480 ラッカスナクラの大瀑布
『次章は4月下旬頃に投稿予定です』とか書いた気がするけど、多分気のせいでしょう。
第21章、始まります!
ラッカスナクラの大瀑布。
それは、幻想大陸に住む多くの人々が一度はその名を耳にしたことがあるであろう、巨大な滝の名前だ。
大陸東部を蛇行しつつ流れるイガモテナート大河は最終的にこの地へと流れつき、先の見通せぬエセレム大霧海の底へと落ちて行くのだ。
轟々と音を響かせる大瀑布。
その周囲の黒く塗れた岩々の上には、背の低い固有の植物が繁茂し、色とりどりの花畑を形成している。
大瀑布より宙に舞いあがる水しぶきは常に虹を生み出し、その水しぶきを浴びた花々は日の光を受けて美しく煌めく。
後ろに広がる雄大なエセレム大霧海も相まって、まさに絶景という他ない風景である。
だがしかし、このラッカスナクラ、ただ美しいだけではない。
何せ、膨大な水量を誇る大瀑布だ。
足を滑らせ、川の流れにのまれて滝から落ちればまず間違いなく助かる見こみはないし、その上大霧海に漂う青い霧は人体に有害である。
さらにここは、イガモテナート大河の終着点。
そういった理由から、古来よりラッカスナクラの大瀑布は、『死』、あるいは『終わり』......そういったものの象徴とされてきたのだ。
故に幻想大陸においては、『ラッカスナクラに落ちる』とは即ち、『死ぬ』、あるいは『再起不能になる』と言った意味を持つ慣用句にすらなっている。
そして......そのイメージが為か。
あるいは、その夢のような美しさに惹かれてか。
このラッカスナクラの滝から身を投げ、命を絶とうとする者が後を絶たない。
「............」
今も、大瀑布の周りを見回してみれば。
わざわざ安全対策のために設けられた柵を乗り越えて、水に濡れてテラテラと輝く滑りやすい岩の上に無言のままたたずみ、大霧海をぼおっと眺める、一人の男がいる。
この男も、つまりは自殺志願者だ。
男は、こげ茶色でつば広の中折れ帽を目深にかぶり、くたびれたコートを風にはためかせている。
そのコートの中に着こむのは、おそらく上等の仕立てであったと想像できる......しかしすっかり汚れきってしまったスーツだ。
惰性で首に巻き付けたネクタイも、ヨレヨレとしており全く清潔感がない。
皮手袋に至っては、いくつか穴すら開いている。
ボロボロなのだ。
さて、だが、しかし。
この男、ボロボロの身なり以外にもう一つ、外見的な特徴がある。
それは、男の全身をくまなく覆う、緑色の鱗だ。
ロンギ・アドマイア。
それが、この鱗の男の名前である。
◇ ◇ ◇
ロンギは、物心ついた頃には、孤児院で生活していた。
捨て子であったらしい。
故に彼は、己の体表を覆う鱗が、一体何に由来するものなのかを、知らなかった。
おそらく、種族由来のものなのだろうと、推測はできる。
であれば、なんという名前の種族なのか。
それがわかればあるいは、彼の鱗は彼の誇るべきアイデンティティに、なり得たかもしれない。
しかしながら彼にはそれを教えてくれる両親はいなかったし、周囲にも、全身鱗まみれの人型種族など存在していなかった。
実は大人になった後も、ロンギは自分の同類と、出会ったことはない。
それほど数も多くなく......珍しい種族なのだろう。
とにかく、何を言いたいのかといえば、彼の鱗は幼少期の彼にとって、実に厄介な代物であったということだ。
鱗まみれのロンギは、周囲の子どもたちから浮いていた。
周囲には、動物の耳を生やした者や尻尾を生やした者、肌の色が違う者、角の生えている者など、様々な種族の孤児がいた。
しかし、鱗まみれの者は、ロンギ以外にはいなかった。
ロンギは明らかな異物としていじめの対象となり、鬱々とした幼少期を過ごした。
彼の鱗は、多少の暴力から彼の体を守ってくれたが、心についてはそうではなかったのだ。
そんな彼のことを救い出してくれた大恩人がいる。
その名は、ドロッグ・アドマイア。
ドロッグ商会を率いる、世界に名だたる大商人である。
◇ ◇ ◇
自分の何を、気に入ったのか。
ロンギはドロッグに、聞いたことはない。
何せドロッグは、商人のくせにいつだって愛想がなく、こげ茶色の中折れ帽を目深にかぶり、口元をへの字に結びながらギラリと相手を睨みつけているのだ。
ちょっと恐ろしくて、そんなことは聞けやしなかった。
何かの用事で孤児院を訪問したドロッグに初めて会った時の、ロンギの彼に対する印象は、『なんだこのおっさん、殺し屋か何かか?』だった。
他の子どもたちも同様の印象を抱いたようで、ドロッグの強面を見た瞬間に、脱兎のごとく逃げ出した。
そして間の悪いことに、ちょうどその時、孤児院を運営する大人たちは出払っていたのだ。
必然、ドロッグの相手をするのは、ロンギ以外にはいなかった。
ロンギはドロッグにたどたどしく歓迎の言葉を伝え、応接室へ案内し、お茶を出した。
ドロッグはロンギのその姿を、じっと、じっと、じっと......睨みつけていた。
ロンギは正直、生きた心地がしなかった。
わたわたと慌てて院長が応接室に入って来た時、本当に本当に、ロンギはほっとしたものだ。
「この少年を、引き取りたい」
次の瞬間、開口一番に発せられたドロッグの言葉を聞いて、すぐさま驚愕と混乱と恐怖とによって、その体を凍りつかせることにはなったが。
◇ ◇ ◇
さて、ドロッグに引き取られた当初はいつ鉄砲玉として使い潰されることになるのか戦々恐々としていたロンギだが、その強面に反してドロッグは実に真っ当な商人であり、ロンギは彼の大勢いる養子の内の一人として、立派な商人となるべくみっちりと教育を施された。
しばらく接している内に、ロンギもようやくドロッグは顔が怖いだけの真人間であると理解し、彼に恩を感じるようになった。
一流の教育。
厳しいが、愛情の感じられる待遇。
鱗のことで、差別されない環境。
それらを施されるばかりでは、いられない。
恩を返さねば。
ロンギは奮起した。
誰よりも多く学び、誰よりも多く働いた。
そして誰よりも多く稼いだ......とまでは、いかなかったが。
ロンギは気づけば、商業都市ゼナーリニの商会支部長を任されるまでに成長していた。
これからも、商会のため、ドロッグのため、身を粉にして働いて行こう。
そう思っていた。
毎日が、充実していた。
そんな生活が暗転したのは、数年前のことだ。
◇ ◇ ◇
きっかけは、ゼナーリニにおいて、フルという男が率いる新興商会が躍進を始めたことだ。
初めは、ロンギもフル商会の躍進に対抗心を燃やしつつも、心の内では彼らのことを応援していた。
尊敬する養父ドロッグは、公正明大な男だ。
正々堂々勝負をする。
それでいて、必ず勝つ。
それだけの実力を持った男だ。
ロンギもそんなドロッグのように、ありたいと思っていた。
だからロンギも、フル商会とは、いずれそのように戦いあいたいものだと感じていた。
しかし、その思いは一変する。
きっかけは、フルの三人いる息子の内の、三男の姿を見たことだ。
(なんだ、こいつは!?)
理由はわからない。
理由はわからないが。
そのサクセスという名の三男坊を見た、瞬間。
ロンギの全身に。
......得体の知れぬ衝撃が走った!
言い知れぬ恐怖を、感じたのだ!
ヘラヘラと遊び歩き。
全くもって、不真面目。
一見すると、そのような少年であるにも関わらず、だ。
そしてフル家のことを詳しく調べてみると、何故か父や兄たちの影に隠れようとしているが......フル商会の躍進には間違いなく、あの三男坊が関わっているのだと、ロンギは確信した。
革新的な商品を生み出す、天才的な頭脳。
そして神がかった、先見の明。
それらを用いて暗躍し、フル商会を支えているのは......まず間違いなく、あの三男坊だったのだ。
まさに、商売神の加護を授かっていると、評すべき人間。
それこそが、サクセス・フルという人間であった。
◇ ◇ ◇
今になって振り返ると、実に自分らしくもない、愚かな真似をしたものだと思うが。
ロンギはサクセスの才覚に、恐れをなした。
そして、その才能が本格的に目覚める前に。
潰さなくては。
何故か突然発生したその強迫的な観念、危機感に突き動かされ。
ロンギは行動を開始した。
フル商会と取引をする相手に圧力をかけ。
そして根も葉もない、心無い噂を流してフル商会の評判を落とし。
さらにはゴロツキを使って、物理的にフル商会に攻撃を加えた。
しかしフル商会は潰れない。
危機的状況に陥るも、それをいつも、サクセスが機転を利かせて、鮮やかに解決してしまうのだ。
それどころか事件を通して、逆にフル商会には味方が増える始末である。
一方で、ロンギは孤立していく。
焦燥感が募り、ますます強迫観念がロンギを責め立てる。
もはや、サクセスを殺すしかない。
そこまで思いつめ、暗殺者を使おうと行動を起こす、その直前。
彼は、様子のおかしくなった彼を見かねた同僚たちによって告訴され、逮捕された。
全ての悪事は明るみに出て、事件は解決。
万々歳。
ゼナーリニに、平穏が訪れた。
◇ ◇ ◇
サクセスを、殺さなければ。
サクセスを、殺さなければ!
逮捕され投獄された後も、何故かロンギの思考を占めるのは、その一念であった。
そんな、ある日。
彼の養父ドロッグが、ロンギのもとへ面会に訪れた。
ロンギは、必死になって訴えた。
サクセス・フルは危険だと。
必ず、潰さなくてはならないのだと。
それが、ドロッグ商会の未来を、守ることになるのだと。
血走った目で、唾を飛ばしながら、必死になって訴えた。
ドロッグは。
そんなロンギをじっと、じっと、じっと睨みつけ。
一言。
「......残念だ」
そう、ただ一言だけを、言って。
そして、中折れ帽を目深にかぶり直し、面会室から出て行ってしまった。
ロンギは。
その言葉を、聞いた時。
帽子で隠される前の養父の瞳が、涙で満たされているのを、見た時。
再び、その全身に衝撃を感じた。
「うおお......おあああああ......!」
そしてその場でうずくまり、慟哭した!
自分は、何をやっていた!?
自分は、何をやってしまった!?
あれだけ彼の心を責め苛んでいた強迫観念は、もはやすっかりなくなっていた。
理由のわからぬ、サクセスへの過剰な殺意と憎しみも。
しかし、時既に遅し。
もはやロンギには、何も残ってなどいなかった。
彼はすっかり意気消沈し......他の受刑者から、その身体的特徴を嘲り『蛇の抜け殻』などと馬鹿にされても、反論一つしなかった。
ただ無気力に刑期を過ごして......彼は出所した。
◇ ◇ ◇
その後一度だけ、ロンギは彼が率いていたゼナーリニ支部の様子を、見に行ったことがある。
同僚たちは、多少入れ替わりはあるようだが、皆生き生きと働いていた。
それを見て、ロンギは安堵した。
愚かな己の行いで、彼らの未来が閉ざされなかったことを。
そして同時に、改めて絶望した。
あの場にはもはや、己の居場所などないのだと、理解して。
◇ ◇ ◇
「............」
そして気づけば、ロンギは轟々たる大瀑布のすぐそばで、ぼおっとしながら霧の海を見つめていた。
もはや涙も枯れ果てて、ため息一つも出てこない。
視線を動かし足元を眺めると、そこにあるのは崖だ。
少し下に広がる霧のせいで高さは全くわからないが、この下に落ちて行った人間は誰一人として帰ってこないのは、事実だ。
それが、『ラッカスナクラに落ちる』ということだ。
恐怖はない。
だって、もうとっくに、自分は『ラッカスナクラに落ちて』いる。
今自分がいるのは、もはや生還不可能の霧の底。
先行きの見通せぬ、人生のどん底だ。
この大瀑布と、同じだ。
落ちたら這いあがることなど不可能な状態に、自分は既に陥っている。
詰みだ。
もう、苦しむことも、ないだろう。
早く死のう。
「ふうーーーーーー......」
静かに息を、吐きだして。
身を投げるため。
ロンギはその足を、一歩。
前へと、進めようとした。
しかし。
......しかしッ!
その時だった!!
「らあああああーーーーーーッ!!!」
轟々たる大瀑布の大音量にも勝る大絶叫が、霧の下から聞こえてきたではないか!
「!?」
ロンギは驚き足を止め、声のする方に目をやった。
すると、そこには!
「ああああああーーーーーーッ!!!」
大瀑布の膨大な水量をものともせず、垂直落下しているはずのラッカスナクラの大瀑布を、猛烈な勢いで泳ぎ遡ってくる、一人の少女の姿があった!
「はッ!?」
飛び散る水しぶきの隙間からちらりちらりとのぞく、その髪色は黒!
そして、大瀑布でも消せぬ闘志を燃やすその瞳の色も、黒!
さらにはその手首から足首まで全身を覆う、素材のわからぬ水着のような服すらも、黒!
その透き通るように白い肌以外は、とにかく全身が黒一色!
それは、そのような少女であった!
「は、え、はあッ!?」
どす黒いその少女は、現実離れしたその挙動に理解が追いつかず、ただ間抜けな声を出す以外のことをできないロンギなど、目にもくれず!
「らあッああああああーーーーーーッ!!!」
瞬く間に大瀑布を泳ぎ登りきり、勢いあまって大瀑布の上空、5メートルはあろうかという高さまで、飛び跳ねた!
少女は空中で膝を抱え、くるくると回転する。
その体にまとわりついた水気が高速回転により吹き飛ばされてしぶきとなり、宙を舞い、日の光を浴びてキラキラと輝いた。
力強くも美しいその様に、ロンギは声を奪われた。
いつしか呼吸をすることも忘れ、彼はじっとその少女のことを見つめていた。
時間にして、数秒。
しかし彼の主観で言えば......相当に長い間。
ロンギはその少女の姿を、見入っていた。
魅入られていた。
「ああああああッらあああああーーーーーーッ!!!」
そして少女は、白く美しいその指先をピンと伸ばしそろえたかと思うと、体をまっすぐに伸ばし。
ザッパアアアアアンッ!!
大瀑布へと流れゆくイガモテナート大河の水面へと、落下した!
「ああああああーーーーーーッ!!!」
そしてそのまま、再び猛烈な水しぶきをまき散らしながら。
川の上流へ、上流へとかなりの速度で泳ぎ去って行き。
あっという間に......見えなくなってしまった。
「............はッ」
ロンギはその時点で、自分が声も出さず息すらもしていなかったことに、ようやく気づいた。
「はッ、はッ、はッ、はッ......」
そして体の求めるままに、荒い呼吸を繰り返す。
ドキドキと、鼓動がうるさい。
大瀑布の轟音など、まったく意識にのぼらぬ程に。
「はッ、はッ、はッ......は、はは......ククク、ハハハハハハッ!!」
いつの間にか。
いつの間にか、ロンギは笑っていた。
腹を抱えて、笑っていた。
こんなにおかしいのは、本当に久しぶりだ。
いや、これほど愉快な気分になったのは、生まれて初めてではないか?
ロンギの緑色の鱗の上を、涙が一筋こぼれ落ちる。
「おい、なあ、ラッカスナクラ......お前、登られているじゃないか!」
ロンギはその涙をぐしりと拳でぬぐうと、そう大瀑布に向かって語りかけた。
当然、大瀑布は何も答えない。
ちっぽけなロンギのことなど無視をして、ただ轟々と水を落とし続ける。
「そうか......クク、そうか......そんなことが、できるのか......!」
ロンギは脳内に、先ほどの少女の姿を思い描いた。
黒髪黒目と、不吉な容姿の少女であった。
しかし。
しかし!
その全身には、活力が漲っていた!
その瞳の奥には、燃え盛る闘志があった!
少なくとも、ロンギにとって!
その少女は!
爆発しそうなほどに凝縮された、生命の輝き!
......そのものだった!!
「ククク、クク......なんだ?おい、なんだ、この気持ちは......?」
ロンギは、ぎゅっと己の胸を抑えた。
服越しに伝わる、鱗の硬い感触......その奥で。
ドクンドクンと、心臓が暴れている。
闘志が。
燃え移った。
そうとしか、思えない!
強烈な生命の輝きにあてられて、今にも消え去りそうだったロンギの魂が!
再び激しく......燃え盛り始めたのだ!
「ああ......あああッ!!」
ロンギはまたしても、涙を流した。
日の光を浴びて輝く、花畑。
煌めく虹。
果てなく続く、大霧海。
目に映る物全てが、美しく輝いている!
「ああ......ああ、なんだ、ククク......」
しばらく体を震わせてから、ロンギは大瀑布のことを覗きこんだ。
霧で底の見えない、大瀑布。
落ちて行った大河の水が、次々とのみこまれていく。
「ラッカスナクラ......お前は、随分と恐ろしいじゃないか」
そして、最後にそう言ってから。
ロンギはシャツのボタンを首元まできっちりと締め。
緩んだネクタイを縛り直し。
コートの肩についた汚れを払ってから。
こげ茶色の中折れ帽を、目深にかぶった。
そうしてから、踵を返し。
ロンギは大瀑布を背にして。
一歩、また一歩と。
前へと進み始めた。
大瀑布は、何を言われても、何も言い返さない。
ただ轟々と、水を下へと、落とし続けている。
だが、しかし、大瀑布から。
一度だけ、ビュウと、強い風が吹いた。
ロンギの背に向かって。
その風は、『とっとと、行け』と。
ぶっきらぼうに、ロンギの背中を押した。
これにて第21章、完結!
......短いですが、たまにはこういう超短編な章もありますさ。
読者の皆様におかれましては、『エミーは、壁を歩けますよね?なんでわざわざ、滝を遡ったんですかね?』という至極当然の疑問が脳裏をよぎったかもしれませんが、まあ、色々あったんでしょう。
その辺の理由については、各自でお考えになっていただければよろしいかと存じます......エヘヘッ!
それはともかく、名前だけは第2章からずっと登場していたドロッグさんの人となりをようやく描くことができて、良かったです。
『え、“ドロッグ”なんて人、いたっけ?』と思われるかもしれませんが、いたんです。
大魔導さんなんかと比べると言及頻度は低いので、憶えていない人の方が多いことでしょうが、確かにいたのだ。
さて、次話ですが、第22章に入る前に、オマケのお話が挿入されます。
そちらの投稿は、本当に4月下旬頃になるかと存じますので、お待ちいただければ幸いでございます。
どうぞよろしくお願い申しあげます。




