440 エミーの敗北
<逃げましょう>
見渡す限り、ほぼ全ての地面を覆いつくしているヒュミダファイの体。
そのヒュミダファイの上に【黒触手】を一本突き立て、それを支えにしてプラプラと宙に浮いているのが、エミーだ。
今、エミーはその【黒触手】を動かし、自身の体をブンブンと振り回している。
そして両手の指先から伸ばした魔力の刃【大蟷螂】でもって、ヒュミダファイのことを、無茶苦茶に斬り裂き続ける!
<逃げましょうって!>
すると、これまでと同様に、斬り裂かれたヒュミダファイの欠片がウミウシ形態に変化。
一斉にエミーに向かって跳ねとび、体当たりを開始する。
もし常人であれば、一撃で骨が砕け、身動きがとれなくなるであろう攻撃だ!
<逃げましょうってばーーーっ!!>
それらのウミウシを、エミーは【黒触手】を操作し体を動かすことで、器用に回避していく。
避けきれないウミウシについては、思いきり殴って弾き返す!
そんなことを、エミーは延々と繰り返していた。
次第に涙声になり始めた、撤退を促すオマケ様の声を、無視し続けながら。
何故逃げないのか?
エミーには、ヒュミダファイ打倒のための秘策があるのか?
......そうでは、ない。
彼女は、あまりにも巨大で膨大なタフネスを誇るこの災厄の命を削りきるためのアイデアなど、持ちあわせていない。
何故逃げないのか?
エミーには、現状が見えていないのか?
......そうでは、ない。
己の力量がこの災厄に及んでいないということを、エミーは嫌というほど理解している。
ぐううううう......。
今もまた、彼女の腹が鳴った。
それは万全ではない彼女のスタミナが、尽き始めた証拠だ。
腹が減ったからと言って、ヒュミダファイの欠片を捕食し続け栄養補給するわけにもいかない。
ヒュミダファイは、エミーの顎の力でも噛みちぎることに難儀するほど、弾力がある。
端的に言って、食べずらいのだ。
その上、栄養にも乏しい。
「............」
正直に言えば、エミーだって、わかっているのだ。
撤退すべきだと。
<エミー、あなたが戦う必要は、ないんですよ!災厄が動き出したとなれば、神々も黙ってはいません。きっとこの災厄は、すぐに連中が再封印してくれますよ?>
「............」
疲労が蓄積し、鈍くなり始めた思考に、オマケ様の言葉がよく響く。
そう。
そうなのだ。
放っておいても、いずれ事態は収束するらしいのだ。
この世界の神々は、自分勝手で好き勝手ではあるけれど、世界は守ろうとするらしい。
......でも。
“すぐに”とは、どれくらいの期間を指しているのか?
<まあ......一つや二つ、国が滅んだ後......くらいですかね......?>
するとオマケ様は、エミーの疑問に対して、そんな答えを返した。
神々の“すぐに”は、あまりあてにならない。
エミーはそう、学んだ。
そしてそんなことを聞かされると、ますます自分一人で逃げ出すのは、情けない。
いや。
違う。
......そんなこと、よりも。
その時、本当のことを言えば。
エミーは、悔しかったのだ。
この、超巨大サザエに......勝てない己の弱さが、悔しかったのだ!
無茶苦茶に暴れまわり、傷つけても!
ヒュミダファイは、余裕のままだ!
反撃はするものの、エミーの暴力はヒュミダファイにとっては、取るに足らないものだ!
それが......たまらなく、悔しいッ!!
故にエミーは、意地になって、オマケ様の撤退勧告を受け入れなかった。
まるで、癇癪をおこした子どものように、暴れ続けた。
......いや。
この時のエミーは、まさしく癇癪をおこした子ども、そのものだった。
しかし。
ぐぎゅうッ!!
ぐうううううッ!!
いよいよ、腹の虫が悲鳴をあげ始めた。
「............」
限界だ。
そう......エミーは、判断せざるを得なかった。
ヒュミダファイに対して......敗北を、認めざるを得なかった。
エミーは無言、無表情で。
しかしながらぎりぎりと、歯を食いしばる音を響かせながら。
【黒触手】を使って体を大穴の外に放り投げることで......撤退を図ろうとした。
だが......しかし!
エミーが【黒触手】を大きくしならせた......ちょうど、その時だった!
<<<うおおおおおおーーーーーーッ!!!>>>
ヒュミダファイの体で覆われた大穴の底に、突如として勇ましい、思念の雄たけびが響きわたったのだ!
何事かと、振り返ったエミーの視界に飛びこんできたもの。
それは。
流星の如く、まっすぐ大穴の底に向けて泳ぎ来る......燃え盛る、一匹の赤きコブダイの姿だった!




