我儘
「……うわ」
その身に宿した権能か、それとも彼本人の異能か。とにかく何かしら不快なものを見てしまったらしい。餡条が露骨に顔を顰める。どう考えたって良い話ではないし、気が進まないが、古城涼が話しかけない訳にはいかなかった。
「……何があったの?」
「めちゃくちゃに悪いお知らせ。うん、心の準備をして聞いて欲しいかな」
テレパシーを使うつもりもないという事は、おそらく皆が知るべき事なのだろう。既に少し気の緩んだ夕食の気配はない。夜の気配も濃くなる中、自らにとっての現実が悪化の一途を辿っていくばかりだ。
果たして、皆の注目を浴びながら、餡条は淡々と現実を語った。
「N配属が【終幕機構】花厳桐子を守るために、彼女がいると思わしきI配属の教室を、武装状態で包囲し始めた。その上で一部が組織だってこっちに向かって来てる。世界の終わりを止めようとしてる、俺たちを殺すために」
桐子が、N配属を本格的に手駒として使い出した、と。
「……は?!本気で言ってるの?!おかしいでしょ、N配属は、戦闘能力がないからN配属なのに」
「異能があってもなくても、戦争はできるよ。歴史、忘れた?」
ある意味上峰に毒され切った思考で疑問をこぼす夜宮を、涼は淡々と諭す。この世の正道は数の暴力だ、むしろ一騎当千が現実的なものとして扱われている研究所の方が異様なのである。
「戦闘能力がない、ってのは俺も夜宮ちゃんの言う通りだと思うんだけどねー。まあ、それは向こうもわかってるみたいで?こっちは質も量もあるし?だからさー、もう本当にマジで胸糞悪いんだけどー」
餡条の言葉が、凉の嫌な想像を掻き立てていく。そしてきっと、想像では済まされない。
「……前守が【悪魔】を呼び寄せて、魂を対価にN配属を特攻兵にした?何ならこの状況だから、本人たちが進んで志願してる?」
「だいせいかーい!何なら普通に自爆も視野に入れてるみたいだよ。外道にも程があるよね」
ほら、この通り。嫌な想像は最悪を重ねられた上で、現実であると肯定されてしまった。
ただでさえ静まり返っているラウンジに、殊更重い沈黙が満ちていく。
異能者の中で、N配属は、もっとも命が軽い異能者として認識されている。それでもその命は、非道な大人によって使い潰されるものであって。自ら世界の終わりなんて破滅に向けて、投げ出すものであって良いはずがないのだ。
そしてこの場には異能者だけではなく、宙溟と葉月、先生が連れてきた、あまり事情を知らない公的機関の大人達もいる。彼らは彼らで、子供達が自ら特攻兵に志願しているらしい現実に絶句していた。
「……なんで、そこまでして終わりにしたいです?」
ぽつり、と凍乃莉が呟く。おそらく何らかの精神干渉系の異能に近しい現象が発生している以上、何故を問う事にさした意味はない。だがそんな僅かな者しか知らぬ正論に、意味などないのだ。
「そんなの私が知りたいわよ。なんで、異能者同士で殺し合いをしてまで、あいつに加担して……確かに、私達にろくな未来はないけど、にしたって今ここで終わらせる必要はないでしょ」
「だよなー。俺、できる限り灯乃のそばにいたいし!」
「はあ?!わたしの方が灯乃ちゃんと一緒にいたいんだけどぉ?!」
凍乃莉の言葉が皮切りだったようで。堰を切ったように、皆の想いが溢れ出す。有明が吐き捨てるように続けた言葉に、化野と蓮萄が競い合うように騒ぐ。
「だよなやっぱマジで意味わかんねえよな?!俺だけじゃなかったんだな?!」
「本当ですよ。やっと俺自身が人間以下のゴミであるという証明が得られたというのに。むしろここからが本当の人生のスタートと言っても過言ではありません。サイシもそう思うでしょう?」
「いや正直私は心情的にはN配属寄りなんだが……まあ、ここまで盛大に不祥事が起きている以上、今まで通りとはいかないだろうし……むしろ今までよりよほど希望があるんじゃないか?」
短絡的に叫ぶ瑚刀吹に、閑門がズレた返しをする。その横で、犀祀がある意味研究所の異能者として誰よりも冷静な思考を抱いていた。
「オレは正直N配属の気持ち、わかっちゃうなあ。どうせお先真っ暗なら、ほら、無理心中的な?」
「先程ほおずき嬢に聞いたが、上峰の研究員の大半が、世界を滅ぼす側についているらしいぞ」
「えっそうなの?じゃあもうこの機会に研究員の人たちを皆殺しにしとこうよ」
「極端すぎない?まあ気持ちはわかるけど」
透谷の一言で意見を翻した聖棺に、普裁が曖昧な眼差しを向けて。
「……!」
「わ、わかったわかった!俺もスーさんのこと心配だし……さらっと蘇り?転生とかいうチートやっちゃってる餡条センパーイ!俺とネムでNの様子見に行ってきて良いっすかー?!連絡が取れてなくて、心配で……!」
「めっちゃくちゃこの状況で行ってほしくないんだけどなー、まあでも音無ちゃんってこの状況で絶対止まんないもんね、俺ずっと止めて来たからわかる。うん、良いよ。行ってきな。絶対に生きて帰ってきてね」
珠雀の身を案じているらしい榊と菫色が、諦めと共に餡条に送り出される。
『もしかして俺、細かい事を気にせずにとっととご主人様と一緒に上峰から脱出しておくべきだったんじゃ』
「言いたいことはわかるが、N配属の発言が真実ならば、そもそも脱出する先が存在していない以上、逃げようがないと思うがね。なあ、麗」
「俺に同意求めないでくれる?まあ大体合ってるけど」
あいも変わらず上峰に対して帰属意識のかけらもない静と松太郎の言葉に、凉は渋々同意を返す。そうやって。沈黙に、音が戻ってきた最中。
そこに紛れるように、いつの間にか、聞き慣れてしまった声が涼の鼓膜を揺さぶった。
「み〜んな頑張ってるのに、なんでこんなことするの?なんてひどいこと言わないであげてよー!」
床まで届きそうな程長い白髪と、小柄な身体を包む指定制服。全身に包帯を身に纏った幼子──上峰桐子が、涼を見上げて言った。
「……ッ?!」
理性よりも先に、感情が己の身体を突き動かした。スカートの中に隠したホルスターから拳銃を引き抜くのではなく、文字通りの手が出る。包帯に包まれた華奢な首へと、手が伸びて。
護身用に常時使用している限定拝受が無効化される気配がせず、涼はぴたりと動きを止めた。
「……誰だ、お前」
「もー!おねーちゃんってばひどーい!急に首ぎゅーってしたと思ったら、桐子ちゃんのこと桐子ちゃんじゃないって言うの?!なんでー?!」
I配属の教室から追い出される前の、淡々と実年齢相応の振る舞いではなく。「湖上麗」にとっての「花厳桐子」であるかのように、桐子のカタチをしたナニカは、幼く振る舞う。
当然、そんなことをしていれば周囲も異変に気がつく訳で。桐子の姿を知っている者だって、ゼロではない。ざわめきと共に、臨戦態勢を取り始める。
「あっ!わかった!じゃあ桐子ちゃんが桐子ちゃんだーってわかること言えば良いんだ!えっとね、えっとね〜」
涼に首元に触れられたまま、きゃらきゃらと幼子は笑う。そのまま、楽しげに彼女は口を開いた。
「初を殺したのは、DEMじゃなくて桐子ちゃんだよー!とっておいた自殺屋さんの箱を使って、自殺させたのー!」
「……は?」
涼の認識を、根本から覆す言葉を。思考ごと凍りついた涼に向けて、桐子は無邪気に語り続ける。
「過去干渉は別だけどー。でもでも、ちゃーんと初を自殺させることはできたの!すごいでしょ!」
二ッ葉初。存在ごとなかったことにされてしまった、I配属の仲間。【終幕機構】とやらの補佐役。おそらく夢貌希が【終幕機構】としての役目を全うせずに自殺した事を理由に、桐子からひどく恨まれていたらしい少女。
彼女を殺した事を、桐子は誇らしげに語っていた。
「湖上。巻き込んだら面倒だから離れて。そいつを殺すから」
涼が行動に移るよりも早く、血液で形作られた弾丸を宙に待機させる。
「ハツ?ってのが誰か知らないけど、絶対ロクなこと言ってないでしょそいつ。とりあえず殺」
「……殺すな」
すんでのところで、涼は夜宮を制止する声を吐き出した。そんな涼を、他でもない桐子自身が不思議そうに見上げる。
「どうして?桐子ちゃんはおねーちゃんに嫌われても仕方がないことをしたんだよ?」
「お前が本物……いや、本体じゃないからだ。どうせ、殺した方が面倒になるんだろ」
身体に触れても限定拝受が破壊されない以上、目の前の桐子らしき何かが本体ではないことは自明の理だ。おそらく、彼女自身は今も尚I配属の教室にいるのだろう。
そしてわざわざこんなことをする以上、簡単に排除されては意味がない。もしくは、簡単に排除されること自体に意味があると考えるべきだ。
「えー?なんでー?」
涼に端的に推理を突きつけられても、桐子は怯む気配も見せない。あくまで無邪気な幼子として、振る舞い続ける。
その調子が、あまりにもいつも通りで。涼の見知った、花厳桐子そのもので。だからうっかり、言ってしまったのだ。
「お前ならそうすると思ったから」
ほとんど直感に過ぎない、推測の理由を。
無理矢理理屈らしい何かを付け加えるのなら、【終幕機構】であると明かした後の桐子の手口に、松太郎と似た気配を感じたから、となるのだろうか。松太郎のやりそうな事、という観点からの推測としても間違っていないはずだ。
だから。
「……そっかぁ」
だから、そんなに嬉しそうな顔をしないでくれ。そんな顔をされると、今自分が何をしているのか、今度こそわからなくなってしまうから。
「ごほんっ、折角の再会に口を挟むようで申し訳ないがね、一言言わせてもらおうか。いつまで、猫を被るつもりだい?」
「……あ」
松太郎の咳払いで、ようやっと涼の思考が引き戻される。それと同時に、テレパシーが送られて来た。
『解析した感じ、多分あの【終幕機構】:魔女もどきは、観数の女に何かしらの拡大解釈を重ねて被せてる代物っぽいよ。殺すのはお勧めできないし、排除したところでこちらを観測されるのは変わらないから、そばに置いておいて反応を観察した方が有益に活用できるんじゃなーい?』
『解析ありがとう。やっぱそうだよね、あっち側の思考リソースも削れるし』
DEMの権能を手に入れた身は伊達ではない、早急に必要な情報を集めて来てくれた餡条に、テレパシーで端的な礼を述べる。
「えー?猫被りー?桐子ちゃんそんなことしてないもーん。むしろ、さっきまでのが猫被りだよー!だって桐子ちゃんは、ずーっとこうして生きてきたんだから!」
「このチビやっぱ意味わかんないです。とっとと殺すべきだったです」
「凍乃莉……」
最早隠す意味もないと悟ったのだろう、いつの間にかこちらに来た凍乃莉が、淡々と率直な言葉を吐く。ある意味の正論ではあるが、時すでに遅し、というやつである。
「……精神年齢の固定化は失敗していたが、露見すると身体の自由が完全に失われてしまうが故に、幼子のフリをしていたと?お前は僕のように、正気を失うことはできないから」
「うん!だから、桐子ちゃんはこっちの方が本当の桐子ちゃんなの!」
『ご主人様にこんなことを言わせる上峰って、やっぱりとっとと滅ぼすべきだったのでは?』
「これ絶対に俺が言うべきことじゃないけどさ、一応言っておくね。静、それ今本当に言うべきことだった?」
上峰の双子達は、極めて真剣なやり取りを交わしているはずなのに。外野の過激な発言が、妙に空気を弛緩させる。
……幼子のように振る舞わねば、ただでさえあるとは言えない人権を殊更に侵害される世界で、長く生活してきたのならば。最早その幼子の振る舞いこそが本質で、年相応の振る舞いこそが「猫被り」になってしまう。理屈としては間違っていないが、だからこそ受け入れ難い。
「……ねえ、桐子ちゃん。一応聞いておくけどさ。なんで今ここにいるの?」
本人に聞いたところで、ろくな答えが返ってこないとわかっている。それでも、例え形式上だとしても、問わないわけにはいかなかった。
かくして幼子のようにしか振る舞うことが常態と化してしまった少女は、なんてことのないように答える。
「えー、最初に言ったじゃん!これが最後なんだから、ちょっとぐらい好きなことをしたって良いんじゃないかなって!だから桐子ちゃんは、我慢することをやめたの!」
ひどく、楽しそうに。同じクラスの仲間を自らの手で殺したのだと告げた時と同じように。
いつか、想果に対して心からの感謝を述べたときのように。
いつか、幽霊騒動に心を乱された凉を抱きしめてくれたときのように。
涼が失って久しい純真さと相反する行いに、少女は邁進する。そのたび、涼の足元が現実感を失って、崩れ降りていく錯覚に陥るのだ。
「……麗。こんなお邪魔虫に構っている暇は僕達にはない。ひとまずN配属への対処を考えねば、追い詰められて終わるだけだぞ。質では圧倒的にこちらが有利だが、量ではどうしたって敵わない」
松太郎のいつも通り変わらない、論理に基づく冷静な言葉だけが、現実だった。




