弧々逆治理の憂鬱
刃血鬼世界、S県立病院、5階最奥の一室の引き戸が乱暴にこじ開けられた。
「うるさぁ〜い…何ぃ?今作業中なんだけど」
白衣にタイトスカートの気怠げな女性が、座っているオフィスチェアを回す。
「隊長…まさか、あの要請を受けたんですか!?」
「君は…所属番号682、辻田抜無か。私にはなるべく敬語を使わないでほしいなぁ。隊長ってのもほとんど名前だけだし」
隊長と呼ばれた女性は、光のこもってない、死んだ魚のような目で辻田の方を見た。
「辻田が敬語で呼びたいってならいいけど。強制する気もないからね」
「そうじゃなくて…」
「要請の話だよね、知ってるー。辻田、沸血まだでしょ?じゃ行かなくていいよ」
「沸…血?」
「うん、その調子じゃ知らなそうだね。沸血ってのは要するにハイリスクハイリターンの強化技だよ。感情が昂るか、めっちゃ鍛えるかしないと覚えらんないんだ」
女性は、オフィスチェアから立ち上がる。
「今回の要請で必要なのは、沸血が出来る戦闘メンバーだけだよ。辻田、君は他の非戦闘員とここに残って作業しといて欲しい」
「ッ…」
歯ぎしりする辻田。まるで、役立たずと言われたかのように。
(んー…なんか、不快にさせた感じ?あっち側からの要望なんだけどな…)
女性は困った顔で頭を掻く。
(なんか、決定的な間違いを犯したような…)
(この人…得体が知れない!抜け殻か何かなの!?目が死んでるし!)
女性が意思の伝え方に四苦八苦する一方で、辻田も意思の受け取り方に四苦八苦してあた。
「そんな怖がんないでよ…戦闘メンバーは割と要請に乗り気だよ?」
「そんなッ…わけッ…」
「洗脳だってしてない。いや、マジで。信じて?悲しくなるから」
「じゃあなんで…あの人が…」
「ね〜、記録作業終わんないって…」
「卑劣なる推理!」
「うぐっ」
辻田は無抵抗の女性に血刃を投げつけた。女性の胸元に深々と血刃が刺さる。
「痛いってぇ〜。君の刃術って確か嘘を見抜くやつでしょ?そんなに私信頼できない?」
「信用できるわけ無いでしょう!?戦いたくないとあれほど言っていた彼が…彼が…」
「全部知ってるよ。私はお見通し。その「彼」ってのは村砂でしょ?辻田と村砂が付き合ってることくらい私はお見通し。どう?私が何か嘘ついてるように見える?その刃術がどんなものなのか詳しくないけどさ」
血刃が刺さったまま平然と喋る女性の問いには答えず、辻田はただひたすら、目を見開いていた。
(「凹むって、ここまで信用されてないとか。ていうかこれ痛いんだけど。いつになったらこの修羅場終わるの?」…心の中で喋り過ぎじゃない!?それに悪意が一切感じられない…じゃ、本当に…)
「読み終わった?もう抜いていい?人の脳に土足で踏み込んでくるの結構嫌なんだけど」
「あ…すみません」
女性は血刃を慣れた手つきで引き抜き、辻田へ放り投げて返した。
「ふぅ…これで気が済んだ?」
「は、はい。全く嘘はついてませんでした…」
「おーし、じゃあ罰として…」
辻田は唾を飲み込んだ。明らかにマッドサイエンティストの風貌の女である、何か人体実験のようなものをされるに違いないと…。
「村砂を説得してきて。私の名前出しとけばどうにかなるでしょ。そんなに行かせたくないなら、さ」
「…よろしいのですか?」
「堅苦しいのは嫌いだし、私は他人に危害を加えることに向いてないんだ。罰らしい罰も思い浮かばないしね」
目を閉じて微笑む女性に、辻田は大粒の涙を流しながら一礼し、部屋を出ていった。
「…泣きたいのはこっちなんだけどな。もちろん、悲しい方の涙で」
女性は背後の引き戸へ血刃を投げた。刺さった途端に引き戸がひとりでに動き出し、閉められた。
女性は懐からスマホを取り出した。
「…あ、きょーちゃん?今暇?ちょっと慰めてくんない?」
〈ココ?もしもしの一言くらいあるでしょ!!何?また怖いとかなんとか言われた?〉
「いやもっと酷い。嘘ついてるとまで思われた」
〈あっはっはっは!ちょっと待って、しばらく話せなくなりそう…お腹痛い…〉
「やめてよ、結構本気で傷ついてんだよ?」
女性の名前は弧々逆治理。[調査隊]隊長にして、ルックスとかけ離れた性格を持つ女性。そして、性格とかけ離れた強靭な精神を持つ女性。




