約束
(すーさん。すごく心配)
「だよね。俺だって大丈夫なんて絶対に言えない。だから俺とネムが一緒にN配属の様子を見に行くんだよ」
榊皇彦は、親友である音無と共に、N配属の区画へと向かっていた。ただ走るだけでは時間がかかってしまうため、音無が愛用している電動ローラーシューズで加速し、そこに一般的なローラーシューズを履いた榊がしがみ付く、という体勢だ。絵面が情けないことに目を瞑れば、画期的な移動手段である。
音無の様子が心配であったからこそ、榊は単独でN配属の区画を抜け出して、音無のいるS配属の方へ向かったのだ。その後、危険だからと戻されかけたものの、結局不安が勝ってしまい、こうして音無の側にいた。
だが、ひとまずDEMとやらへの対処という目標を成し遂げた今、あろうことかN配属が世界を滅ぼさんとしているらしい側についたと聞いて、話が変わってしまった。
榊の所属するクラスの級友達、ひいては音無共々世話になっている始番号、瑪瑙珠雀の安否が、危ぶまれるのだ。
「まあ、ネムも聞いてたと思うけど、湖上センパイ曰く、N13の始番号がまともな人をかき集めてはいるらしいから」
(なら、なんでつながんないんだろ。すーさんも、そこにいると思うのに)
「俺だってそんなのわかんないよ……むしろだからこそ不安じゃん?!」
何故か、先ほどから珠雀と連絡がつかないのだ。それだけならまだしも、同じN4所属者とも連絡が取れないのだ。だからこそ榊は、こうして餡条に無理を言ってまで飛び出した訳で。
「……ん?てかさあ、ネムが始番号なんだから、別に餡条センパイに許可取りする必要なくない?!むしろネムが許可を出す立場じゃない?!」
(たしかに……?!おとなし、おかしい?!)
「あやっぱ気づいてなかったんだ」
榊の気づきに、音無が動揺を露骨に表した意思を発する。悲しいかな、S3ではあくまで音無は形式上のまとめ役としての側面が強い。榊という第三者の視点から見ている限り、形式上であることそのものにも意味はあるので、決して音無を悪く言うつもりはないのだが。実際にS3のまとめ役は誰かと問われれば、飴沼か餡条あたりだろう。
(おとなし、なんばーなのに……。あれ。そういえば、なんでかいは生き返ったの?そういう異能?なにもわかんない)
「なんでだろ、俺もわかんない。てか多分ちゃんとわかってる人ほとんどいないでしょ、あれ。いや多分DEM?って奴が関係してるんだろうけどさ?でも結局根本的にどういうことなのかは一ミリもわかんないじゃん?」
榊は単なるN配属で、戦闘能力なぞ欠片もないため、DEMを相手取っていたあの時、後方の安全地帯にいた。故に、突然湖上の側に出現したDEMの姿を、直接見ている。そしてその後、突如としてDEMが消失し、いつの間にかそこに餡条がいたことも。
もしかしたら、なんらかの形で湖上も関わっているのかもしれない。信用してはならない、と珠雀に言いつけられていた彼は、彼女の推測通り、何らかの事情を抱えている事は、今回の一件でほとんど確実なものとなっていたから。
「でもさ、なーんか、餡条センパイとDEMが混ざったみたいな見た目してるんだよね、今の餡条センパイ。やっぱあれ、乗っ取りなのかな。登場シーンもそれっぽかったし」
(かいは、のっとる方)
「あーうん、まあ乗っ取るならそっちだよな。餡条センパイ、自我クソ強そうだし。乗っ取られるとかガラじゃないよな」
二人の中で餡条は、お調子者だがいざという時は頼りになる年長者である。自我が強そう、というのも共通の見解だ。そしてそれは、二人が今その身を案じている珠雀にも当てはまる。
……まあ、紆余曲折あって瑪瑙珠雀という人物の強さと危うさを知っている榊からすれば、それだけでは済まないのだが。
(でも、どうやってのっとったんだろ。かいならできそうだけど)
「なんだろうね、あの謎のセンパイならできそう感。異能のせい?」
(だとしても、よくわかんないね。おとなし、なんばーなのに。なんにも、わかんない)
「俺も一緒だよ。始番号がどうとか関係ない。本当、全部、全部わかんないよね。作り物とか、終幕とか、なんでかN配属が世界を滅ぼす側にいることとか。マジでさ、意味わかんねえよ」
音無の意志に、榊も複雑な感情を抱きながら同意する。
普段ならば危険だからと室内では出さない域まで加速しているからか、直接的な被害こそなかったものの。こうして移動しているだけでも、時折明らかに武装した監獄の研究員やら、同輩たるN配属の異能者を見かけるのだ、と。その異常に、彼女は怯え、困惑していた。
こうして最大限の速度で移動し続ければ、ほんの少し話している間にもさして遠くない目的地にはすぐに辿り着く。
本来なら避難所として設定されていたはずのラウンジへと、飛び込んだ。
「……ッ!」
「……」
鋭い視線が、二人を射抜く。二人を睨むN配属達の視線は、じっとりとした狂気を孕んでいて、はっきり言って常軌を逸していた。どう見たって、正気とは言えない。
榊も音無も、それぞれセーターとジャケットで配属を示すエンブレムを隠している為、ぱっと見では配属は見破れない。何より音無自身、内向的な気質も相まって、始番号としては比較的知名度が低いのだ。それ故か、即座に絡まれることはなかった。
一応この中にも、【終幕機構】とやらに加担していない者はいるらしい。まずはそれを探さなくては始まらない。榊と音無が無言で視線を合わせて、動き出そうとしたその時。
「……榊!こっち来て!」
見知った人影が、榊の名を呼んだ。サイズの合わない指定制服を肩に掛けた、見かけだけ幼い彼は、紛れもないN4の仲間である。焦燥感に駆られた顔つきで、強引に榊の腕を引く。その様は、平時からは考えられないものだった。
(N配属の子だ!)
「連絡取れなくて心配したんだからな?!何があったんだよ?!」
彼の態度からして、何かがあったことは間違いないのだろう。それでも、問わずにはいられなかった。音無と共に、彼に問いかける。
「……ご、ごめん。僕たちじゃスーさんを止められなかった」
「止められなかったって、何が」
どう考えたって良い意味ではないだろう同輩の言葉に、呼吸が別の意味で浅くなる。榊が珠雀と共にいたのは、あくまでこの騒動の発生直後だけだ。その時はまだ、榊のよく知る彼女のままで。中にいるもう一人共々、冷静に始番号として事態への対処を行っていた。
一体珠雀はどうなっているのか、榊と音無の親しい相手に対する心配から来る疑問は、彼によって珠雀と引き合わせられるよりも早く、榊の脳内に答えが響いた。
(頼む、お願いだ、お願いだから、誰かオレを止めてくれ……!)
悲痛な、瑪瑙珠雀の中のもう一人、異能【合和晒鏡】を持つ彼の叫び。それを榊の異能【伝受】が読み取った。
(オレに異能を使わせないでくれ……!)
「……ッ、それって、どういう」
この言葉が示すもの自体は理解できる。瑪瑙珠雀本人の異能だ。異能【合和晒鏡】なんていう、どう考えてもS配属かI配属に類されるべきものではなく、N配属相当である筈の珠雀本人の、監獄に囚われる所以だ。
だが、N配属相当であるという事は、普通は使ったところで毒にも薬にもならない、しょうもない代物である筈なのである。ここまでして、珠雀の中のもう一人、かつて須臥要と呼ばれていた方が止める理由がわからないのだ。
だが、榊はこの問いについて満足に答える暇がなかった。
「……お。皇彦と音無か。元気してるかー?」
ラウンジの片隅で、ヘラヘラと、いつものように笑う珠雀に出会ってしまったから。
(なんでよりにもよって、お前がここに来ちまったんだよ……!)
彼女の内側から、どうしようもない叫びが異能越しに響いてきたから。
(すーさん、だめだめ!なんで通話出ないの!だめでしょ!すーさんもおとなしと同じでなんばーなんだから!ちゃんとしなくちゃ!)
「おうおう、なんか怒られてんのはわかんぞ!なんで怒られてんのかわかんないけど!」
「そこはわかっててよ!なんであんなに通話かけても出なかったのかって聞いてんの!ネムも俺も、めっちゃくちゃ心配だったんだよ!」
「しっかたないだろー?こっちはこっちで大変だったんだから。Nがやべえ事になってんの、皇彦だって知ってんだろ?」
大変だった。本当にそれは、この世界に対する告発から始まった【終幕機構】を取り巻く一件なのか。榊にはどうにも、異なるものに思えて仕方がない。
(な訳ねえだろ、お前が、お前が約束を……!)
そうでなければ、彼の叫びに説明がつかないだろう。だから榊は、躊躇することなく「瑪瑙珠雀」に問いかけた。
「それが理由じゃないって、自殺が趣味じゃない方は言ってるけど?」
「……」
珠雀が、見慣れた情けない笑顔のまま沈黙する。その目は、明らかに笑っていなかった。
「じゃない方?何それ、変なこと言ってんじゃ」
「とぼけたいなら、もう一方を黙らせてからにしなよ。じゃないと俺、今すぐネムとN4のみんなに全部ぶちまけるからね」
榊は珠雀のことを慕っている。だからこそ、いざという時は容赦しない。淡々と珠雀の急所を突いて、彼女を追い詰めていく。
(すーさん、おとなしに隠してる?なんで?おとなしはだめなの?)
「ほら!ネムにも言われてるよ!何隠してんのって!いい加減秘密主義はやめろって、みんな思うよなあ?!」
周囲にいるN4の面々にも声を掛けるが、皆、一様にして口を噤んでいた。どうやら彼ら彼女らは、既に珠雀が起こした「何か」の実態を知っているらしい。
「……みんなにここまでさせるとか、スーさんマジで何したの」
「何したの、って言われてもなあ。オレはただ、監獄に見つかる前からずっと決めてたことを、やろうとしただけだ。なのに、必死に止められちまってなあ。だからちょっと、踏みとどまってたんだけど。まあでも、もう大丈夫だな」
「大丈夫って、何、が……」
そこまで言って、さあ、と榊の顔から血の気が引く。そうだ、さっき彼女の内側から彼が叫んでいたじゃないか。何故お前がここに来てしまったんだ、と。
榊がここに来る事こそ、これから始まってしまうであろう、止められない悲劇を構成する、最後の歯車なのだ。
「皇彦なら大丈夫だ、現役で始番号をやってる音無も側にいるし、問題なく任せられる」
(皇彦。ここから逃げろ。逃げられなかったとしても死に物狂いで逃げろ。やめてくれ。俺が間違っていた。俺が)
「……やめろ」
青い顔で、榊は冷えた声で珠雀を詰る。穏やかに皇彦の方を見て語る声と、皇彦に逃走を促す声が、耳と脳に同時に響く。多分きっと、本当ならば後者の声に従うべきだったのだ。
でも、心の奥底ではきっともうわかっていたのだ。もう、どうしようもないのだと。
だって、珠雀の目がずっと、こちらを見ているようで、誰のことも見ていなかったから。彼女の瞳は、最初からずっと、己の内側だけを見つめていたのだ。
「いいや、やめない。ずっと前に、オレが初めて俺に出会ってオレに成った時に交わした、大切な、大切な約束だから。誰にも破らせない」
熱っぽい瞳に、ドロリとした愛欲が滲んでいた。恋する乙女と称するには、いささか濁りすぎていて、醜くて。かと言って、恋でないと言い切るにはロマンチックすぎた。
(お前だって知ってるだろ、俺はあの時、正気じゃなかったんだよ。だからあんな、お前のことなんか一ミリも考えてねえことを言っちまっただけで)
「良いんだよ、オレはあの時俺に求められて、生きる意味を見つけたんだから」
(違う。お前のそれは思春期によくある勘違いだ。吊り橋効果だ。忘れたのか、俺はお前の友達を殺したんだぞ?!俺が取り憑いたせいで、ショックで気絶して病院に運ばれて、それで)
榊や音無といった外野は、珠雀の──いや、珠雀達の目には入っていなかった。二人だけの世界で、二人だけのやり取りが積み重ねられていく。他者が伝えたいと願った意思を、異能によって読み取ることができる榊だけが、外野で唯一二人のやり取りを把握する事ができた。
その断片だけですら、二人の言う約束が異様なものであることは伝わる。二人の歪な関係性、その真実が今、榊の前に晒されようとしていた。
「だからどうした」
内側のもう一人の正論を、たったひとつの執着で珠雀は切り捨てる。
「俺を殺せるのはオレだけだったんだ。なのに世界ごと終わらせる?ふざけるなよ。たかが世界に俺を殺させてたまるか。なら、世界が終わる前に、オレが俺を殺すしかないだろ」
身勝手な愛と執着が、珠雀の口からドロリとこぼれ落ちていく。微かに、珠雀の左目が変色する。本人の言葉通りならば、瑪瑙珠雀本人の異能こそが【合和晒鏡】を殺しうる術となりうるのだろう。
だが、珠雀は紛れもないN配属だ。監獄にいる以上、その評価に間違いなぞほとんどなく。故に、そんな都合が良い異能であるはずがないのだ。
(きみひこ!にげなきゃ!)
「……ネム。多分これ、もうだめだよ。誰にも止められない」
音無が榊の袖を引く。だが残念ながら、榊はわかってしまった。もう、手遅れである事を。硬い声で、彼女の進言を無碍にすることしかできないのだ。
「おー。さっすが皇彦、ちゃんと理解できてるじゃねえか。そうだ、オレの異能は文字通り誰にも防げない。まっ、逆に言えばそれぐらいしか長所はないんだけどなー」
榊の態度を見て、珠雀が機嫌良く笑う。その感情が己の内側にいるもう一人と相反していることに、彼女自身が誰よりも理解しているはずなのに。
(珠雀やめろ、考え直せ。俺はあくまでお前が不可抗力で死ぬその瞬間に)
「その瞬間がいつ来るかわかんねえってのに?オレは俺を殺せないのが、何よりも嫌なんだよ」
誰の声も届かぬまま。少女は独りよがりの愛を抱えて、自らの意思で絞首台へと一歩、一歩、足を進めていく。
「みんなごめんなー!オレの都合に巻き込んじまって!でもさ、オレ、これだけは、これだけはぜーったいに譲れねえんだ!」
花が咲くような笑みで、珠雀はこちらに笑いかけた。そのまま、自らの内側、そこにいるもう一人に向けて、微笑む。──先程とは打って変わって、歪な執着が滲んだ、笑みを。
(嫌だ。やめてくれ。俺は、お前に生きてほし)
「オレは──私はあの時からずっと、あなたと死ぬつもりだったんだから!」
最期に、榊が知る瑪瑙珠雀ではない、彼を愛した少女として振る舞った彼女の左目が、赤く、赤く染まって。いつの間にか黄金に染まっていた右目をも、飲み込んでいく。
異能【自殺】ただ己を殺すだけの、最も無価値なN配属。故に、規格外に等しい異能をも殺すに至った別種の規格外。
それは間違いなく、死ぬに死ねなくなった異能【合和晒鏡】を、自認を失った男を連れて逝った。
「スー、さん」
華奢な身体が、ぽとりとリノリウムに崩れ落ちる。外傷は全く見受けられない。その顔も、ただ眠っているかのように穏やかだ。だが、胸は上下していない。間違いなく、亡くなっていた。
世界の終わり。荒唐無稽なはずの言葉に、榊の中で現実感が与えられた瞬間だった。
・異能【自殺】
発動した瞬間に異能者を即死させる。ただそれだけの、N配属の中でもいっとう無価値な異能。
特筆すべき点として、圧倒的な発動速度と干渉強度の強さが挙げられる。その為運命干渉型の異能者に未来での生存を確約されていたとしても、その場で即死する事が可能。また例外的に観数封による自殺の禁止を無効化する。




