10.アアラとイヴァ_2
── 十日前 イヴァの部屋
アアラはずっと疑問に思っていた事をイヴァに問い掛ける。
「ねぇイヴァ。あんた、外に出てみたいって思わないの? 家の周辺じゃなくてさ、もっといろんな所に行きたいって」
「えーと、思うこともあるよ。あるけど……出来ないよ」
イヴァは目を伏せる。
「ずっとこの部屋や家の周りだけで生活するつもり? そんなの可哀想……ほら、イヴァ、あんた本物の海が見てみたいって言った事あるじゃない」
「海……そうだね、見てみたい。でも私はエルフだよ? 見つかったら大騒ぎだよ」
「大丈夫だって! ちょっと歩けば海まで行けるから。ほら見て、ちょうど海に日が沈む時間。すっごい綺麗だよ? こっそり行こう」
イヴァにフードを被せて手を引くアアラ。
「あ、アアラ!」
「大丈夫! 私がついてるから!」
アアラは半ば強引にイヴァを外へ連れ出した。
◆
海が一望出来る崖の上で、イヴァは目を輝かせながら海を見つめる。
「綺麗……凄いよアアラ。海ってすごく綺麗だね」
「だろ?」
アアラは優しい眼差しでイヴァを見つめる。
「目に焼き付けておくね、この光景。絶対に忘れない」
その時、背後から声がした。
「何してんだー、おめぇたち?」
ギクリとして振り返る。
そこには、釣り竿を持った中年の男性とお婆さんが立っていた。
声を掛けたのは、お婆さんの方だ。
「あら、あんたアアラちゃんじゃねぇか! おい、ほら。エイダさんとこの娘だよ。子供だけでこんなとこまで来てあぶねぇなぁ。もうじき暗くなるから早く帰んな」
お婆さんは徐々にこちらへ歩み寄る。
「も、もう帰るから!」
言いながらイヴァの手を引き、そそくさと退散しようとするアアラ。
「そっちの子はだれだぁ? 一緒に家まで送ってやろうか?」
お婆さんが余計な提案をする。
「大丈夫だって!」
そう言って崖沿いをイヴァの手を引きながら歩く、とにかく男性とお婆さんが進むであろう方向とは逆側へと向かった。
そっと振り返ると、中年男性が怪しげにイヴァを見たあとに小声でお婆さんに何か囁いている様に見えた。
(まずい……イヴァが怪しまれてる?)
お婆さんが2人を呼び止める。
「おーい! ちょっと待ちなぁ」
「ねぇアアラ。あの人たち付いてくる……!」
フードをぎゅっと握りながらイヴァが囁く。
「もう、しつこいな! イヴァ、一旦隠れるよ」
少し小走りしてお婆さんの目線を切ってから、崖下に突き出した岩に飛び移るアアラ。
「イヴァ、こっち」
イヴァの手を引く。
イヴァも恐る恐る岩に降りると、その場でしゃがんで身を潜めた。
「どこいったぁ? 魚分けてやろう思ったのによぉ、まったく」
残念そうなお婆さんの声がした後、男性とお婆さんの足音が遠のいていった。
「まったく、お節介なお婆さん。要らないよ魚なんて」
毒づくアアラに吹き出すイヴァ。
「怪しまれてはなかったみたいだね」
「はぁ……さてと……」
アアラは崖を登ろうと、突起した石に右手を掛けた。その瞬間、その石がボロっと剥がれる。
「あっ……」
バランスを崩したアアラは足を踏み外し、5メートルほど下の岩場に落下した。
鈍い音が響く。
アアラは頭を打った様で、血が流れ出ていた。
上から見下ろすイヴァの顔が恐怖で青ざめていく。
「嘘!? ……アアラ!」
イヴァは岩から崖をよじ登り、男性とお婆さんの元へ走る。
「待って! 待って! アアラが…‥崖から落ちて……助けて下さい……!」
涙で上手く発声が出来ない。
振り向いて、目を丸くするお婆さん。
先に男性の方が反応を示した。
「た、大変だ。崖から落ちたんだね?」
「……はい」
男性は釣具をその場に放り出して走りだす。
「こっちだ! こっちから岩場へ降りられる!」
必死に後を追うイヴァ。
急な斜面をある程度下ると、岩場へと繋がる道が開けた。
「いた、あそこだ!」
血で赤く染まった岩の上にアアラが倒れている。
「まずいぞ。頭を打ってる…恐らく、足の骨も折れて……」
イヴァはアアラの元へ駆け寄る。
「アアラ……返事して! アアラ!」
──男性は、崖の上から見つめるお婆さんへ叫んだ。
「お婆! 急いで誰か呼んでくれ!」
「あ、あいよぉー」
お婆さんは慌てて駆け出した。
イヴァが泣きながらアアラに語りかける。
「ごめんねアアラ、私の為に──大丈夫、私が助けてあげるから」
イヴァは、アアラの頭部に手をかざす。
その瞬間、両手が緑色に発光した。
緑の光がふわりと周囲に広がり、潮風に乗って、まるで春の芽吹きのように空気が澄んでいった。
それはあまりにも美しく、あまりにも“異質”だった。
男性が驚いて声を上げる。
「な、なんだこの光は!?」
アアラが少しだけ目を開いた。
意識はまだ朦朧としている様だ。
「……イヴァ? この光は?」
「大丈夫。私がエルフの力で治してあげる。だから、心配しないで」
その時、海からの強い潮風でイヴァのフードが捲れた。
イヴァの尖った耳が露わになる。
イヴァの正体を察した男性が叫んだ。
「ひいい! こいつ、エルフだ!」
男性は恐怖に怯えながらその場に尻餅をついた。
◆
──病室で目を覚ましたアアラへ医師が声をかける。
「目が覚めたかい?」
「イヴァ……イヴァは!?」
「イヴァ? あのエルフのことかね」
溜め息混じりに医師が話す。
「危なかったね。君はあのエルフに殺されるところだったんだ」
アアラは予想外な医師の言葉に驚愕する。
「はぁ!? 何言ってんの? 違うよ、イヴァは……」
「アアラ、君はエルフに襲われた。災難だったね。この事は忘れなさい。そして、絶対に周りに他言しない様に、いいね?」
冷たい眼差しを向けた後、医師は席を立った。
「ふざけんな、なんだそれ! 違う! 違うんだって! イヴァは……!」
もはや医師はアアラの言葉に耳を傾ける気はない様だ。
何も聞こえないかの様にアアラを無視したまま、後ろ手にドアを閉めた。
白い部屋に、アアラの嗚咽だけが響いていた。




