493 三人目の女、エミー・ルーン1
地平線へと近づいてきた日の光で、徐々に橙色に染まり始めた大草原。
あてのない旅の途中であるエミーは、そんな大草原の真ん中でモコモコと蠢く謎の白い繭を見つけ......だらだらとよだれを垂らした。
その理由は、三つである。
まず、その日エミーが捕食した生物は小さな兎が二十匹程であり、まだまだお腹が空いていたから。
そして、白い繭の形状が前世の記憶にあるマシュマロ(前世で一回だけ、蟻が運んでいるのを奪って食べたことがあった)を連想させたから。
最後に、その白い繭はその実聖女アドが結界術で作りあげた封印であり、高濃度の魔力を含んでいたからだ。
このエミーという少女には、魔力含有率の高い物ほど好むという、嗜好が存在するのだ。
彼女の魂の貪欲さには、際限がない。
いつだって、魔力を取りこむことを欲している。
故に本能で、魔力を多く含む物を、口に入れようとするのだ。
だからこそ多量の魔力を注ぎこまれて生み出された白い繭は、エミーにとってはごちそう以外の何者でもなかった。
何やらモコモコと蠢いているが......それを不気味がるエミーではない。
エミーはトコトコと繭に駆け寄って、すぐさま大口を開け、それにかぶりついた!
「............!?」
しかしその繭......異常に弾力があった!
エミーはそれを引きちぎろうと噛みくわえ、ギリギリ、ギリギリと後ろ歩きしながら引っ張るも、繭は決して千切れることなく、ゴムのように伸びるばかりである!
結局3メートルほど引っ張ったところでエミーはうっかり口を離してしまい、尻もちをついてその場に転んだ。
細長く伸びていた繭はビュンと、それこそゴムのように繭本体に引き戻され、ベチンと音を立てた。
「............」
さて、この一連の流れを経て。
常人であれば、もうこの繭を食べることは諦めて別の獲物を探そうとするところだが、エミーは常人ではないので(というか常人であれば、そもそも得体の知れない繭を食べようとはしないのかもしれないが)、次なる手段をとることにした。
エミーは無言のまま再び繭にかぶりつき、歯を突き立てて......そのまま動きを止めた。
これは何をしようとしているのかと言えば、エミーは繭を物理的に破壊して捕食するのではなく......繭から魔力だけを吸い取り、吸収しようとしているのだ。
魔力の吸収。
それは、広く一般的に使われている技術ではない。
何故なら、危険だからだ。
この技術、例えば魔法や異能の使い過ぎで失われた魔力を、素早く回復することができるというメリットはある。
しかし、もし仮に、魔力を吸収しすぎてしまったら?
己の魂の容量を超えて、魔力を取りこんでしまった場合、人はどうなるのか?
端的に言えば、魂が破裂して死に至るのだ。
魔力中りだ。
だからこそ、この技術は決して流布されることはない。
しかし、エミーの魂は先述したとおり貪欲であり、いつも腹ペコであり、際限なく魔力を取りこみ続けようという性質があり、その容量には何故か限界がない。
故にこそ、魔力吸収という普通であれば危険な手段を、ノーリスクで実行に移すことができるのだ。
......ズ、ズズ、ズズズズズズ......。
そして、エミーが繭にかぶりついてから数分後......彼女の周囲には、徐々に徐々に、そのような吸引音が響き始めた。
エミーのしつこい、そして強引な吸いつきにより、ついに聖女アドの【結界】を織りあげていた魔力の糸がほつれ、封印に綻びが生じたのだ!
こうなってしまえば、後は一方的な展開だ。
ズズズッ、ズズズズズズッ!!
エミーはさらに吸いこむ力を強め、再び歯にくわえた繭の表皮を、物理的にも引っ張り始めた!
すると先ほどまでとは異なり、魔力が吸い取られ強度が減じていた封印は、ブチブチと音を立てながら引きちぎられていく!
千切れた封印の糸の先は仄かに光りながら、単なる魔力へと変じ、空気中に霧散していく......。
もったいない!
ズズズズズズ、ズルズル、ズルズルーーーッ!!
エミーはほつれ、空気中へと消えてゆこうとする封印の魔力を、まるでそうめんか何かのように、盛大に啜った!
白い繭は瞬く間にエミーの口の中へと吸いこまれていき、そして!
そして、白い繭状の封印がすっかり取り払われた時、そこに横たわっていたのは......!
赤茶色の髪をした、褐色肌で筋骨隆々の美女......即ち、シメガマモであった!!
「............」
エミーはシメガマモの姿を見て......いつも通り、決してその表情には感情を出さなかったが......凄く、がっかりした。
だって、エミーは繭の中には、大きな蛾の魔物のサナギか何かが、入っていると思っていたのだ。
それなのに、人間が出てきた。
がっかりだ。
エミーは人間は、食べないようにしている。
例えどれだけおいしそうに見えても、今のところは、その自分ルールを破る気はなかった。
だから、がっかりした。
食べられないものが出てきて、がっかりした。
繭の中から出てきたこの女は妙に魔力含有量も多く、実においしそうに見えるので、それが逆にがっかり度を増加させている。
エミーはもちょもちょと封印そうめんを咀嚼し、ごくりと飲みこんでから、はあ、と一つ大きなため息をついた。
「............」
一方のシメガマモは、泣きはらしたのか赤く充血した瞳をパチパチとしながら、じっとエミーを見つめた。
彼女は混乱の最中にあった。
内側でどれだけ暴れても逃れることができなかった聖女アドの封印を容易く打ち破った......この不吉な色合いの少女は一体、何者なのか、と。
一体何故、自分を助けたのか、と。
しかし、少女のどす黒い、悍ましい闇のような瞳と目をあわせた、その瞬間!
シメガマモは、この少女と自分との関係性を、悟った!
それは、捕食者と......被捕食者の関係!
この少女は、自分を助けたのでは、ない!
単に、食事をしていただけなのだ!
その事実をシメガマモは、大草原に生きる者として培った野生の勘で、看破した!
その証拠は、少女の冷たく感情の読みとれない瞳だ!
その瞳は、シメガマモのことを!
お肉としてしか、捉えていない......!
「う、うおおおおおーーーッ!!」
シメガマモは本能がもたらす恐怖によって突き動かされ、飛び跳ねながら後退すると、ダ、ダ、ダンと素早く大草原を踏み鳴らした。
すると、エミーの周囲の植物か蠢き急成長を始め、あっという間にエミーの体に巻きつき始める!
しかし......!
「............」
エミーは何ら慌てることなく、周囲を一瞥した。
すると、それだけで。
目に見えない......“凄く鋭い何か”がエミーの周りをぐるりと走り、植物をばっさりと刈り払ってしまった!
「............」
そしてエミーは無言のまま、首を傾げながらシメガマモに視線を送った。
「ひ、ぐッ......!」
シメガマモは歯を食いしばって悲鳴をこらえ、足をあげ、再び大地を踏み鳴らそうとした。
しかし、次の瞬間!
ビュンッ!!
そんな、風をきる音よりも速く!
エミーの両肩から伸びたどす黒い二本の触手がシメガマモに巻きつき、彼女の体を宙に持ちあげていた!
一本の触手は、シメガマモの細い腰に。
そしてもう一本は、シメガマモの首に巻きつき。
それなりに重量があるはずの彼女の体を、横向きに持ちあげている!
「ぐ、あ、がッ......!」
必死になって宙でジタバタともがくシメガマモに、エミーはトコトコと近づいて行き。
この日、初めて言葉を発した。
「死にたい?別に良いけど」
と。
温度の感じられない、冷たい言葉だった。
もしここで仮に『死にたい』と言えば、少女は躊躇なくシメガマモの首を引きちぎり、何の感慨もなく殺すのだろう。
ただ声を聞くだけで、それが理解できた。
「あが、がああッ......!」
シメガマモは、必死になって首を横に振った。
するとふわりと、彼女の体は大地へと戻された。
腰と首に巻きついていた触手がシュルシュルと、少女の両肩へと引き戻されていく。
「ゲホ、ゲホゲホッ!」
シメガマモは瞳に涙を浮かべながら、四つん這いの状態で咳きこんだ。
そうしてから、そのまま顔をあげた。
すると目に映るのは、エミーの姿。
夕日を背に負い、もともとどす黒いその全身を影でさらに真っ黒に染めた、少女の姿だ。
「ぐ、はあ、はあ、はあ......ふう......」
シメガマモは小柄なその少女の身の内に秘められた膨大な力を感じとり思わず吐き気を催したが、それを懸命に抑えこみ息を整えた。
そして、心を落ち着かせた。
彼女は、戦士だ。
一族最後の戦士だ。
これ以上無様を晒しては、死んでいった両親や兄、そして夫に申し訳が立たない。
「力、ある方よッ!!」
シメガマモは両手両膝を地面につけたまま、恐怖をこらえてエミーの瞳を見つめながら叫び。
「ご無礼致しまして、申し訳ございませんッ!!お許しくださいッ!!」
そう言って勢いよく、地面に己の額をこすりつけた。
「............」
エミーはその様を見て、きょとんとした。
シメガマモの土下座のような姿勢は、明らかに格上の存在に対するものだ。
この女は、己を畏れ、敬おうとしている。
それが、一目瞭然だ。
エミーには、そのように扱われた経験がなかった。
だから、面食らったのだ。
しかし。
困惑は、したが。
......別に嫌な気分は、しなかった。
だからエミーはこの女に、単純な興味を持った。
エミーは土下座を続けるシメガマモにトコトコと近づき、彼女の前で自分も膝をつき、その赤茶色の髪をした頭をポンポンと叩いた。
「顔、あげて?」
そしてそう、促した。
「............」
促されたシメガマモは、言う通りにした。
そんな彼女の瞳を、エミーはじっと覗きこんだ。
その瞳の奥には、確かに未だ、畏れがあった。
しかし、もはや怯えはなかった。
覚悟を決めた、戦士の瞳だった。
エミーはシメガマモに、好感を持った。




