トマスは興奮したように木箱を開け、中身を覗き込む。
「これこれ! 半世紀前のワイン! まさしくこれだ! ああ、早く飲みたいなぁ……」
ワインの瓶を抱き締めるように、うっとりと頬擦りするトマス。
「バンビ、お前これをどこで手に入れた? 滅多に手に入るもんじゃないぞ」
「ははっ、トマスおじさんのために独自ルートで仕入れたんですよ! どうぞ、遠慮なくお納めください!」
「くぅ〜〜、可愛い奴め! よっしゃ、こいつをしまってくるから、ちょっとそこで待ってな」
バンビのわかりやすい"おべんちゃら"に、すっかり機嫌を良くしたトマスは鼻歌まじりに酒を自宅へ運んでいった。
(父上、申し訳ありません……)
バンビは苦笑いする。
その酒は、家の納戸から“拝借”して、料亭海猫の倉庫に隠していたものだった。
(さて……そろそろ来る頃ですが)
馬車庫の外の小道へ視線を向け、
胸元の懐中時計を取り出して確認する。
五時四分。
胸の内に、小さな不安がよぎった。
(道順はちゃんと伝えた。分かり難い場所でもない。それなのに来ないということは……何かあった?)
そんな考えが渦を巻き始めた時、遠くから声が響いた。
「おーい、バンビ!」
リグだ。駆け足でこちらへ向かってくる。その後ろにはサリーとディン。
──そして両手に『綿菓子』と『魚の串焼き』を抱えたイヴァ。
「楽しみ過ぎでしょう!」
バンビは盛大にツッコんだ。
「はぁ、はぁ……ごめんバンビ! イヴァがどうしてもあれが食べたいって言うから、ちょっと遅くなった!」
リグが大きく息を吸い込みながら謝る。
「緊張感ないんすかアンタら!」
一喝され、一同はしゅんと肩を落とす。
「まぁいいでしょう。さぁ皆さん、馬車の荷台に乗ってください」
──「おおー! すげぇ立派だな!」
「中も結構広いぞ!」
「これなら全員余裕だな!」
「ねぇ果物がいっぱいあるよ! 食べてもいいかな?」
「絶対ダメだろ馬鹿!」
リグ、サリー、ディンの三人は荷台の中で大はしゃぎしている。
バンビはイヴァの乗り込みを見守っていた。
「ねぇ……バンビ」
イヴァが遠慮がちに声を掛ける。
「ん? どうしました?」
「手が……ベトベト」
開いた手のひらには、握りしめられて固くなった綿菓子がいくつも張り付いていた。
「何してんすか!?」
「だって……慌ててちぎりながら食べたから」
「手掴みで食べるもんじゃないですよ……幼児じゃあるまいし……」
バンビは手提げから水筒を取り出し、イヴァの手にかけて洗ってやる。
「ごめんなさい……」
「いいですよ。それより祭りは楽しめました?」
「うん! 最っ高!」
イヴァの無邪気な笑顔に、バンビも思わず苦笑する。
「まったく……憎めないですね、イヴァは。さぁ、早く乗って」
「はい!」
皆が乗り終えた頃、トマスが戻ってきた。
「バンビ、準備はできたか?」
「はい、お願いします!」
トマスが荷馬車の御者席へ乗り込む。
──バンビは荷台の紐を引き、まとまっていた白布を落とす。
布がふわりと広がり、荷台の後方を完全に覆い隠した。
四方を白布に囲われた荷台は一気に暗くなる。
バンビはその中を手探りしながら仲間の方へ歩み寄った。
「さぁ、あとは島を出るまでじっと静かに。いいですね」
◆
──どれほど経っただろうか。
荷馬車は順調に島の出口、『エルピス大橋』へ向かっている。
布の隙間からバンビはそっと外を覗く。
斜陽が地平線へ沈みかけ、島全体が茜色に染まっていた。
(もうすぐだ……もうすぐ島を出られる)
胸の奥で高鳴る鼓動。
外でトマスの話し声が聞こえた。
「やぁトマスさん。出発ですね。行ってらっしゃい!」
「おう! 行ってくるよ!」
続いて「ギィーーーー!」と重々しい音。
エルピス大橋の袂にある門が開く音だ。
馬車が再び動き始め、ゴツゴツとした振動に変わる。
橋上の石路面に入ったのだ。
(やった……これは橋の上だ。島を出られる!)
バンビは心の中で小さく叫んだ。
──だが、橋の中央付近。
突然、荷馬車は動きを止めた。
(……何だ?)
布の隙間から外を窺うが、薄暗くてよく見えない。
バンビは四つん這いで後方へ移動し、そっと覗いた。
先ほど開いた門は、すでに閉じ切っている。
(なぜここで止まる……?)
焦りが喉の奥に張りつく。
その時──
荷台の後部の布がスゥーっと捲れ上がった。
わずかな灯りが差し込み、影が揺れる。
顔を見せたのはトマスだった。荷馬車の後方に立ち尽くしている。
「トマスおじさん、どうかしました?」
バンビの問いに、トマスは重苦しく呟く。
「……わりぃな、バンビ」
視線を逸らし、言葉を飲み込むトマス。
握りしめられた拳がわずかに震えていた。
「な……何が、でしょう?」
その時、馬車の前方から回り込んでくるような足音が近づいた。
足音は徐々に大きくなり、トマスの横に細長い影を落とす。
──バンビの脳裏に、強烈に嫌な予感が走った。
視界の端で、青いローブの裾が揺れる。
額から冷や汗がひと雫、ぽたりと垂れ落ちた。




